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生産54万台! 日産「フェアレディZ」はギネス登録されたスポーツカーだった! 北米で爆売れした理由とは【国産名車グラフィティ】

240ZG。グランドノーズと名付けられたノーズコーンとヘッドランプカバーが目印だ。撮影車両は社外ホイールを装着

ミスターKの大号令で誕生したフェアレディZ

フェアレディZとして多くの人が慣れ親しんだのは、Z432ではなくL20型直列6気筒SOHCを搭載した「Z」とその上級グレードの「Z-L」だ。エクステリアはZ432とほとんど変わらない。異なるのは、マフラーやホイールなど、少しだけである。

世界一のスポーツカー市場だった北米で発売するという有識者の先見の明は正しかった

ロングノーズにファストバックのフォルムは遠くからでも目立つ。ボディはスチール製だが、スプーンでえぐったように窪んだ特徴的なヘッドライトまわりのノーズコーンは成形しやすいFRP製だった。プラスティック製のライトカバーもオプションとして用意されている。

ボディサイズは、当時のポルシェ911やトヨタ2000GTとほとんど変わらない大きさだ。Zは全長4115mm×全幅1630mm×全高1285mmである。

デザイナーの松尾良彦はもう少し背を低くしたかったようだが、エンジニアの意見を取り入れてこの全高に落ち着いたという。

じつは、このスポーツクーペ・スタイルを提案していたのが、アメリカ日産の社長だった片山 豊である。ミスターKのニックネームで愛され、のちにアメリカで自動車殿堂入りする熱血漢だ。

北米にはスポーツカー文化が根づいており、世界一のマーケットだった。日産の川又克二社長はフルオープンと4人乗りにこだわった。だが、アメリカの自動車事情を知り尽くした片山 豊は、快適性と安全性の観点から1970年代はクローズドボディのクーペの時代になると説いた。開発の初期にはシルビア的なデザインの2+2モデルの案もあったが、片山 豊は一蹴し、S30フェアレディZの原型となる案を推している。

量産パーツのチューニングと共用化で高性能とロープライスの両立を実現した

Zに搭載されたパワーユニットは、チューナーから名機と言われ、スカイラインやセドリックなど多くの日産車に積まれたL20型直列6気筒SOHCだ。基本設計は同じだが、細かい改良を施しドライバビリティを向上させている。

シリンダーヘッドは燃焼室形状を変え、圧縮比を高めるためにドーム加工を施している。また、ピストンは中央が膨らんだ樽形だ。クランクシャフトとコンロッドのメタルは、高回転で使うことを意識してF770メタルを採用。5ベアリング支持のカムシャフトを組み込み、吸気、排気が1本ずつの2バルブ方式である。

ボア78.0mm、ストローク69.7mmで、総排気量は1998ccだ。これにSUタイプのキャブレターを2基装着し、圧縮比は9.5とした。ラジエータの温水を利用した加熱式のインテークマニホールドも、吸気の流れを考えて設計されている。エキゾーストマニホールドは、3気筒ずつをまとめたデュアルタイプ。ブローバイガス還元装置は、コントロールバルブを用いた仕様だ。

プレミアムガソリン仕様は、最高出力130ps/6000rpm、最大トルク17.5kgm/4400rpmを発生した。1970年秋に加わったレギュラーガソリン仕様は圧縮比が8.6となり、最高出力125ps/最大トルク17.0kgmとわずかにスペックがダウンしている。

デビュー時のトランスミッションは、マニュアルだけの設定だ。ベースグレードのZはワーナーシンクロの4速MT、上級のZ-LはZ432と同じポルシェシンクロの5速MTとしている。ギア比は、4速のZがスカイライン2000GT(GC10)と同じだ。メーカーオプションで5速MTも選択できた。

プロペラシャフトは、標準のZがフェアレディ1600(SP311)と同じ構造、5速MTはフェアレディ2000(SR311)と同じ構造だが、長さは異なっている。

ディファレンシャルは、初代ローレル(C30)のユニットをベースに、ファイナルレシオはZが3.700、Z-Lは3.900とした。Z432と違ってノンスリップデフは装備されていない。最高速度はZ-Lのプレミアムガソリン仕様が195km/hだった。Z-Lに3速AT車が加わるのは1970年10月である。

サスペンションは一気に革新が進んだ。フロントは、C30ローレルのものと似た形状のストラット式を採用するなど、流用されているパーツも意外に多い。

コイルスプリングは、3タイプを設定。ZとZ-Lは同じ仕様だ。Z432は専用で、バネ定数だけでなく長さも異なる。レーシングタイヤを履くことを想定しているから、取り付け長は23mm短い。このほかにエアコン装着車用のスプリングも用意されていた。

スタビライザーはトーションバー式で、アクスルの部分はスカイラインのGT系と同じだ。趣味性の強い少量生産車のため、ブッシュやブラケットなどの取り付け部品は510ブルーバードと互換性を持たせ、コスト低減に励んでいる。

リアも構造はC30ローレルのフロント部分と似たストラット式サスペンションである。だが、キャンバー角の変化が少なく、トー変化もないように専用設計とした。キャンバー角はZ-LとZ432とでは違うが、どちらもネガティブキャンバーが付いている。

スポーティなコクピットデザインはグランドツアラーとしての快適性も重視

S30フェアレディZのチャームポイントのひとつ、それはコクピット感覚あふれるスポーティで華やかなインテリアだ。クローズドボディを採用し、快適性にも力を入れたことでグランドツアラー的な性格も強くなっている。メーターの視認性などにもこだわった。また、女性ユーザーも多いからAT車とエアコンは絶対に設定してほしい、とアメリカからリクエストがあったため、早くから設置場所などの検討を行っている。

それだけではない。北米をメインに販売するスポーツカーのため、安全対策と安全装備の充実にも力を注いだ。厳しいアメリカの自動車安全基準(MVSS)を満たすためにボディ構造などを何度も検証し、インパネは厚いソフトパッドで覆っている。また、衝撃吸収ステアリングや3点式シートベルトなどの安全装備も率先して採用した。

ドライバーの前には独立式メーターパネルが装備され、大型のスピードメーターとタコメーターが組み込まれている。センタークラスター上部には時計と2種類のコンビネーションメーターが並ぶ。独創的かつ精悍なデザインで、クルマ好きにとっては憧れのコクピットだった。このインテリアに魅了されたデザイナーも少なくない。3本スポークステアリングもセンスのいいデザインだ。

シートはヘッドレストとシートバックが一体型のハイバックタイプで、ポジションやスライド量、ペダルとの位置関係についても入念にチェック。シートのスライド量は180mmと大きく取り、体格に関わらずベストポジションを取れるように配慮している。ちなみに海外は大柄な人が多いと判断し、輸出仕様はシートレールを60mm後方に取り付けている。

センターコンソールも大きく見栄えのいいデザインだ。写真は前期型だが、後期型では灰皿の位置やスイッチ類の配置などが異なっている。ラゲッジルームのレイアウトや積載容量などもライバル車のお手本になるでき栄えだった。

アメリカ市場の趣向を知り尽くした男がフェアレディZを誕生させ成功させた

日本でZの販売が軌道に乗った頃、北米ではダットサン240Zが爆発的な販売台数を誇っていた。もちろん仕掛け人はフェアレディZの生みの親、「Z‒carの父」と呼ばれた北米日産の社長である片山 豊だ。

ダットサン240Zは、1970年からアメリカで発売を開始している。ベースモデルの価格は3596ドルだ。ポルシェ911の半分のプライスタグを付け、パフォーマンスは911に肉薄。売れないはずがない。

発売直後から注文が殺到し、アッという間にバックオーダーを抱えた。空前の大ヒットとなり、販売台数は毎月のように記録を更新していく。そして1年足らずでヨーロッパ製スポーツカーは、脇役に押しやられてしまったのである。

当然、好調な販売を続けている240Zのニュースは日本にも伝わってくる。しかも日本のレース界では日産ワークスが、主力マシンをZ432‒Rからダットサン240Zに切り替えていた。走らせると速く、扱いやすいからだ。

日産社内にはファンからのラブコールが届くようになる。その熱い声に応え、1971年10月に日本でも240Zを発売すると発表したのである。

日本でのネーミングは「フェアレディ240Z」だ。ヨーロッパ仕様に準じているが、日本専用モデルを設定し、Zファンを喜ばせている。それが精悍なフォルムにドレスアップした240ZGだ。

外観で目を引くのはグランドノーズと名付けたFRP製のノーズコーンとヘッドライトカバーで、高速安定性を大きく向上させた。

全長は240Zより190mmも長い。4輪に分厚いオーバーフェンダーを装着し、175HR14のラジアルタイヤを履かせることで強い存在感を放っていた。

パワーユニットはボアを83.0mmに広げ、ストロークを73.7mmに延長した2393ccのL24型直列6気筒SOHCだ。吸・排気ポートとバルブの径を広げるとともに、バルブシートの材質を変更してオクタン価の低いレギュラーガソリンに適合させている。

SUツインキャブレターの口径は、他のL型エンジンより大きい46mmに変更されている。最高出力は150ps/5600rpm、最大トルクは21.0kgm/4800rpmだ。パワーバンドが広く、実用域のトルクも太いから運転しやすかった。

ショーに出展され発売が期待されたが幻となってしまった260Z 2by2

240Zには、5速MTと3速ATの2タイプのトランスミッションが設定されていた。ちなみに、240Zが加わったとき、Zの4速MTは改良され、ギア比も見直した。また、Z432のファイナルレシオも変更されている。プロペラシャフトが長くなり、ブレーキのマスターシリンダーも更新された。

1973年10月にマイナーチェンジが行われた。フロントバンパー下のランプ類やリアコンビネーションランプのデザインを更新している。ラジエータの冷却性能も高めた。残念なことは、Z432と240Zの販売終了がアナウンスされたことだ。

しかし、直後に開催された第20回東京モーターショーで日産はリアシートを備えた260Zの2by2を参考出品している。Zのホイールベースを300mm延長し、狭いながらも後席の居住スペースを稼ぎ出した。2シーターのZとはリアピラーの形状が異なるが、まとまりのいいデザインだった。エンジンはL26型直列6気筒SOHCを積んでいた。

排ガス対策を施しても軽快な走りを楽しめると期待したが、オイルショックの襲来によって260Zの国内販売は白紙に戻されている。1974年1月に発表された日本仕様の2by2は、レギュラーガソリン仕様のL20型直列6気筒エンジン搭載車だ。重量が増えたためブレーキのサーボアシストが大型化された。

1975年秋、電子制御燃料噴射装置のEGIや触媒コンバーター、EGR(AT車)を採用して昭和50年排ガス規制をクリアしている。エンジンはNAPSと呼ばれるL20E型だ。1976年7月には51年排出ガス規制も乗り切った。型式はS31になり、豪華なオーディオや電動ミラー、パワーウインドウ、アルミホイールなどを加えたZ‒Tを送り込む。

1978年まで9年間にわたって量産スポーツカーの王者に君臨し、国内外のスポーツモデルに大きな影響を与えた。その生産台数は54万台。今なお影響力を持ち続ける偉大なスポーツカーがS30フェアレディZだ。

フェアレディ Z-L(S30)
●年式:1970
●全長×全幅×全高:4115mm×1630mm×1285mm
●ホイールベース:2305mm
●車両重量:995kg
●エンジン:L20型直列6気筒SOHC
●総排気量:1998cc
●最高出力:130ps/6000rpm
●最大トルク:17.5kgm/4400rpm
●変速機:5速MT 
●サスペンション(前/後):ストラット/ストラット 
●ブレーキ(前/後):ディスク/リーディングトレーリング
●タイヤ:6.45H1

フェアレディ 240ZG(HS30H)
●年式:1971
●全長×全幅×全高:4305mm×1690mm×1285mm
●ホイールベース:2305mm
●車両重量:1010kg
●エンジン:L24型直列6気筒SOHC
●総排気量:2393cc
●最大出力:150ps/5600rpm
●最大トルク:21.0kgm/4800rpm
●変速機:5速MT
●サスペンション(前/後):ストラット/ストラット
●ブレーキ(前/後):ディスク/リーディングトレーリング
●タイヤ:175HR14

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