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真正コンペティツィオーネのフィアット「チンクエチェント トロフェオ」は”山椒は小粒でもぴりりと辛い…”ホットな1台でした

フィアット チンクエチェント トロフェオ:オーナーのM.Eさんは、いつしか国内アバルト界隈ではすっかり有名なコンビとなっていた

アバルトの名は持たないけれど、ホンモノのABARTH!?

フィアットでは若手ドライバーを育成する目的として1970年代からワンメイクレースを行なっていました。1991年に登場したフィアット「チンクエチェント」。今回紹介する車両もそのレースで使用された1台です。「ABARTH」の名は持ちませんが、じつはホンモノのアバルトなのです。フィアット「チンクエチェント トロフェオ」とそのオーナーさんから伺ったお話を紹介します。

未来のラリースト育成のために造られたアバルト・キットカー

1993年、当時のフィアットのミニマムレンジを担うモデルとして登場した「チンクエチェント(Cinquecento)」をベースとするラリー専用車両のフィアット チンクエチェント トロフェオは、アバルトが「SE054」のコードナンバーで開発したキットを組んでいる。名前こそフィアットだが、れっきとしたアバルトだ。

1993〜1995年シーズンのFIA-WRC(世界ラリー選手権)およびイタリア国内ラリー選手権内に設定された、フィアット・グループが若手ラリースト育成のために懸ける「トロフェオ(=トロフィ)」クラス専用マシンとして、1993年から約2年間限定で生産された。

トロフェオ・クラス専用車両は、1970年代初頭にアウトビアンキ「A112アバルト」でスタート。1980年代には同じく旧アバルト技術陣が開発したフィアット「ウーノ ターボ」に進化していた。ところがハイパワーなウーノ ターボは、経験の浅い若手ラリードライバーにはもはや危険なほどに高速化してしまった。

くわえて、直前にイタリアの交通法が改定され、免許取得から3年以下、ないしは21歳以下のドライバーは、公道で60CV(≒ps)以上のクルマに乗ることが許されなくなったため、当時最新にしてもっとも動力性能の低い「チンクエチェント」が、トロフェオ専用マシンのベース車両として設定されることになった。

搭載されるエンジンは、旧き良きフィアット 850時代まで遡る4気筒OHV903cc。1960〜1970年代にアバルト技術陣が得意としてきたユニットである。最高出力55psというスペックは一見大人しくも映るが、アバルトによって吸排気系に大規模なモディファイを受けると同時に、ECUも専用品に取り換えられたことから、同時代の量産型チンクエチェントに設定されたスポーティモデル、SOHC1100ccの「スポルティング(Sporting)」と同等のレベルに達していた。

また、サスペンションも締め上げられてラリータイヤ用セッティングが施されたうえに、遮音材や内装材が取り去られたこともあり、車両重量は800kgまで減らされていた。

気が付けば18年!「生涯乗り続けます」

このフィアット チンクエチェント トロフェオを駆って「グランプレミオ・スコルピオニッシマ」でも果敢な走りを披露したM.E.さんは、以前はドイツ製某有名ブランドの大排気量リアルスポーツカーを所有していた人物。

絶対的なパワーこそ小さいが、軽くて全力で振り回せるこの「真正コンペティツィオーネ」を大いに気に入り、気が付けば18年もの長きにわたって愛用しているとのこと。

そしてイタリア車愛好家たちによるサーキット・タイムトライアル「FIAT FESTA」や、ヒルクライム「ONTAKE Salita」などの常連としてエントリーを続けている“M.E.さん“とこのトロフェオは、いつしか国内アバルト界隈ではすっかり有名なコンビとなっていた。

さらに、日常使いのクルマとしてはアバルト 124スパイダーを、そのデビュー直後に入手するなど、どっぷりとアバルトに浸かった“M.E.さん“。ご本人曰く

「山椒は小粒でもぴりりと辛い」

このチンクエチェント トロフェオを生涯乗り続けるとの熱き想いを語ってくれたのである。

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