サイトアイコン AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

“六本木のカローラ”がきっかけで出会った赤坂サニーに乗る謎の美女【ぼくたちのバブル考現学:第5話】

BMW 325iスポーツパッケージを購入した

バブルが生んだ自由なカーライフ

輸入車のことを「外車」と呼んでいた1980年代バブル期。「ワンレン・ボディコン」スタイルの女性が増殖し、彼女らのいわゆる下僕が「アッシー、メッシー、ミツグクン」と呼ばれていた時代です。このバブル時代にモータージャーナリストになった青山尚暉さんが、当時の様子をクルマを交えて振り返る「ぼくたちのバブル考現学」。第5回は「BMWとベンツを“交換”した夜」です。

“六本木のカローラ”と呼ばれたBMW 3シリーズ

BMW 2002の系譜を受け継ぐBMW 3シリーズは、初代が1975年にデビュー。そして2代目となるE30型3シリーズが1982年に登場。1985年にはマイナーチェンジが行われた。そう、1986年から1991年に至るバブル期真っただ中にいたのが、E30 BMW 3シリーズということになる。

BMW 3シリーズはバブル景気や手頃なサイズ感(全長4325mm×全幅1645mm)もあって、日本でも大ヒット。“六本木のカローラ”と呼ばれたほどで、東京の若者の遊び場の中心であった六本木に、カローラのごとく!? 溢れ返ったのである。もちろん、女子大生お迎えの“アッシー”の愛車としても。

マダムに大人気で“赤坂のサニー”と呼ばれた190E

そんなBMW 3シリーズ人気にうっかり!? 乗っかったのが、じつはボクである。シルキーシックスと呼ばれる直列6気筒エンジンに憧れ、真紅のBMW 325iスポーツパッケージを購入し、その走り、エンジンフィールに感動し、休日は箱根の山道に通ったものだった。もちろん、六本木にも繰り出しましたけど。

そして、バブルな同時期に大ヒットしたのが、メルセデス・ベンツCクラスの前身となるW201、つまり当時“小ベンツ”とも言われていた190Eであった。こちらもベンツとしては買いやすい価格、標準の1995ccのエンジン搭載の190Eなら5ナンバーサイズに収まる手頃なサイズ(全長4420mm×全幅1680mm)、外車の老舗ディーラー、正規輸入元であったヤナセの販売力もあって、老若男女、いや、女性人気も爆発。女子大生からマダムの足として増殖。“六本木のカローラ”=BMW 3シリーズに対して、“赤坂のサニー”なんて呼ぶ人もいたようだった。

ボクのBMWと謎の190Eの美女

すでに自動車業界にいたボクとしては、6気筒エンジンにこだわってE30 BMW 325iに乗っていたわけだが、ガチライバルでもある190Eが気にならないはずがない。正規輸入が開始されたばかりの190Eにも乗ってみたいもんだ……と思っていた矢先、BMW 3シリーズとメルセデス・ベンツ190Eにまつわる、バブル期のとんでもない経験をすることになったのである。

ある日の夜、友人と待ち合わせのため、青山通りに面したブラッセリーの前に我がBMWを止めていたら、すぐ前に漆黒の190Eが止まっていた。どんな奴が乗ってるんだろーと、漆黒の190Eのまわりをウロウロしていたら、ブラッセリーから妙齢の美女が190Eに向かって歩いてきた。当然、ボクが190Eを食い入るように見ていたから、声をかけられた。

「なぁに」

黒の190Eに10歳は年上の黒づくめの美女の組み合わせである。とっさに、返答(するしかない)。

「いやぁ、黒の190E、カッコいいですよね、見とれてました」

 

クルマ談義で男女が意気投合するバブル的展開

すると彼女から意外な反応が。まだ、BMW 3シリーズがボクのクルマだとは知らない彼女は

「私、じつはこのベンツ、あまり好きじゃないの。ほら、すぐ後ろに止まっているBMWのほうが好みなの」

ときた(BMWのことをベーンベーと言っていたような)。これは知り合ういいチャンス(通称、ナンパ!?)とばかりに

「それ、ボクのBMWなんだ」

と返答(事実です)。

すると彼女から

「ブラッセリーに戻ってお茶しない?」

と誘われ、クルマ話で意気投合。

ここからがウソのような本当の話なのだが、数日間、会ったばかりの見ず知らずの女性とクルマを交換することになったのである。ボクも190Eに乗りたかったし、彼女も3シリーズに乗りたかったからだ。

盗難!? の不安を乗り越えて

しかし、今考えれば、携帯電話もない時代に、恐ろしいことをしたものだ。彼女が女詐欺師、190Eが盗難車で、ボクの3シリーズが盗まれたかもしれない……。でもね、約束の夜に無事、青山のブラッセリーで再会。お互いのクルマを誉めあってお別れしたのだった(その後、何度かお会いして、ドライブしましたけど)。

1980年代後半から1990年代初頭、バブルの波にかろうじて乗れた、ある意味、クルマの楽しみ方も多様な、そして平和な、輸入車がまだ「ガイシャ」と呼ばれていたいい時代だったと、今でも振り返るのだ。あぁ、懐かしい……。そんな無謀とも言えるクルマの交換、“遊び方”も、やがて泡と消えることになるバブルのなせる業だったのだろうか。

ちなみにその女性、どんな人、どんな職業の人だったか、のちに知ることになり、驚いたのだけど……言えないです。

連載「ぼくたちのバブル考現学」をまとめて読む

モバイルバージョンを終了