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ランチア「ストラトス」にフィアット「アバルト131」など本物のWRCラリーカーが6台勢揃い! ワークスカーのオーナーだったマルカーゾ氏とは?

ランチア ストラトスHFとフィアット X1/9 アバルト プロトティーポ

世界遺産とも言えるレベルのラリーマシンが展示された

「3日間だけの夢の自動車博物館」をコンセプトに、2016年に初開催されたオートモビルカウンシルは2025年、10回目の節目を迎えました。そんなオートモビルカウンシルで、毎年のように愉しみとなっているのが主催者テーマ展示や特別テーマ展示。今回は、自動車の歴史、モータースポーツ文化の発展のために故ジーノ・マカルーゾ氏が蒐集した膨大な名車のコレクションの中から、ワークスラリーカー6台を選抜して展示、よりディープなラリー感を楽しめる内容となっていました。その展示車両6台を紹介する前に、先ずマカルーゾ氏を紹介します。

生涯を通じてモータースポーツの振興・発展に取り組んできた

イタリアのモータウン、トリノで1948年に生まれたマカルーゾ氏は、20代前半にラリーのコドライバー(ナビゲーター)としてモータースポーツに触れると、フィアット・アバルトの公式チームに所属してクレイ・レガッツォーニ氏とコンビを組んでロードレースにも参戦するようになり、やがて彼自身もドライバーとして活躍することになった。さらにエンジニアとしてクルマを手掛けるようにもなり、2010年に急逝するまで、生涯を通じてモータースポーツの振興・発展に取り組んできた。

生前はモータースポーツ以外にも、高級時計のディストリビューターとして、またデザイナーとしても活躍することになるが、それと並行してクルマ関連の要職を務めることになる。1987年にはクラブ・イタリアに入会し、1990年代初頭には会長に就任すると、ほぼ20年間に亘って在任。また1997年にはイタリア自動車クラブ傘下のモータースポーツ連盟であるイタリア・スポーツ連盟に参画し、ラリーに関する役職を担うようになり、2000年にはイタリア国旗を掲げてジュニア世界選手権(ジュニアWRC)に参戦するチームを結成。2001年にはCSAIの会長に就任した。

ラリーの歴史を語るうえで重要な6台を展示

さて、冒頭でも軽く触れたようにマカルーゾ氏は1974年に、当時フェラーリ・チームのF1GPドライバーだったクレイ・レガッツォーニ氏とコンビを組み、フィアット「X1/9アバルト・プロトティーポ」でジーロ・ディタリア・アウトモビリスティコに参戦。この時の強烈な印象もあってラリーカーのコレクションを始めることになる。そしてこのフィアット X1/9アバルト・プロトティーポがマカルーゾ・コレクションの原点となっていく。

今回の主催者テーマ展示には、このフィアット X1/9アバルト・プロトティーポ以外にも1966年のBMC「ミニ クーパーS」、1976年のランチア「ストラトスHF」、1978年のフィアット アバルト「131ラリー」、1981年のルノー「サンク ターボ」、1982年のアウディ「クワトロ」などなど、メーカー系(ワークスチーム)のラリーカーが5台も勢揃いしている。

例えば、最近のラリーファンには馴染みが薄いが、BMC ミニ クーパーSと言えば1964年(ドライバーはパディ・ホプカーク。クルマはこの年のみミニ クーパー)から1965年(ドライバーはティモ・マキネン。クルマはこの年からミニ クーパーS)、1967年(ドライバーはラウノ・アルトーネン)とモンテカルロ・ラリーで3勝し、唯一優勝を逃した1966年も補助灯のレギュレーション違反で失格となっているが、ゴール時には見事な1-2フィニッシュを飾っていた。ちなみに、今回展示されていたクルマは1966年のモンテカルロ・ラリーにも参戦したクルマで、翌1967年の1000湖ラリーで優勝したクルマそのものである。

そしてランチア ストラトスHFやフィアット アバルト 131ラリー、ルノー サンク ターボ 、アウディ クワトロなどの存在感は推して知るべし。こう考えてみると、マカルーゾ・コレクションの“素晴らしさ”と“凄さ”が容易に理解できる。ファンには羨ましい限りだろう。

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