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「ダットサン」を1台でも多く後世に引き継ぎたい! 1938年式「フェートン」はもはや機械遺産…エンジン始動も独特の儀式が必要でした

ダットサン フェートン:1938年式で17型と呼ばれているモデル

機械遺産と呼ぶべき貴重なモデル

2024年10月13日に開催された「20世紀ミーティング 2024秋季」には、初参加という大物も多く、来場者の注目の的となっていました。世代をこえて集まる同イベントで個性的な趣味車とオーナーを取材してきました。今回はダットサン「フェートン」を紹介します。

戦前の日本で最も名の通った国産車

今となっては隔世の感があるが、日本で本格的にモータリゼーションが始まったのはやはり戦後の1960年代ごろからであろうか。それまでは自家用車を所有すること自体ハードルが高く、一般的な市民にとって身近な車といえばバスやタクシー、オート三輪などの商用車。さらに遡って戦前となると運転免許を取ること自体珍しい行為で、たとえば免許を取るといえば周囲の大人たちから

「職業運転手になるのか?」

「免許を持っていると徴兵されやすいからやめておけ」

などと言われる時代。個々人が移動の自由を享受するために在るのがクルマ、という概念は希薄であった。

それでは戦前の日本には軍用トラックとバスしか無かったのかといえば、もちろんそんなことはない。すでに現存しないメーカーも含めた幾つもの自動車メーカーが、来るべきモータリゼーションの時代を見据えたクルマを開発・市販していた。なかでも戦前の日本で最も名の通った国産車といえば、やはりダットサンだろう。

ダットサンはご存知の通り日産自動車のブランドであるが、現在ではその名称は休眠状態だ。長年ダットサンの名に親しんできた世代としては

「SUBARUの名称が無くなって富士重工レガシィとなった」

「NIKONの名称が消えて日本光学D6となった」

くらいの違和感を覚えたものだが、そのような個人の感慨はさておき。

1台でも多くのダットサンを残したい

あらためて「20世紀ミーティング 2024秋季」の会場。本部テントのすぐそばに展示されていたのは、1938年(昭和13年)式のダットサン。17型と呼ばれるモデルで、エントリー車のボディ形状はフェートンだ。エントリーしたのはかの全日本ダットサン会。会長の佐々木徳治郎さん直々の降臨である。

1台でも多くのダットサンを動態保存して後世に残したいとの思いから1985年(昭和60年)に発足した全日本ダットサン会。芝浦工業大出身の機械のプロにしてサファリモータースの創設者、そして全日本ダットサン会会長と聞けば随分とお堅い印象だが、徳治郎さんはそんなことを全く感じさせない。

「なんだか楽しそうなイベントと聞いたので、会の他のメンバーたちと一緒に参加したんですよ。」「え? 来賓の挨拶? 承知しました。えー、本日はお日柄も良く……(中略)それでは万歳三唱! ばんざーい!! 」

と、好々爺っぷり全開である。

「エンジンは4気筒のサイドバルブ、772cc」

「フェートンっていうのは2列シートのオープンモデルで、こいつは1938年式です」

「エンジン始動はクランクで。え? 見たいって? じゃあ実演しちゃいましょう!」

と多くの来場者から質問攻めにあいつつもクランクをぐるんぐるんと回し始める徳治郎さん。掛かりが悪いと「拍手が足りません!」と場を盛り上げつつ、エンジンが始動すると周囲からはやんやの喝采。

機械遺産と呼ぶべき貴重な古いクルマ。その歴史的意義を後世に伝えていくことは大切。それを持ち前のキャラクターで来場者に陽気に伝道する佐々木徳治郎会長。この日、多くの来場者が1938年式ダットサン17型フェートンのことを強く記憶に留めたことだろう。

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