ランチアのワークスカー名車デルタHFインテグラーレが出品される
2025年5月23〜24日、オークション業界最大手「RMサザビーズ」社が、イタリア ロンバルディア州の大都市ミラノ市内において開催した「MILAN」オークション。今回はその出品ロットなかかから、1980〜1990年代のヤングタイマー時代、グループAラリーカーの代表でもある歴史的名作ランチア「デルタHFインテグラーレ」で、しかもWRC優勝歴もある元ワークスカーについてお伝えします。
世界ラリー史上でももっとも重要なランチア デルタHFインテグラーレとは?
イタリアの名門ランチアは、1973年の「世界ラリー選手権(WRC)」創設から1992年末の撤退に至るまでの20年間にわたり、ラリーシーンにおいて圧倒的な強さを示していた。その実績は今もなお、10回ものWRC年間タイトル獲得(うち1987年から1992年までの6連覇を含む)という記録とともに、もっとも成功したコンストラクターとしての地位を確立している。そして後半の歴史的成功は、1979年に発売されたシンプルなファミリーハッチバック「デルタ」に支えられていた。
グループA時代の端緒である「デルタHF4WD」は、もともと豪奢なFF小型ハッチバック車であるデルタをベースで、フルタイム4WDとしたドライブトレーンに、上級モデル「テーマ ターボ」譲りの高出力パワーユニットを搭載したグループAホモロゲーション用スーパーモデルだ。フロントに横置きされる直列4気筒DOHCターボのエンジンは、ロードバージョンでも165psを発生し、トルセンデフを採用したリアデファレンシャルを介して、後輪にもパワーを伝達した。
アバルトの技術陣が開発に関わった
WRC制覇という大義のため開発を主導したのは、グループB時代の「037ラリー」や「デルタS4」と同じく、アバルトの技術陣。有名なアバルトの社内コード「SE」ナンバーでは「SE043」が授けられた。開発に着手したのは1986年6月とされているので、彼らはこの歴史的傑作車を、じつにわずか半年間で開発したことになる。
量産計画に若干の遅れはあったものの、FIAが規定する5000台が生産されたデルタHF4WDは、グループAホモロゲーションを獲得した1987年シーズン開幕戦のモンテカルロ・ラリーにて、堂々のデビューウィンを果たす。
そして、このシーズンのWRCメイクスタイトルを獲得したのち、同じ1987年秋のトリノ・ショーでは、前後フェンダーをブリスター化してトレッドを拡幅して、エンジンも185psに強化した「インテグラーレ」が登場。翌1988年シーズン途中からWRCに実戦投入され、前シーズンと同様に圧倒的な強さを見せつけつつ、ワールドタイトルを連覇した。こののちランチアは、デルタHFとその改良版たちとともに、6年連続のWRCチャンピオンシップを積み重ねることになる。
そして、ランチアおよびアバルトのエンジニアリングの卓越性は、たとえば現在の「GRヤリス」などにも継承されている「ターボチャージャー+FF由来の4WD」というラリーカーの定型を確立させたという点においても、自動車史における輝かしい事象といえよう。
WRCで2度の優勝歴という輝かしいヒストリーを持つ1台
RMサザビーズ「MILAN 2025」オークションに出品されたランチア デルタHFインテグラーレ(シャシーNo.#458689)は、正真正銘の元「ランチア・スクアドラ・コルセ」ワークスカー。しかもWRC選手権戦で2回の優勝を成し遂げたという、栄光のヒストリーを有する個体である。
1989年2月の「ラリー・ポルトガル」でデビューしたこの#458689は、2度のWRCチャンピオンであるミキ・ビアジオンと、コドライバーのシヴィエロ・ティツィアーノが搭乗して優勝。このラリーにおけるHFインテグラーレのポディウム独占を、最上位から演出した。
そののち「TO74784L」として再登録され、次に同年4月のヨーロッパ・ラリー選手権(ERC)戦の「ラリー・コスタ・ズメラルダ」にて名手マルク・アレンが操縦したものの、リタイアを喫してしまう。
しかし4か月後の1989年8月、「ラリー・アルゼンチン」でこのマシンを委ねられたミカエル・エリクソンは30ステージを制し、#458689にとっては2度目となるWRC優勝を獲得。さらに1978年のワールドタイトル獲得者であるアレンが、翌9月のWRC戦「オーストラリア・ラリー」で3位を獲得した。
そして、これらの3度のWRC出場は「ランチア・スクアドラ・コルセ」とミキ・ビアジオンに、1989年シーズンのWRCメイクスタイトルとドライバーズタイトルのWタイトル、すなわち完全制覇をもたらすことになったのだ。
ファクトリーチームでの目覚ましい活躍のあと、有力プライベーター「スクデリア・キッコ・ドーロ(Scuderia Chicco d’Oro)」に払い下げられたこの個体は、複数の国内イベントに出場するいっぽう、1991年シーズンには「アルゼンチン」および「サン・レモ」のWRC戦にもスポット参戦。さらに1992年シーズンには当時の新進ドライバー、ラウル・マルキシオがイタリア国内選手権戦で3度にわたってこのHFインテグラーレを走らせ、一定の成功を収めたといわれている。
ポルトガル・ラリー当時のカラーリングを再現
そして約四半世紀前、この元ワークスのランチアHFインテグラーレは、グループB時代のスプリントドライバーであった現オーナーが入手して、彼の管理のもとアバルトのメカニックによって修復されることになった。そのため、1989年スペックのワークス「8V」、ポルトガル・ラリー当時のマルティーニの塗装を再現しているとのことである。
RMサザビーズ欧州本社は、その公式カタログで
「WRCイベントで2度優勝し、WRCタイトルを2度獲得したこのランチア デルタHFインテグラーレは、ふたりのWRCの偉大なドライバーによって運転されたことで卓越した血統を得ました。コンペティションをテーマにしたコレクションには重要な1台となるでしょう」
とアピールするとともに、48万5000ユーロ〜55万ユーロ(邦貨換算約7905万5000円〜8965万円)というエスティメート(推定落札価格)が設定されていた。
そしてミラノ市内、「ミラノ・コレクション」のファッションショーなども開かれているコンベンション施設にて挙行された競売では、エスティメートに収まる49万ユーロ。現在のレートで日本円に換算すれば、約8000万円というけっこうな落札価格で、競売人の掌中のハンマーが鳴らされることになったのである。
