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2億5000万円! ポルシェ「959コンフォート」のバリモノは日本にあった個体でした

171万USドル(邦貨換算約2490万円)で落札されたポルシェ「959コンフォート」(C)Courtesy of RM Sotheby's

素性がハッキリした1台だった

2023年8月17日〜19日、RMサザビーズがアメリカ・モントレーで開催したオークションにおいてポルシェ「959コンフォート」が出品された。今回はいくらで落札されたのか、同車について振り返りながらお伝えしよう。

最終的には292台が世に送り出された

1986年に発売されたポルシェ959は、トルクスプリット式フルタイム4WDシステムを採用した、ポルシェのグループBホモロゲーションモデルだ。

いまでももちろんそうなのだが、ポルシェとモータースポーツの関係は深い。プロトタイプカーはもちろんだが、市販モデルをベースとしたレーシングマシンも古くから作り続けている。だから、ということがあるのかどうか、ポルシェにはフェラーリやランボルギーニとは違う、武人の蛮用に耐える、といったイメージがあり、それこそがポルシェの魅力なのではないかと、個人的には思っている。

そんなポルシェがWRCへの参戦を目指して開発を続け、1983年に発表をしたのがグルッペBというグループB車両。その後このマシンは、グループBの消滅に伴ってパリ・ダカールラリーへ、953として参戦した。1985年のパリダカに参戦した959も、ベースとなっているのは953だった。翌1986年、3度パリダカに参戦したマシンは、開発中だった市販用959をベースとしたもので、ここで得た実績と人気から、市販化が決定している。

搭載されているエンジンは、グループCカーである962C用935/82型をベースとした、2.85Lツインターボ。シリンダーヘッドのみを水冷としたこのエンジンは、将来的なレース参戦をにらんで排気量が決められたもので、ターボは低回転用と高回転用をシームレスに制御する、シーケンシャル式が採用されていた。

サスペンションはラリーも考慮した車高調整式で、地上高を3段階で設定できるのに加えて、減衰力も電子制御で調整が可能となっている。ボルグワーナー製の6速マニュアルトランスミッションには、スタック時の脱出や悪路走破性から、エクストラローギアも加えられている。

PSK(ポルシェ・シュタイヤー・クップルング)と呼ばれる4WDシステムは、最大で80%のトルクを後輪へと振り分けることができるようになっているほか、タイヤの内圧を監視するTPMSも装備されているし、そのタイヤは959のためにつくられたランフラットだった。17インチのマグネシウムホイールも専用開発されたもので、これら当時としては最先端の技術を盛り込んだ959は、当初200台の限定販売という予定だったが、注文が殺到したため最終的に292台が販売された。

走行距離は9500km弱

今回RMサザビーズオークションに出品された959は、エアコンやレザーシートなどを装備した、コンフォートだ。1987年に製造された959コンフォートは106台といわれていて、その中の1台となる。

その履歴ははっきりしている。ドイツで不動産業や建設業を営んでいたフランツ・サリンガー氏が最初のオーナーで、1988年8月、工場から直接納車されている。ダークグレーのレザーインテリアとポーラシルバーのボディカラーは、氏のリクエストによるものだ。

その後この個体は約30年前、日本へと輸出されている。そのオーナーは1972年式911Sや964型の911に加えて、ポルシェ356も所有しているエンスージアストだった。そのため959に乗るのは、深夜の高速道路が主だったそうで、走行距離も9500km弱と、欧米の感覚ではほぼほぼ走っていない状態となっていた。ただしRMサザビーズのカタログには、エンジンは始動するが公道走行のためには整備が必要というノートが付されている。

そんな個体に付けられたエスティメートは、それでも100万USドル〜150万USドル(邦貨換算約1億4800万円〜2億2100万円)というものだったが、ハンマープライスは171万USドル(邦貨換算約2億5000万円)とエスティメートよりも高額となった。

300台に満たない生産台数である希少車で、当時の最先端技術を惜しみなく盛り込んだコンペティションベース車ということを考えれば、まっとうなプライスと言っていいだろう。バブル景気もあって、959はかなりの数が日本に上陸していたようだが、最近ではめっきり公道で見ることもなくなった。日本に残存する車両は程度がよく、価格が高騰していることもあって海外へ流出している一例である。

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