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片耳ミラーの「テスタロッサ」は別格! バブル時代に憧れたフェラーリが不動車でも3200万円と高値に…「モノスペッキオ」は大人気です

21万8500ドル(邦貨換算約約3233万円)で落札されたフェラーリ「テスタロッサ」C)Courtesy of RM Sotheby's

要整備でもモノスペッキオの神通力は隠せない?

RMサザビーズ欧州本社の中東地域進出を記念し、アラブ首長国連邦ドバイにて初のオークションが開催されたのは、2024年3月8日のこと。近年における同社の通例では、本拠のあるロンドンやニューヨークを除き、原則として1都市では年に1回の開催とされてきたようですが、同じく2024年の12月1日にドバイにおいては2度目となるRMサザビーズのオークションが開催されることになりました。今回はその中から、1980年代後半に自動車界の世界的スーパースターとなったフェラーリ「テスタロッサ」をピックアップ。人気の最初期バージョンの概要と、注目のオークション結果についてお伝えします。

モノスペッキオと呼ばれる片耳ミラーについて

フェラーリの輝かしい歴史の中でも、とくに際立つ存在のひとつとして全世界のカーマニアから敬愛されている「テスタロッサ」は、1973年のリリース以来、長年フェラーリのフラッグシップとして君臨してきたBBシリーズの最終型「512BBi」の後継モデルとして1984年パリ・サロンに登場した、当時の最新12気筒ベルリネッタである。

1950~1960年代の名作レーシングスポーツへのオマージュから名づけられたこのモデルは、1973年のデビューから連綿と進化を図ってきたBB系ユニットを4バルブ化し、390psまでスープアップした180度V型12気筒4943ccのエンジンを、同じくBB系からホイールベースを50mm延長した鋼管スペースフレームに搭載したもの。当時はスーパーカーの重要な指標だった最高速度は290km/hを標榜した。

いっぽう、新時代のフェラーリを宣言するごとき意欲的なボディは、スカリエッティではなくピニンファリーナが架装。デザインワークは同社に所属していたスタイリスト、故エマヌエーレ・ニコジアが中心になって手がけたとされる。

そんなテスタロッサの初期モデルにおける最大の特徴といえば、Aピラーの中腹にマウントされた目立つシングルミラー。この特異なデザインは、当時の最新交通法規の解釈ミス(意図的なミス? という説もあり)が主な原因だったという。

片耳ミラーのテスタロッサは1000台程度に過ぎなかった

フェラーリとピニンファリーナによる新法規の解釈では、ドライバーは完全にクリアな後方視界を確保する必要があるように思われた。そこで、このモデルのデザインを特徴づけていたフィンつきの大型サイドストレーキにグラマラスなヒップ、4.9Lのボクサー12エンジンを覆うフラット&ワイドなリアデッキリッドを回避するべく、高い位置に運転席側ドアミラーを設置する。

しかし、助手席側でこれらの要素をすべてミラーの視野から追い出すのは、さらに難しい要求だった。おそらくはさまざまなアイデアがひねられたのは間違いないだろうが、結局もっともシンプルな解決策として、当時の欧州の多くの国ではまだ義務化されていなかった助手席側ミラーを、最初から装着しないという結論に至ったとのことである。

とはいえ、そんな場当たり的な方策は、アメリカや日本をはじめとする大マーケットでは長く通用するものではなかったようで、ピニンファリーナの手でよりオーソドックスなセットアップに変更されるまで、イタリアでは「モノスペッキオ」、英語圏では「フライングミラー」などとも呼ばれるミラーを装着したテスタロッサは、およそ1000台程度に過ぎなかったと考えられている。

長らく静態保存だった個体でも、約3233万円のハンマープライスが……

フェラーリ本社の生産データによると、2024年12月のRMサザビーズ「Dubai」オークションに出品された「モノスペッキオ」、シャシーナンバー「61337」は、ル・マン24時間レースにおける活躍でも有名なフランスのフェラーリ正規輸入代理店「シャルル・ポッツィ(Charles Pozzi)」社を介して、1985年12月に新車としてファーストオーナーに納車された左ハンドル仕様車とのこと。おなじみ「ロッソ・コルサ」のボディカラーに、「ペッレ・ベイジェ」の英国コノリー社製レザー内装という、フェラーリのクラシックカラーで仕立てられている。

このシャシーナンバー「61337」の初期の歴史についてはあまり知られていないそうだが、2003年11月にドイツのザールブリュッケンにある「アウトハウス・シュプラウ(Autohaus Sprau)」社によって、エンジンを降ろしてのフルサービスと、この時代のフェラーリでは必須のタイミングベルト交換が行われたことは、添付の請求書から判明している。

そののち、このテスタロッサは2005年12月にフランスの著名なコレクター、故マルセル・プティジャン氏によって購入された。前世紀から自身の自動車ミュージアムを開設しようという野望を抱き、数多くのスーパーカーを蒐集していたとされるプティジャンは、2022年2月までこのフェラーリを所有し続け、そのあとは今回のオークション出品者でもある現オーナーのもとに譲渡された。

さらに、現オーナーのもとで中東に輸送されたこの個体は、シャシーとエンジンがマッチングナンバーを保持しているほか、純正ジャッキやスペアホイール、センターロックのハブボルトのための専用スパナ、純正ツールロールなども添付して出品された。

しかし、これまで大量に売りに出された「プティジャン・コレクション」のスーパーカーたちと同様、長らく室内で静態展示に供されていたことから、実際に走らせる前には再点検と再調整が必要とのことであった。

一定の手間と費用がかかっても「モノスペッキオ」が価格に反映された

ところで、今回のRMサザビーズ「Dubai」オークションは、舞台はドバイながら売買はすべて米ドル建て。そして同社欧州本社の営業部門は「特徴的なシングルミラーのデザインが施されたこの初期型『モノスペッキオ』は、フェラーリ愛好家にとってひときわ目立つ存在であることは間違いない」というPR文を添えて、16万ドル~22万ドル(当時のレートで約2368万円〜邦貨換算約3256万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定することとした。

そして迎えた競売では、エスティメート上限に近い21万8500ドル。当時のレートで日本円に換算すれば、約3233万円とけっこうな価格で落札されることになったのだ。

今回のオークションのオフィシャルカタログにも正直に記されていた「require recommissioning prior to driving(運転前に再点検が必要)」という文言のとおり、長らく静態保存されていたクルマ、ましてフェラーリをちゃんと走らせるには一定の手間と費用が不可欠であることは承知のうえで、このけっこうなハンマープライスが叩き出されたのは、内外装ともにオリジナルカラーでマッチングナンバーの「モノスペッキオ」であることがそれだけの評価につながる、ひとつの証と認めざるを得ないのである。

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