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日産「パルサーGTI-R」の現役当時はホットハッチ天国でした。実は開発ドライバーは木下隆之さんだったの知ってました?

ノスタルジック2デイズでパルサーGTI-Rを発見!

パシフィコ横浜で2024年2月17日~18日に開催された「ノスタルジック2デイズ」は、旧車や絶版車を主役とした一大モーターショー。全国的に有名なスペシャルショップ、パーツメーカー、レストアのスペシャリストなどが出展し、車両展示とともに限定グッズ販売なども行っていました。今回は、1990年にデビューした日産4代目「パルサー」のホットバージョン、「パルサーGTI-R」を紹介します。

今や希少な存在になった往年のホットハッチ

ホットハッチと呼ばれる国産車は、今でこそスズキ「スイフトスポーツ」とトヨタ「GRヤリス」ぐらいになってしまったが、かつては選び放題という時代があった。そんな群雄割拠の1990年に登場したのが、日産「パルサーGTI-R」だ。4代目パルサー(N14型)の最高性能車であったこのホットハッチは、年産5000台以上の量産車で争われるグループA規定での世界ラリー選手権(WRC)への参戦を前提に開発されたモデルである。

最高出力230psを発生する2LターボのSR20DET型エンジンをフロントセクションに搭載し、4輪駆動力最適制御システム「ATTESA」による4WDの採用も特徴としていた。

SR20DET型エンジンが他の同型エンジン搭載車に流用されるなどして、パルサーGTI-Rは現存数が少なく、街中で遭遇する機会がほぼ皆無になっていたが、ノスタルジック2デイズのミハラ自動車M:CRAFTブースで発見。内外装ともノーマルにこだわって仕上げたというディテールを確認させてもらった。

木下隆之さんが開発ドライバーを担当していた

ミハラ自動車M:CRAFTブースではWRC参戦ベースモデル車両の展示販売が実施されていたので、ほかにもトヨタST165型「セリカGT-FOUR」、三菱E39A型「ギャランVR-4」、スバルGC8型「インプレッサWRX Sti」、三菱CE9A型「ランサーエボリューションII」も並んでいたが、何ゆえに日産パルサーGTI-Rをチョイスしたのかというと、現場にレーシングドライバーであり、モータージャーナリストでもある木下隆之さんがいたからだ。

AMWでも連載コラムを執筆している木下隆之さんといえば、かつて出版社退社と同時に日産契約ワークスドライバーとなり、戦いの場を海外にも広げたことで知られているが、じつは往時にパルサーGTI-Rのテストドライバーとして開発に携わっていたのである。

63歳を迎えた今でも現役のレーシングドライバーとして活躍している木下さんがまとめあげたパルサーGTI-Rは、日産ワークスのラリーウェポンとして1991年シーズンからWRCに参戦。1992年のスウェディッシュラリーで地元出身のラリードライバーであるスティグ・ブロンクビストが奮闘し、総合3位に入賞した。グループAよりも改造範囲が狭いグループNでは、この年の年間タイトルを獲得し、高いポテンシャルを証明している。

競技車両としてはたった2年の活動で終わったので短命となったパルサーGTI-Rだが、ロードカーのほうは個性的な外観の高性能ホットハッチとして高い人気を博し、1995年に5代目N15型パルサーがリリースされるまでカタログ落ちしなかった。ミハラ自動車M:CRAFTでは、全塗装施工車両である1994年式のパルサーGTI-Rを販売しているので、我こそは、と思ったWRCファンは福岡県北九州市に赴き、現車を確認してみるといいだろう。

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