1971年式 メルセデス・ベンツ 280SEL
「クラシックカーって実際に運転してみると、どうなの……?」という疑問にお答えするべくスタートした、クラシック/ヤングタイマーのクルマを対象とするテストドライブ企画「旧車ソムリエ」。今回は、「Sクラス」と正式に名乗る以前のメルセデス・ベンツ製エグゼクティブ向けセダン、「280SEL」のステアリングを握るチャンスに恵まれました。
Sクラスを名乗る前のSクラス、メルセデスW108シリーズとは?
ダイムラー・ベンツ社は今から60年前、1965年のフランクフルト・ショーにおいて、大成功を収めた先代「W111(コイルばね仕様)/W112(エアサス仕様)」シリーズに代わる、新開発のラグジュアリーセダンを発表した。
「W108」のコードナンバーが与えられた新型メルセデス・ベンツは、自動車デザインの嗜好が急速に変化した1960年代のトレンドに対応することを責務としていた。
そこで、ダイムラー・ベンツ社に所属する2人のデザイナー、第二次大戦前からメルセデスのスタイリングを主導してきたフリードリヒ・ガイガーとフランス人の若手ポール・ブラクは、同じく彼らの作品である先代W111系「ヘックフロッセ」(日本でいうハネベン)のシンボルだったテールフィンを、新たなW108系ではいさぎよく取り去ることとした。ほかにも1960年代のトレンドに従ってウエストラインを低めて、ドア幅を広くするなど、あまり目立たないエクステリアのブラッシュアップも行われた結果、薄くなったルーフも相まってモダンかつコンテンポラリー、洗練されたアピアランスを得るとともに、室内空間もより広々としたものとなる。
ただし、シャシーは旧W111系を継承したもので、前ウィッシュボーン+コイル/後スイングアクスル+コイルのサスペンションも踏襲されていた。
パワーユニットは、旧W111系の「220S」に搭載されていた直列6気筒4ベアリングSOHCの2.2Lユニットを拡大するとともに、7ベアリング化など大幅なモダナイズが施された新世代2.5Lと、旧W112型「300SE」から踏襲された直列6気筒SOHC 3.0L+インジェクションが用意され、前者のキャブレター仕様は「250S」、インジェクション版は「250SE」。そして後者の3.0L版は「300SEb」と命名された。
ボディサイズは全長4900mm×全幅1810mm×全高1440mm。またこの世代からは、標準(ホイールベース2750mm)にくわえて、後席のレッグスペース拡充のためホイールベース/全長とも10cm延長した「L(ラング)」版がシリーズ最上級グレードの「300SEL」として設定。W108のコイルサスペンションに対し、先代300SEと同じくエアサスペンションが与えられたことから「W109」という独立した社内コードナンバーを名乗ることになる。
1967年になるとパワーユニットのリニューアルが図られ、250S/SEは2778ccにスケールアップした「280S/280SE」に進化し、初めて「SEL」も設定された。
いっぽう、1950年代初頭からメルセデスの最上級パワーユニットとして君臨してきた直6・3.0Lエンジンは、1960年代後半になると旧態化が隠せなくなっていた。また、最大のマーケットである北米ではV8が熱望されていたことから、1969年には3.5LのV型8気筒SOHCエンジンを搭載した「280SE3.5」および「280SEL3.5」が従来の3L版に取って代わり、1970年にはエアサス搭載の「300SEL3.5」も登場。
さらには、主に北米市場向けに「280SEL4.5」も短期間ながら生産され、1972年末に初めてダイムラー・ベンツ公式として「Sクラス」を名乗った「W116」シリーズにバトンタッチすることになったのである。
インテリアの設えから走りに至るまで、すべてが上質
今回の「旧車ソムリエ」取材のため、神奈川の「ヴィンテージ湘南」からお借りしたのは、W108系としては最終期にあたる1971年型の「280SEL」。同年に当時のメルセデス・ベンツ輸入代理店「ウエスタン自動車」が輸入し、同社の親会社である「ヤナセ」のネットワークで販売された正規輸入車とのことである。
メルセデス「Sクラス」の源流にあるモデルで、現行W223系Sクラスでいえば「S 500 ロング」や「S 450 d ロング」あたりに相当するグレード。欧米ではオーナードライバー向けのモデルながら、新車時代の日本では法人名義のショーファードリブン用途が多く、この個体もそういった用途に使用されていたと思われる。
この日、初対面した280SEL。全長はきっかり5mという堂々たる体躯ながら、昨今ではEセグメントでももっと大きなボディサイズのクルマは珍しくもなくなっているせいか、意外なほどコンパクトにも映る。この威圧感のなさに少しだけ安心しつつ、組み付け精度の高さを印象づけるドアを開いてキャビンに収まると、まず目につくのは、控えめながら豪華なフィニッシュ。ダッシュボード上のフェイシア前縁から前後サイドウインドウの周辺に至るまで、高い工作精度で削り出された無垢材のウッドパネルが貼り巡らされているのだ。
たとえば、同時代のロールス・ロイスやジャガーなどに比べてしまうと若干地味な仕立てと色合いながら、精度の高い工芸品のようなつくり込みには圧倒させられてしまう。また、サラッとした手触りのファブリック張りシートは、座面/背面とも「バンッ」と張った硬い感触。でも、体重を全面で巧みに受け止め、長距離でも疲れは最小限に抑えられるであろうことが即座にわかる。
そしてイグニッションキーを回すと、燃料噴射の恩恵かエンジンは一発で始動。操作にはちょっとだけコツを要するコラム式のATセレクターをDレンジまで降ろし、デフォルトどおり2速発進する。
この時代のメルセデスを特徴づけていた遊星ギア式のオートマティック変速機は、Dレンジに入れる、あるいはリバースに入れる際にもひと呼吸おいて反応する。したがって、発進時にも交代時にも「コンッ」とエンゲージするまで待たねばならないが、走り出してしまえばシフトショックもほぼ皆無。古き良き時代のメルセデスらしい重いアクセルペダルのせいか、直列6気筒エンジンの吹け上がりもかなり重々しいのだが、それはスムーズさと静粛性の高さによって、クラシック・メルセデス独特の上質感へと昇華されてしまう。
メルセデスの古典様式美は、最上のビジネスマンズエクスプレスとして昇華する
こうして280SELをしばらく走らせていると分かってくるのは、フロアからモノコックに至るまで全身ガッチリとしていること。一般には「剛性感」という言葉さえ知られていなかった時代のクルマながら、アスファルトの荒れた路面を走っても、インテリアの立て付けから「ミシリ」ともいわない。
そして、40cmははるかに超えていそうな巨大なステアリングホイールを下から捧げ持ち、ソフトながら腰のある乗り心地を味わっていると、この時代におけるメルセデスの様式美というものが、いくばくかでも見えてくる。
ステアリングには左右合わせて拳ひとつぶんくらいの「遊び」はあるものの、そこから先はきわめて正確。パワーステアリングも軽すぎず、油圧ポンプの動きに引っかかりもない。またボール循環式の特質としてキックバックはほぼ皆無ながら、それでも路面のフィールはたしかに伝えてくる。
もちろん強めのアンダーステアは発生するし、速度超過でコーナーに飛び込めばスイングアクスルの悪癖としてテールがブレークしてしまう可能性も高い。それでも、常識的なスピードで走っている限りは、すべてをコントロール下におけそうな安心感は、この時代の高級サルーンとしては望外のものだったに違いない。
圧倒的なスタビリティに、粘り強くてトルクフル、しかもスムーズで静かなストレート6エンジンも相まって、華美なところはどこにもないのに、最上のビジネスマンズエクスプレスとなり得ていたのだ。
1960年代〜1970年代初頭の日本で、このクルマを自ら運転していたオーナードライバーたちはもちろん、雇い主からステアリングを委ねられた半世紀前のショーファーたちも、きっと誇らしかったことだろう。
ちなみに今回の試乗車両は、ボディこそペイント補修歴がある可能性が高いそうだが、インテリアは新車時代からのオリジナルを保持しているとのこと。それでも、内外装ともに大切に磨き込まれた試乗車両の現状を見ると、この280SELがオーナーにもショーファーにとっても特別な存在であったことが窺い知れるのである。
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