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新型「プリウス」登場で見直したい「国産4ドアセダン」とは? 姿カタチのよかった隠れた名車を紹介します【カタログは語る】

トヨタ アリストの最大のポイントは、何といってもイタルデザイン(G・ジウジアーロ)の提案を元に作られたエクステリアデザイン

スタイリッシュなセダンを紹介

2023年これまでに登場した国産新型車の中でダントツのスタイリッシュさを誇るクルマは? と訊かれたら、迷わず新型プリウスの名を挙げたい。ハッとさせられた、息を飲んだなど表現はいろいろできるが、ともかく理屈抜きでカッコいい。開発エンジニアによれば量産型の原形となった1枚のスケッチをすべての部署で共有し、このスタイルに見合う走りに仕上げよう……と開発を進めたそうだ。プリウスとしてまさに生まれ変わっただけでなく、4ドアセダン(プリウスは厳密には5ドアだが)として「乗りたい」と思わせられる魅力に溢れている。そんな新型プリウスをキッカケとして、ふと、これまでの国産4ドアセダンでスタイリッシュだと思えたクルマにはどんな車種があっただろうか? と思った。そこでここではカタチにこだわる(!?)筆者が独断で選んだ“姿カタチがよかった国産4ドアセダン”を取り上げてみたい。

トヨタ アリスト(1991年・初代)

まず1台目は初代アリスト(1991年)。このモデルは1991年10月、クラウンが9代目にフルモデルチェンジを果たした際に登場した上級車のマジェスタ同様のモノコックボディを採用し、全長4865mm×全幅1795mm×全高1420mmの豊かなボディサイズで、2780mmのホイールベースもマジェスタと共通だった。車名は“アリストクラート(貴族)”に由来する。

そして同車の最大のポイントは、何といってもイタルデザイン(G・ジウジアーロ)の提案を元に作られたエクステリアデザインだった。実はカタログにも広報資料にもそのことは明記されておらず、筆者は登場時のトヨタのデザイナーへのインタビューの場でそのことを聞き、イタルデザインから届いたキースケッチも見せてもらい「おぉ!」と感嘆した。イメージがまったく違う案もあった中で、イタル案が採択され、さらに個性的なキャビン形状をはじめ、よりリファインされて量産の形になったのが初代アリストだった。

ユーノス500(1992年)

次はユーノス500(1992年)である。ご存知ユーノス・チャネルの専売車種として登場したモデルで、同時期の共通プラットフォームを用いたマツダ車が軒並み3ナンバーだったのに対し、唯一の5ナンバー車だった。高機能ハイレフコートと呼ばれた4層からなる高品質な塗装を採用し、その塗装が施されたしっとりとなめらかな曲面で構成されたボディは、その時の流行やライバル(の存在がなかった分、それ)を意識した風でもなく、エレガントな個性を楽しませてくれた。

日本市場での販売期間は1996年までと短くもったいなかったが、欧州では“Xedos 6”として展開し、1999年まで販売が続いた。カタログは当時のユーノス・チャネルの他車と共通のスクエアなサイズで、前半の写真部分はフォトアルバムのような構成だった。

ホンダ アコード(1989年)

発売時期は前後するが、1989年に登場した4代目アコードのセダンも均整のとれたプロポーションをもつエレガントな4ドアセダンだった。リトラクタブルライトの3代目からの一新だったこともあり、当初はコンサバティブにも映ったものの、薄いフロントノーズと広く明るいグラスエリアはこの時代のホンダ車の典型のひとつ。アスコット・イノーバ(1992年)、ローバー600(1993年)など同じ出自のクルマも存在するが、実際に運転すると最小回転半径が小さくないことが唯一のウイークポイントに思えた。アメリカで開発、生産されたクーペとワゴンもセダンと同様に姿カタチのいいクルマだった。

日産 マキシマ(1988年)

マキシマはもともとはブルーバードの上級モデル(およびアメリカ市場向けモデル)だったが、1988年のJ30型から、日本市場でも独立したマキシマとして展開。実車は全幅1760mmの3ナンバーサイズながら、いたずらに豪華さを追わず、シンプルでゆとりのある大らかな佇まいが魅力だった。カタログではアメリカナイズされたベージュメタリックをイメージカラーとして設定。V6の3Lエンジンを搭載し、走りの味わいもスタイルに見合ったゆったりとしたものになっていた。

日産プリメーラ(2001年・3代目)

プリメーラというと初代のP10も機能に基づいたクリーンなスタイルに好感がもてた。だが、2001年に登場した3代目は、あっと思わせられる斬新なスタイリングが今でも個性に溢れて見える。カタログにも自ら“ひとつの塊から、削りだしていったような優美でダイナミックなモノフォルムシルエット”と表現しているとおり、近未来的なシルエットは当時としては内外のどのセダンとも似ていないもの。

さらにこのクルマの場合はインテリアも奮ったデザインが採用され、インパネのほぼ全体を覆うナセルの下にアナログ3連メーター(個々にドライバーのほうに角度がつけられていた)を配置し、7インチワイド液晶モニターと集中コントロールスイッチを置く今見ても先進的なデザインを採用していた。

Will Vi(2000年)

もう1台、国産4ドアでとびきりの個性を発揮したモデルとして忘れてはならないのがWill Viだ。異業種コラボの一環でトヨタが作ったWillシリーズの中でも、返す返すも生産終了が惜しいと思ったクルマ。ベースとなった初代ヴィッツもラテン系をはじめとした当時のヨーロッパ車と肩を並べる個性が魅力のモデルだったが、このWill Viは、これだけ独創的ながら実用になるコンパクトな4ドアはかつてあっただろうか? と思わせられた。ベンチシートによるリラックスムードもよかった。さながら“走るアート作品”であり、復刻を望むとしたら真っ先に車名を挙げたい……と思う1台。

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