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世界に1台のフォード「サンダーバード」が6900万円で落札! のショーカー「イタリアン」が生まれた時代的背景とは?

45万6000ドル(邦貨換算約6900万円)で落札されたフォード「サンダーバード イタリアン ショーカー」(C)Courtesy of RM Sotheby's

アメリカがイタリアに憧れた時代を象徴するサンダーバード

1950年代末から1960年代初頭にかけて、アメリカではちょっとしたイタリアブームが巻き起こっていました。イタリアのファッションはもちろん、音楽や美食、映画などあらゆるカルチャーがアメリカに流入し、とくに先鋭的な人々を魅了していたといいます。そのムーブメントはデトロイトの「ビッグ3」をもつき動かし、この時代の合衆国全土で隆盛を極めていたモーターショーでも、イタリアのカロッツェリアを登用した、あるいはイタリア風のデザインを表現したショーカーが数多く作られていました。今回AMWでは、2024年3月1~2日にRMサザビーズ北米本社がフロリダ州マイアミ近郊の町、コーラルゲーブルズにある歴史的なビルトモア・ホテルを会場として開催した「MIAMI 2024」オークションにて異彩を放っていた、1台のショーカーに注目。そのモデル概要と、オークション結果についてお伝えします。

イタリアンテイスト、でもアメリカのホットロッド流儀に従ったショーカー?

「サンダーバード イタリアン」と名づけられたワンオフのショーカーは、1960年代初頭のフォード社内で高まっていた2つのムーブメントから生まれた。

ひとつはヘンリー・フォード2世がフェラーリの買収を試み、ジャンニ・アニェッリのファッションと奔放さに憧れたように、フォード社内でもあらゆる分野でイタリア的なものが台頭し、否定できない影響力を持つようになったこと。

もう一方は、のちに「トータル・パフォーマンス」と呼ばれるようになる、モータースポーツとパワーへの全社的な傾倒。こちらは、同社の軽量ドラッグレーサー「サンダーボルト」や高性能エンジン部品の多くを製造することになる「ディアボーン・スティール・チュービング(DST)」が少なからず支えていたという。

かくして、イタリア式モードにインスパイアされ、DSTで誕生した「イタリアン(Italien:フランス語表記)」は、1963年から1964年にかけてデトロイトを舞台として開催されていたホットロッド・ショー「オートラマ」や、フォードの主要ディーラーを訪問した見学ツアー「カスタムカーキャラバン」にも展示されたことから、一般的にはカスタムカーのように受け取られていたといわれている。

それは、将来のスタイリングの方向性を予測したりテストしたりするためのコンセプトカーではなく、むしろフォードが当時のアメリカで急成長中だった「カスタム・カルチャー」に注目していることを示す、文字どおりのショーカーだったからである。

サンダーバード イタリアンの製作は、ディアボーンの市販車工場からDST施設に直送された新品の1962年型サンダーバード コンバーチブルをベース車両として着手。そこで才能あふれるヴィンス・ガードナーの指揮のもと、「フォード・スタイリング」部門で描かれた流麗なファストバックのルーフラインをはじめ、今も昔もカスタマイザー好みの素材であるグラスファイバーで成形するなどのモディファイが施された。

さらにガードナーとDSTは、1963年型サンダーバード用のフロントフェンダーとドアを追加し、ホイールまわりのリアフェンダーオープニングの形状を変更。

フェラーリにインスパイアされたといわれる、ウインカーを部分的に隠すエッグクレートグリル、クロームメッキされたフードモール、「エンジンターンド(きさげ仕上げ)」メタルをサイドにあしらったサイドベント、リアシートのヘッドレストをはめ込んだインテリア、クロームメッキされたモール、ヘッドライナーやリアパッケージトレイにまで多用されたレザーなど、約80点ものカスタムトリムを取り付けた。

そのすべてを、当時の「オートラマ」ファンなら誰でも知っていた、深みのある「キャンディアップル・レッド」塗装で仕上げ、まるで濡れたような光沢を放っていた。

こうして完成したイタリアンは、1964~1965年のニューヨーク万国博覧会における「カスタムキャラバン」や「カスタムカーキャバルケード」に参加。また、『スピード・アンド・カスタム』誌1963年6月号の表紙を飾るなど、多くの自動車専門誌でも紹介された。

奇跡的に遺されたショーカーとしてはリーズナブルな6900万円で落札

「カスタムキャラバン」ツアーと広報活動を終えたのち、サンダーバード イタリアンは解体される運命にあり、フォードのリリースにもそのように記載されていたという。

ところが、自身の作品を大切にし、確実に存続させるためにあらゆる努力を払うことで知られていたヴィンス・ガードナーの尽力により、いったんはDSTに戻されたのち、当時『ウェルズ・ファーゴ物語』などで人気を博していた西部劇スター、デール・ロバートソンに引き取られることになった。

ロバートソンは1965年まで南カリフォルニアでイタリアンを愛用したあと、庭師のウィリアム・ワーナーに譲り、1974年にはジョー・ナヴァロがオーナーとなる。ナヴァロはこのクルマをより繊細なダークブルーに磨き直し、ロサンゼルスで何年ものあいだ日常的な足として愛用したといわれている。

そして1989年、このイタリアンの存在を知り、何年も追いかけていたドン・チェンバースから、ナヴァロは売却するよう説得されることになる。チェンバースは当初、別のサンダーバードとの交換を持ちかけたという伝説があるが、ナヴァロはけっきょく現金を受け取ったといわれている。

しかし、苦労の末に手に入れたはずのチェンバースは、残念ながらこのワンオフ車のレストアには手をつけず、16年間イタリアンを保管したあと、2005年に愛好家のトム・マルスカに売却した。

この時点で、サンダーバード イタリアンにはかなり風化の痕跡が見られたものの、マルスカはボンネットのリップモール以外に完全なレストアを施し、オリジナルを巧みに再現することにした。インテリアはオリジナルと同様の素材とパターンで適切に修復され、メタルトリムは新品同様に修復。メタルトリムにはエンジンターンド仕上げが再び施され、ボディは正しい「ディープ・キャンディアップル・レッド」で塗り直された。

レストアが完了してから数カ月後の2008年1月、このイタリアンは世界最高峰のミュージアム「ブラックホーク・コレクション」に売却され、それ以来は彼らのプライベート・コレクションとして保存。2010年代にはディスカバリーチャンネルで制作された『幻のコンセプトカー大全集(日本版タイトル)』で特集されていたことも記憶している。

さらに最近リフレッシュされ、見る者を圧倒する美しさを保っているこのショーカーについて、RMサザビーズ北米本社は次のようにコメント。

「フォードの最も重要な時代の幕開けに渦巻く力から生まれ、当時から現存する数少ないファクトリーショーカーのひとつであるワンオフ車両は、スチールとファイバーグラス、クロームメッキ、そして輝くキャンディアップル・レッドで歴史に刻まれた歴史的遺産である」

という謳い文句とともに、40万ドル~60万ドルのエスティメート(推定落札価格)を設定した。そして実際の競売では45万6000ドル、日本円に換算すると約6900万円という価格で競売人の掌中のハンマーが鳴らされることになったのだ。

アメリカ国内はもちろん、英国やヨーロッパ大陸のコンクール・デレガンスでもアイドルの座に就く資質を持ったクルマであることを思えば、この落札価格はなかなかリーズナブル……? という見方もあるだろう。

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