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「川越ベンツ」はフェラーリと同じコノリーレザーを採用! ホンダ初代「プレリュード」はまさしくデートカーの前触れでした【カタログは語る】

ロングノーズ&ショートデッキ、1290mmの低全高のプロポーション

人気の道筋を作った初代プレリュード

初代のホンダ プレリュードが発売されたのは1978年11月24日。当時のホンダのプレスリリースには「スポーティタイプの2ドア・フィックストクーペ」とタイトルされていた。ホンダにとっては1969年から1974年にかけて発売された1300/145クーペ以来の2ドアパーソナルクーペであり、新型車としては、初代アコード(1976年)、アコード サルーン(1977年)に次ぐモデルだった。

川越のベンツと呼ばれたプレリュード

車名のPRELUDEは「前奏曲」「先導する」といった意味。プレスリリースにある簡潔な説明には「前席を重視した4人乗りの室内、国産車で初めての電動式サンルーフを標準装備(Eタイプ除く)、みやすく配慮した世界でもまれな集中ターゲットメーターなど、数多くの新しい技術を採用。パーソナルライフを楽しむための2ドアフィクストクーペである」とある。

クルマそのものはアコードをベースとした上で、サスペンションなどを専用化しており、たとえばホイールベースはアコードより60mm短い2320mmの設定、トレッドはフロントが同じ1400mm、リアが20mm広い1410mmとしていた。サスペンションはストラット式4輪独立式で、前後にスタビライザーを装着。

ロングノーズ&ショートデッキ、1290mmの低全高のプロポーションは、軽快ながらおおらかなイメージのアコードとは好対照で、シャープに引き締まった印象。登場前、2+2のコンパクトなキャビン形状などから、当時のメルセデス・ベンツ450SLCを引きあいに「川越ベンツ」などと言われたが、今見るととても個性に溢れ、この時代のクルマがいかに独創的に作られていたかを感じさせるスタイルだ。

国産車初の電動式サンルーフを採用

一方でインテリアでは集中ターゲットメーターと呼ばれた、スピードメーターとタコメーターの指針を同軸上に配したユニークなメーターが売りのひとつだった。これは1979年7月登場の2代目スーパーシビックにも受け継がれたアイテムのひとつ。このメーターの側面部分には、ダイヤルでチューニングとボリューム調節を行なう(音質調節は手前側のダイヤルで行なう)方式のロータリー式AM/FMマルチラジオも備えられた。

それと何といっても注目を浴びたのは国産車初電動式サンルーフがXT、XR、XEグレードに標準装備された点。ルーフパネル寸法はタテ521mm×ヨコ905mmと、コンパクトなキャビンに対しワイドな開口部分を提供してくれるこのサンルーフは、以降、追従した国産車が現れたことからも、特別感のある装備でもあった。オープン時の風の巻き込みを防ぐディフレクターも備え、「指先で軽くボタンを押せば、ルーフパネルがスルスルと動きだし、離せば止まる扱いやすい電動式(カタログの文面より)」というもの。1980年1月になるとサンシェード付きのガラスサンルーフ仕様も登場している。

またサンルーフの設定もあり、モノコック構造のボディの剛性への配慮も入念で、フロントとリアのピラーサイドルーフレールは2重の構造としたほか、ルーフ全体やフルドアの構造も強化したものとし、キャビンの安全確保が図られていた。

コノリー社製レザーシートを装着

当初の搭載エンジンはアコードにも搭載された1.8L(1750cc)のCVCC。90ps/13.5kgm(マニュアル車)のスペックを持つユニットで、エイトバランスウェイト採用のクランクシャフトの採用を始め、「回転と往復運動部分のバランスを綿密に調整し、振動発生を低く抑え、静かなエンジンとした(ニュースリリースより)」パワーユニットだった。

トランスミッションには5速MTのほか、ATはこの時代のホンダ車らしく★(スターレンジ)付きのホンダマチックが用意された。

それからもうひとつ、装備の話になるが限定生産仕様として本皮革シートの用意があったのだが、これが何とコノリー社製レザーシートだった。カタログの文面には「外国製高級本皮革を使用したシートを別途に用意しました」とだけ書かれているのだが、そのページの写真をよくよくみればフロントシートのサイドに金色の文字で刻印されたCONNOLLYのロゴがしっかりと写っていた。残念ながら筆者はトリコット地の普通のシート表皮の実車にしか座ったことがないが、独特のしっとりとした風合いがプレリュードのパーソナルな室内空間にさぞ合っていたことだろう。

初代プレリュードは海外でも展開され、当時、海外の自動車雑誌でVW初代シロッコとの比較試乗レポートが載っており、ハンドリングの優秀性などが評価されていた。ただし日本市場では爆発的なヒット作だったかというと、必ずしもそうではなかった。「HONDAが走りの質を変えた。ハード・エレガンス感覚──プレリュード。Intellectual Sexy」とは、カタログの差トップにあったコピー。プレリュードの名のとおり、2代目、3代目の人気のまさに前触れ、または道筋を作ったのがこの初代プレリュードだった。

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