1957年に製作されたプロトモデルDP114/2が現存していた
自動車メーカーがデザインスタディとして製作するプロトタイプは、モーターショー出品やテスト走行などの役割を終えると多くは解体されます。しかし、一部の車両はメーカーに残されるか、時には関係者へと秘密裏に引き渡されることもあるそうです。そんな奇異な運命を送ってきたアストンマーティンDB4のプロトタイプが2025年7月8日、RMサザビーズ欧州本社が開催したオークションに出品されました。
1950sアストンマーチンを進化させた貴重な試作車
RMサザビーズ「Cliveden House 2025」オークションに出品されたDB4プロトタイプは、そのユニークなボディワークと実験的シャシーにより、アストンマーティンの歴史に魅力的な一章を刻む1台といえる。
DB2系の最終版「DBマークIII」後継車の開発は 1954 年から着手され、新しい周辺シャシーとサスペンションの設計に重点が置かれた。「DP114」と名付けられた最初のプロトタイプは 1956 年に完成したものの、テスト後に解体・廃棄。そして1957年にシャシー番号「DP114/2」の第二次プロトタイプが製作された。
この試作車はアストンマーティンのエンジニア、ハロルド・ビーチが開発した鋼管ペリメーター式フレームを採用していたが、サスペンションはフロントにウィッシュボーン、リアにはのちの「ラゴンダ・ラピード」にも採用されるド・ディオン式を先行採用するなどの進化を遂げていた。
今回の出品車両に添付される当時の製造シートによると、エンジンとギアボックスは「basically Mk-III(基本的にマークIII)」と記載されている。新世代の3.7L直列6気筒DOHCユニットではなく、旧世代の3L直列6気筒DOHCを搭載していたことになる。
フランク・フィーリーの手によるボディはコンヴェンショナルなノッチバックスタイルとしたものだった。一方で同じ1956年秋のトリノ・ショーにてイタリアの名門カロッツェリア「トゥーリング・スーペルレッジェーラ(Touring Superleggera)」の名義で発表された、「アストンマーティンDB2/4トゥーリング・スパイダー」の美しさにアストンマーティン・ラゴンダ社の会長、デーヴィッド・ブラウンが衝撃を受け、トゥーリング・スーパーレッジェーラ社にDP114/2に関する意見を求めることになった。
新たなシャシー開発が始まりDP114/2の使命は終わりを遂げた
DP114/2の開発を委ねられたトゥーリング・スーペルレッジェーラ社だが、プラットフォームシャシー+鋼管ボディフレーム+軽量アルミボディパネルによるボディ構築法「スーペルレッジェーラ」による新規開発を主張したことから、それまでのプロジェクトはキャンセル。
トゥーリング・スーペルレッジェーラ社の要請を受け、急きょ新たなプラットフォームシャシーを開発していたアストンマーティン社は、DP114/2試作車をそれ以上テスト走行させる必要がなくなった。そのためDP114/2は、デーヴィッド会長の妻、ブラウン夫人の個人用車両として使用されることになった。このクルマが廃棄の憂き目を見ずに済んだのは、この時のブラウン夫人の判断のおかげと思われる。
DP114/2は1957年8月23日に初めて正式に登録された。ホワイトのボディにブルーのトップとブルーのトリムが施されたこの元プロトタイプには、有名なアイスクリームメーカーのコーポレートカラーにちなんで「ウォールズ・アイスクリーム・バン(Walls Ice Cream Van)」というニックネームが奉られた。ブラウン夫人は1962年までこのクルマを愛用した。
歴代の所有者には国防省のウィリアム・デニス・デーヴィッド大佐の名前も記載されている。デーヴィッド大佐は、第二次世界大戦中にRAF(イギリス空軍)の部隊を指揮し、「大英帝国勲章コマンダー勲章(C.B.E.)」と「殊勲飛行十字章」も受章した歴戦の勇者だ。その彼が1966年に購入している。
その後1970年代までにDP114/2 は廃車状態と化してしまうのだが、1980年代の新オーナーがDP114/2 を競技用車両に改造した。FIA により、ヒストリックラリーに出場するためのプロトタイプ GT として公認され、1988年の「第1回ピレリクラシック・マラソン」および「ブリジェンド・フォード・ディレクターズ・ラリーステージ」で、クラス優勝を果たした。次のオーナーは翌1989年の「ピレリクラシック」でDP114/2を走らせている。その後、アストンマーティン・ラゴンダは再び、この個体を買い戻している。
1990年、ニューポート・パグネルのアストン旧工場に隣接した「アストンマーティン・ワークス(Aston Martin Works)」は、エンジニアリング部門から回収したオリジナルの図面を用いて、のべ5年間におよぶ最高水準の包括的なDP114/2 のレストアプロジェクトに着手することになった。
アーモンドグリーンに意匠替えをしても普遍の価値
レストアを終えたDP114/2は、このファクトリーの修復能力を示すショーケースとして、1993 年のロンドンで開催された「ルイ・ヴィトン・コンクール・デレガンス」、そして 1995 年のシルバーストーンで開催された「コイズ・インターナショナル・ヒストリック・フェスティバル」で展示された。
1999 年にはイギリス国営放送の大人気番組BBC「トップギア」で取り上げられ、2000 年代初頭には雑誌などでも大きく取り上げられている。そして2005年、次のオーナーとなった人物により、さらなる再整備が行われ、現在の「アーモンドグリーン」のカラーに仕上げられた。
キャビン内とブート(トランクの英国式表記)は「フェルングリーン」のレザーで全面的に改装。それに合わせた、グリーンのウィルトンカーペットとシートベルトが取り付けられた。加えてブレーキとサスペンションもオーバーホールされ、塗装とボディワークも修正。一説では費用は総額 3万5000 ポンド近くになったという。
この超レアなアストンマーティンについて、RMサザビーズ欧州本社では
「その魅力的で重要な歴史のおかげで、同ブランドの愛好者や著名な英国車のコレクターにとって、今後も永遠に最高の関心を集める1台であり続けるでしょう」
と歴史的価値を力説。かくして、7月8日にクリブデンハウスで行われた競売では、エスティメートの上限に近い42万1250英ポンド、現在のレートで日本円に換算すると約8380万円で競売終了のハンマーが鳴らされることになった。
