20世紀までは安さが特徴だったポルシェ914が見直されている!?
空冷911の人気が高まるなか、かつて“格安ポルシェ”の代名詞「914」がクラシック市場で脚光を浴び初めています。2025年8月12日から13日、Hagerty(ハガティ)傘下のBroad Arrow Auctions(ブロードアロー・オークションズ)社が、アメリカのモントレーで開催した名門オークション「Monterey Jet Center」に、奇跡的なオリジナル度を誇る1971年式VWポルシェ914が出品されました。その詳細と落札結果について、以下に紹介します。
ポルシェとフォルクスワーゲンが914を共同開発した思惑とは?
1948年の創業以来16年間、正規に販売されたすべてのポルシェ製ロードカーは4気筒エンジンを搭載していた。6気筒の911が誕生したのちも、結果として4気筒ポルシェの伝統はほぼ半世紀に及ぶものとなり、1996年に最後の「968」が生産を終えるまで、ポルシェは「912」や「914」を含む4気筒モデルを継続的にラインナップに組み込んでいた。
これらの名作は、オリジナル「356」の後継モデルとして、ポルシェの核心的な価値観である軽量構造、バランスの取れたパフォーマンス、そして技術的な精度などを体現するものとなっていた。
1960年代半ば、ポルシェとフォルクスワーゲンは異なる目的ながら、共通のプロジェクトに向けて協力するようになる。ポルシェは「912」の後継車としてミッドシップ4気筒スポーツカーの開発を目指し、フォルクスワーゲンはスタイリッシュなパーソナルクーペ/カブリオレ「カルマン・ギア」の後継車を模索していた。
そこで両社は、創業以来の提携関係からさらなる一歩を踏み出し、ポルシェがデザインとエンジニアリングを担当し、フォルクスワーゲンが生産ファシリティ(設備や建物)を提供するかたちで共同開発によるミッドシップスポーツカー「VWポルシェ914」を、1969年9月のフランクフルト・ショーにてデビューさせた。
当時のポルシェお得意の「タルガトップ」、取り外し可能なデタッチャブル式ルーフを持つ、2シーターオープンボディのデザインは、ポルシェ博士の孫である故ブッツィ・ポルシェが担当。シンプルを究めたスタイリングは、前後に大きなラゲッジスペースをもたらすなど、ミニマリズム的なデザインの賜物ともいえるアイコニックなものとなった。
パワーユニットは、VW「タイプ4」から流用した1.7L水平対向4気筒(フラット4)と燃料噴射ユニットが「914」に搭載された。ポルシェ911用の2Lフラット6を搭載する「914/6」もラインアップされたが、1972年になるとその生産を終了し、VW製フラット4の1971cc・100psエンジンを積む「914-2.0」へと移行。また914もキャブレター付きの1.8Lに排気量が拡大された。
結果として、ポルシェとVWのコラボレーションは大きな成功を収めたといえるだろう。ポルシェは人気のある新しいエントリーモデルを獲得した一方、フォルクスワーゲンはポルシェとの密接な連携を通じて、自社のショールームに顧客を引き込める、華やかなスポーツカーをラインナップに加えることができたのだ。
アメリカで納車され2代目以降のオーナーはほぼ走らせていなかった
このほどブロードアロー・オークションズ「Monterey Jet Center 2025」オークションに出品された1971年式VWポルシェ914(シャシーNo.4712915713)は、オリジナルのポルシェ/アウディのウインドウステッカーによると、新車としての製造時から現在と同じボディカラー「Willow Green(ウィロー・グリーン)」でオーダーされ、センターアームレストコンソールが唯一のオプションとして装備されていたようだ。
顧客への納車を前に、サウスダコタ州ラピッドシティの「Rushmore Volkswagen(ラッシュモア・フォルクスワーゲン)」社が、事前納車サービスとアンダーコーティングのために65ドルを追加。総額3776ドル50セントが、ファーストオーナーに請求された。
車両とともに残されているポルシェ本社オリジナルのメンテナンス記録、ディーラー車両注文書、1972年に発行されたサウスダコタ州の車両登録証から、最初の所有者はマウントラッシュモア郡の郡都に在住していた、ヘレン・パルマーという人物であることが判明している。
公式ポルシェディーラーのサービススタンプによると、パルマーは1976年8月24日までに1万9947マイル(約3万1900km)のマイレージを追加。ドライバー側のドアジャムに貼られた「QUAKER STATE(クエーカーステート)」のオイル交換ステッカーには、1980年5月時点で2万1842マイル(約3万8500km)と記録されている。
その後の914は、2000年までジェフ・ヒル氏の所有にあったことが確認されている。ヒル氏はサウスダコタ州ラピッドシティの「Import Service(インポート・サービス)」に愛車を持ち込み、エンジンのチューニングとバルブ調整を実施。このとき書類に記載されたオドメーター読み取り値は2万4411マイル(約4万1700km)だった。
そして2006年、サウスダコタ州在住のカール・シモニャク氏が買い取り、その後13年間にわたって所有。ネブラスカ州オマハ在住のマイケル・ブトカス氏が2019年に譲渡され、3年間所有したあとにテネシー州在住のマシュー・コルトン氏に売却された。
オリジナル度の高い個体だがオークションでもマニアックすぎたのか流札
コルトン氏のオーナーシップのもとVWポルシェ914の「ポルシェ・クラシック証明書」を申請する。この証明書は、ポルシェ本社に保管されている製造時の記録に基づき、その車両がオリジナルであると証明する貴重なものである。
「Hennessy Porsche(ヘネシー・ポルシェ)」社が検査を実施し、とくにエンジンとトランスミッションの番号がポルシェ本社の記録と一致していることが確認されるなど、車両ヒストリーの確かさについて非常に望ましい事実が証明された。
さらに2021年になるとコルトン氏は燃料システムを点検したほか、燃料ラインやポンプ、フィルター、インジェクターシールを交換。同時にエンジンオイルの交換も行われ、シフトリンクに新品ブッシュが取り付けられた。
さらに2023年6月から8月にかけて「Auto Atlanta(オート・アトランタ)」社にて複数の部品交換やメンテナンスを受け、一連の請求書総額は1万4500ドルに上った。
2025年6月、オークション出品に先立って行われたブロードアロー社による車両検分で、オリジナルのウィロー・グリーン塗装を保持していることが確認。塗装の厚さを測定するシートによると、車体の外装全体で2.5〜4.5ミル(約0.065〜0.127mm)の塗膜が測定された。
ブラウンのコーデュロイ内装は極めてオリジナルの状態を保っており、オリジナルの取り外し可能なハードトップと前後トランクも同様。マッチングナンバーのステータス、オリジナルの仕上げ、低走行距離を兼ね備えた4気筒版914として、極めて希少な存在と自負しているようだった。
今回出品された、奇跡のオリジナリティを誇るポルシェ914について、ブロードアロー・オークションズ社では
「ポルシェとフォルクスワーゲンの長きにわたる関係を示す優れた1台」
と力説していることを裏づけるように、3万5000ドル〜4万5000ドル(邦貨換算約520万円〜約660万円)という、4気筒の914としてはかなり高額のエスティメート(推定落札価格)を設定した。
ところが、8月13日に行われた競売では、売り手側が期待していたほどにビッド(入札)が伸びなかったようで、残念ながら流札。日本時間8月19日の時点では、公式オークションカタログに「Inquire For Price(価格応談)」と記されていた。その後、無事に商談が成立したようで6万4400ドル(邦貨換算約950万円)で販売された。
20世紀当時の中古車マーケットにおける4気筒のVWポルシェ914といえば、100万円でも入手できそうな個体がけっこう出まわっていたと記憶している。その価格はさすがに現代では通用しないとはいえ、ここ数年のアメリカにおける売買事例を見ても、2万ドル台半ば(邦貨換算約370万円)あたりがハイエンドのようだ。そう考えるとオークション後に6万4400ドル(邦貨換算約950万円)で購入した人物は、この914にどのような価値を見出したのか興味が尽きない。
