本業を持ちながらル・マンに挑戦を続ける木村武史選手とは?
ドイツ在住でモータースポーツの取材を精力的に行う池ノ内みどりさん。2025年もヨーロッパ3大耐久レースと言われる、伝統のル・マン24時間レースを取材しています。今回は、日本人ジェントルマンドライバーとして7年連続挑戦を続ける木村武史選手の夢と情熱に満ちた挑戦の軌跡に迫ります。
スーパーカー愛から始まった壮大な夢への第一歩
2023年に100周年を迎えたル・マン24時間レース。ル・マンにかかわらず、モータースポーツの長い歴史の中ではいつもジェントルマンドライバーという、本業を持ちながらレース活動を行う方々も活躍し続けています。
過去には日本からも数多くのジェントルマンがル・マン24時間レースに挑戦してきましたが、昨今の日本人ジェントルマンドライバーのなかでは木村武史選手がコロナ禍も乗り越えて、7年連続で挑戦し続けています。SNSではお仕事やレース活動、コレクションなさっている素晴らしいスーパーカーの数々を惜しげもなく積極的に発信する木村選手に話を伺ってみました。
木村選手の本業は、収益不動産を主に取り扱っている不動産会社を24年前から経営されている実業家です。昭和に一世を風靡したスーパーカーブーム真っ盛りに育った木村選手は、会社の収益が上がりスーパーカーを何台も手に入れられるようになった40歳の頃に「いつかル・マン24時間レースに出てみたいな」と思い始めます。
壮大な夢への第一歩は、44歳で参戦したランボルギーニのワンメイクレースがきっかけとなったそうです。とは言ってもレース、それも世界最高峰のル・マン24時間レースへ出場するのは、色んな意味でとてもハードルが高く、躊躇してしまう方々が大半のなか、その夢を叶えようと踏み出した木村選手の志の高さには驚くばかりです。
ランボルギーニワンメイクレースからスーパーGT、そしてル・マンへ
ランボルギーニのワンメイクレースからトントン拍子に勝ち続けられ、スーパーGTを経ていよいよル・マン24時間レースの参戦権を手にされました。とは言っても、壮大な舞台への夢を実現するためのプロセスは、レースでご飯を食べているプロのドライバーにとっても大変なこと。
「自分で頑張ったというよりも、周りの方々がル・マン24時間レースに向けての条件を整え、助けてくださったことがすごく大きくて、それに応えるかたちとしてしっかりとコミットし続けた結果です」
と周囲の方の感謝をまず述べられる木村選手。また、まるでモデルさんのようにスタイルが良く、とても美しい奥さまがいつも木村選手のそばで一生懸命サポートなさっているのですが、おふたりの仲睦まじい姿をいつもほっこりしながら拝見しています。じつは大学生だった木村選手がAE86を運転して地元のクルマ好きの集まりに通っていた際に、同じようにクルマ好きとして参加されていた高校生の奥さまと偶然出会われたのが馴れ初めなのだとか。
ル・マンはクルマやレース好きの奥さまの夢でもあり、奥さまの夢を一緒に叶えるためにもおふたりで努力を積み重ねる日々なのだそう。
「妻とはもう30年近く一緒にいますが、ル・マン24時間レースへ参戦するというふたり共通の夢のおかげで、いまも出会った頃と変わらず青春時代を送っているという感じがしています」
とはにかみながらも素敵な話を聞かせくださいました。皆さんが憧れる立派な実業家としてご活躍のいまのお姿とは想像できないような、AE86をぶつけて修理代を捻出するためにアルバイトに精を出された青春時代のお話など、お忙しいレースウィークにもかかわらず楽しい話題は尽きません。
ル・マン24時間レース参戦への険しい道のり
さまざまな過程を経て、最終的にル・マン24時間レースへ参戦するまでにも、ELMS(ヨーロピアン・ル・マンシリーズ)などのレースで実績を積み重ねることも必要なので、一般人が想像するのは難しい金額の捻出も必要になります。
木村選手に限らず、ジェントルマンドライバーすべてに共通するのは、数多くの従業員を抱え、本業で十分に利益を上げないことにはル・マン24時間レースへ挑戦も難しくなるという法則です。木村選手は、
「ル・マン24時間レース出場することが仕事への大きなモチベーションになっていますし、一生懸命頑張れるのだと思います」
と教えてくださいました。
スーパーカーを通じて子どもや若者に夢と感動を届ける
ところで通勤に貴重なフェラーリ「F40」を利用するなど、数多くの憧れのスーパーカーを所有している木村選手ですが、ただ個人で楽しむだけではなく、慈善福祉活動として子どもや若者にも惜しみなくそれらを披露されているのです。
「子どもや若者の感性ってとても純粋で鋭くて素晴らしいでしょ。美しい絵画や音楽と同じで、彼ら彼女らにスーパーカーの美しさを見てもらえたらいいな。ただそれだけですよ」
とスーパーカー時代に幼少期を過ごし、かつてフェラーリ「テスタロッサ」らに瞳を輝かせて憧れた少年が大人になっての懐の深いお言葉ですね。ちなみにご所有されるスーパーカーのナンバーはすべて777。ラッキーナンバーなどではなく、愛する奥さまとのご結婚記念日なんですって!
木村選手が挑むLM GT3クラスの熾烈な戦い
ル・マン24時間レースに木村選手が参戦されているのはLM GT3というGT3マシンクラス。同クラスにはMotoGP王者のバレンティーノ・ロッシも参戦している強豪揃い。プロとアマチュア、プロを目指す若手ドライバーらの組み合わせのドライバーラインアップは、速さはもちろんのこと、ミスを極力なくしペナルティを受けないようにすることや戦略も勝つためには大きな要素を占めます。
全GT3マシンには木村選手のように走る実業家/ビジネスマンのジェントルマンドライバーが参戦していて、彼らを応援する数多くのファンも存在しています。
「文字どおり、世界最速のジェントルマンと世界最速のブロンズドライバーを決める決戦でもあるだけに、その緊張感みなぎるシチュエーションをすごくエンジョイしています」
と木村選手。(世界自動車連盟FIAが実績や戦績、年齢によってドライバーのカテゴライズをする中でジェントルマンドライバーはブロンズに位置付けされ、他にシルバー・ゴールド・プラチナにカテゴライズされます)
ジェントルマンドライバーの過酷な両立生活
また、ル・マン24時間レースの舞台は、1年に1度だけ一般的なサルトサーキットとル・マン市内の公道を組み合わせたレイアウトが採用されるのですが、そこを走ることができるのは、まさにル・マン24時間レースに参戦するドライバーのみ。
地元フランス人ドライバーであっても、ル・マン24時間レースでしかそこを走ることができません。世界の数多くのレースに出場されている木村選手ですが、このル・マン24時間レースのコースレイアウトが一番のお得意なんですって。
ル・マンを走る実業家/ビジネスマンのジェントルマンドライバーの仲間も多い木村選手ですが、
「私も含めてここで戦う仲間は、仕事とレースを50:50でこなしているのではなく、両方をマキシムの状態で取り組んでいるのではないでしょうか」
とおっしゃり、イベント満載のル・マン24時間レースウィークの超過密スケジュールのなかでも、少しの時間を活用して本業のお仕事も同時にこなしておられるというなんともタフな状況にびっくりしましたが、ご本人は涼しい顔で「いつものことですよ」と。もちろん、ル・マンのレース後に羽田空港にご到着後はそのままオフィスへ直行なさると伺い、その超人ぶりにただただリスペクト。
国内外で輝く木村武史選手の今後に期待
最後に今後の目標を伺ったところ、
「2025年以降も継続して連続参戦できれば良いですが、例え途切れ途切れになったとしてもル・マンには可能な限り参戦し続けたいと願っていますし、最大の目標はLM GT3クラス優勝をすることです」
と語ってくださいました。そして、
「レースをしていると、プッシュはしたい/しなければならないけど、それをやり過ぎてトラックリミット(コース外走行)のペナルティを取られないような会社経営を心掛けるようになりますね。レースってファンドであり戦略が重要ですが、会社経営は時間軸が長いので1分で物事を決断したり、1秒以内に判断を要するような案件はありませんので、ある意味、レースに比べたら会社経営の方が楽かもしれませんね」
とレーシングドライバーらしさを会社経営に例えてくださいました。2025年は木村選手のCARGUY MKS RACINGはスーパーGTにも再び参戦しているので、全戦ではありませんが木村選手もステアリングを担っています。益々の国内外の活躍から目が離せませんね。
