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公道走行可能! 夢のトヨタ「2000GT ボンドカー」とプリンス「R380」がいま手に入る! ロッキーオート渾身作のツーショットにマニア悶絶

ロッキー 2000GT ボンドカー:映画『007』シリーズ第5作の『007は二度死ぬ』に登場したボンドカーを再現

オリジナルモデルを忠実に再現したレプリカ

2025年1月に開催された東京オートサロンの会場で気になる2台をピックアップ。今回は、愛知県にあるロッキーオートが製作したトヨタ「2000GT ボンドカー」とプリンス「R380」を紹介します。

細谷四方洋さんが監修したロッキー3000GT

国産初の本格グランドツーリングカーとして1967年に登場したトヨタ「2000GT」は、その流麗なボディなどから多くのファンを生むことになるが、コスト度外視で製作されたため赤字生産が続き、わずか337台が生産されたにとどまっている。

そして生産台数が少なかったこともあって、海外のオークションでは1億円を超えて落札されたこともニュースで伝えられていた。こうした中、愛知県岡崎市に本拠を構え、旧車に最新のテクノロジーを注ぎ込み超進化させることで度々ニュースを発信してきたロッキーオートが、トヨタ 2000GTの復活に乗り出し2016年にはトヨタ 2000GTスタイルの「ロッキー 3000GT」が誕生している。

1963年の第1回日本グランプリにおいて「パブリカ」で優勝し、以後はチーム・トヨタのキャプテンとしてレース活動をけん引するとともに、トヨタの契約ドライバーとして2000GTの開発にも携わってきた細谷四方洋さんを監修役に招聘し、現代の最新テクノロジーでオリジナルを凌駕する高剛性のフレームを製作。

スタイリングを再現するためにオリジナルのパーツから型を起こすとともに流麗なボディラインはオリジナルを実測しデータ化して再現している。トヨタ 2000GTで1965年に速度記録挑戦会に参加し、1966年には日本グランプリで2台の純レーシングカー=プリンス「R380」に次いで3位入賞を果たしたキャリアを持つ細谷さんは、以前取材した際に次のようにコメントしている。

「2000GTのスタイリングは見た目に格好いいだけじゃない。リアにスポイラーとかウイングなどを付け加えなくても高速走行で安定していました。基本的に空力に優れたデザインだったんです」

その空力に優れたボディを、じつに完璧に再現したのが2016年にお披露目されたロッキー 3000GT。反響は大きく、50台限定で販売されると即完売している。

第2段は2リッターエンジンで登場!

ただし熱心なファンには2000㏄のエンジンで5ナンバーのボディこそがトヨタ 2000GT、との想いも強かった。そうした声を受けてロッキーオートでは2000ccの直6エンジンを搭載する第2弾の製作を進めることになり、2023年の東京オートサロンでお披露目されたレースモデルと、細谷さんが1966年の日本グランプリでドライブした2000GTのレプリカをベースにロードゴーイングモデルが開発されている。

そして2024年の東京オートサロンでは2000㏄の直6ツインカムを5ナンバーボディに搭載した「ロッキー 2000GT」がお披露目されている。注目すべきは、3000GT時代にはクーペモデルだけだったのが、新たにオープンモデルも設定されていたことだろう。

トヨタ 2000GTのオープンモデルと言えば1967年に封切られた映画、『007』シリーズ第5作の『007は二度死ぬ』にボンドカーとして登場したことが知られているが、撮影用と予備用の2台が、試作車をベースに仕立てられたもので、一般に販売されたカタログモデルには存在していない。だからこそ、これを手に入れたいという熱いファンも少なくなかった。そうしたファンの想いに応える格好で完成したロッキー 2000GTは、2024年の東京オートサロンに登場したのだった。

オリジナルカウルのマスターモデルを使用したR380

このロッキー 2000GTのオープンモデルは、2025年の東京オートサロンにも、ロッキーオートのブースに登場していたのだが、その隣にはもう1台、注目を浴びたレプリカモデル(こう呼んでいいかは意見の分かれるところだが)が並んでいた。

それが1966年の日本グランプリで細谷さんがドライブしたトヨタ 2000GTを抑えて1-2フィニッシュを決めたプリンス R380を再現した「ロッキー R380」だ。ロッキー 2000GTの場合はオリジナルを計測したデータを基にボディを再現したようだが、R380の場合はオリジナルカウルのマスターモデルを使用していたのだ。

スカイラインの産みの親として知られる桜井眞一郎(櫻井眞一郎)さんはプリンスR380の設計開発も手がけており、エス・アンド・エス エンジニアリング時代には自らレプリカも製作していた。そんなR380のカウルのマスターモデルが思わぬ展開からロッキーオートの渡辺喜也代表のもとに届けられたことからロッキーオートのプロジェクトがスタートした。

マスターモデルが手に入ったとしても、これはカウルワークだけで、シャシーやエンジンを手に入れる必要があった。そこでロッキーオートがとった作戦が、レーシングカーのシャシー/エンジンを流用すること。選ばれたのは無限エンジンを搭載したF3マシン。

ただし桜井さんがR380を設計開発する際に「お手本」にした旧いブラバムと異なり、近年のフォーミュラではモノコックの背中にガスバッグを包み込んだカーボンモノコックが主流となっており、コクピットの背後にエンジンを背負うR380とは基本パッケージが異なっている。

そのせいもあって、直6を搭載していたR380に対して、エンジンの全長が短い直4の無限エンジンを搭載しているにもかかわらず、エンジン/トランスミッション/デフ、そしてリアタイヤまでの距離が長くなり、オリジナルのR380に対してボディ後半が少し長くなってしまった。それでも公道を走らせるためにナンバーを取得したのは流石ロッキーオート。2作目以降のモデルではオリジナルのモノコックに6気筒/4気筒のエンジンが選べるように、と渡辺代表は次なるプロジェクトを語っていた。

それにしても、1966年の日本グランプリで相対したプリンス R380とトヨタ 2000GTが、というかそのレプリカモデルがこうして2ショットに納まったあたり、東京オートサロンの大きな魅力となっただろう。

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