生産予定15台だったが熱狂的なファンのために4台を追加
2025年8月16日、米国カリフォルニア州モントレーで開催されたRMサザビーズ「Monterey 2025」オークション。今回は数多くのフェラーリが出品されました。そのなかでもアイコニックなF40、しかもサーキット専用車両としてフェラーリとミケロットが製作した「F40LM」、正式名称「F40コンペティツィオーネ」を紹介します。
IMSAとFIA-GT参戦の規定に合わせ開発!最高出力はノーマルの242ps増
フランスの老舗フェラーリ輸入ディーラー「シャルル・ポッツィ」社のマネージングディレクター、ダニエル・マランは、1987年7月に発表された直後からフェラーリ40周年記念車「F40」の可能性を見抜いていた。彼は市販型F40をベースとする競技仕様の開発を主導し、その任務をジュリアーノ・ミケロット率いるコンサルティング会社に委ねた。
ヴェネト州パドヴァに本拠を置くミケロット社は、グループ4仕様のランチア「ストラトス」や一連のフェラーリ「308GTB」を含む、数多くのレーシングカーの成功に重要な役割を果たした。そして、フェラーリ「333 SP」や「288GTOエヴォルツィオーネ」のビルドプログラムも主導する、いわばフェラーリの別働部隊だった。
フェラーリ本社は、間もなくこのビルドプログラムを公式に認可した。ミケロットによって「F40LM」として開発されたのは、いずれル・マンに出場する意図を示していた。IMSAとFIAの規制により軽量化には限界があったため、もっとも重要な改造はエンジンに施された。大型のベーア社製インタークーラー、改良型カムシャフト、燃料管理システムの変更、そしてターボブースト(過給圧)の増加により、パワーは市販型F40から242ps増しの720psに達した。
この驚異的な出力向上は、大型ブレンボ製ディスクブレーキ、幅広ホイールと低硬度タイヤ、車高の低減といった数多くのシャシー改良によって補完されている。さらにボディは空力的に最適化され、大型フロントスポイラー、冷却ベントを大幅に拡大した改良型フロントフード、アンダーボディのベンチュリ、そして巨大な調整式リアウイングが採用された。インテリアもレーシングハーネスと競技用計器盤に刷新されている。
これらの仕様は米国IMSA選手権に準拠したものだったが、後に欧州FIA-GTシリーズ参戦用の「GTC」バージョンも製作された。このバージョンはさらに強力なエンジンを搭載し、大型エアリクターにより780ps(オリジナルエンジン比で約300ps増)を実現。その名のとおりル・マン24時間レースに代表されるFIA-GT選手権レースで目覚ましい戦果を挙げた。その一方で、フェラーリが厳選した特別な顧客に向けたサーキット走行用のカスタマー仕様もミケロットによって製作された。
F40ストラダーレからの改造ではなく、フェラーリ公式モデルとして専用のシャシーナンバーも与えられたこのカスタマーバージョンについて、RMサザビーズでは「F40LM」と呼んでいる。しかし、1991年秋の東京モーターショーでワールドプレミアされた際には「F40コンペティツィオーネ」という独自の名称が与えられていた。
ミケロットがコンプリートカーとして製作するF40LMは、当初10台の限定製作とされ、日本ではマツダコレクションに納入された。しかし、後にフェラーリの優良顧客からの熱望に応じて5台の追加が決定され、最終的には19台が製作されたといわれている。驚異的なパワーアップと空力改良を施されたこれらの車両は、今なおF40のなかでももっとも収集価値が高く、それに応じた高評価を受けるプレミアムモデルとして存在している。
より高出力なGTCスペックで製造されたF40 LM
フェラーリ本社発行のビルドシートおよび出荷明細書、フェラーリ研究の世界的権威マルセル・マッシーニ氏による履歴報告書、そして「フェラーリ・クラシケ」認証書から統合した情報によれば、RMサザビーズ「Monterey 2025」オークションに出品されたフェラーリF40LM、シャシーナンバー95448は、ミケロット社によって製作された14台目のF40コンペティツィオーネだ。
より高出力なGTCスペックで製造されたこのLMは、希少価値の高いレキサン樹脂のスライド式サイドウインドウを装備している。また、特徴的なロッソ・コルサ塗装に「ストッファ・ヴィゴーニャ(布張り)」シートトリムの組み合わせで仕上げられている。
1992年12月の完成から数カ月後、このLMはスイス・サンモリッツ在住のファーストオーナー、故ウォルター・ハグマン氏に引き渡された。同氏は「275GTB/4」や「F50」など、歴史的に重要な歴代の跳ね馬モデルも所有していた著名なコレクターだ。
ハグマン氏は、このハードコアなサーキット専用マシンを熱心に愛用したようで、1993年5月にムジェッロ・サーキットで行われたプライベートテスト中に軽微な事故を起こしている。しかし、ミケロット社はリアエンドの損傷を迅速に修復した。その後、この個体は1993年7月号のスイスの自動車専門誌「Auto Illustrierte」で特集された。
1993年10月、F40はムジェッロで開催されたフェラーリ・クラブ・イタリアのミーティングで初公開された。その後、1998年2月のチューリッヒ・モータークラシックショーに出展されるなど、現代に至る長いイベント参加ヒストリーの端緒を切った。
ハグマン氏は2002年にこのLM仕様車をスイスの同好家に1度売却したが、2007年には買い戻し、ミュンヘンの金融関係者に再び譲渡した。このオーナーはその後の8年間、イタリアのモンツァ、フランスのルヴィジャン、チェコのブルノ、スペインのバレンシアなど、数々のシェル・フェラーリ/マセラティ・ヒストリックチャレンジイベントでこの特別なF40を存分に楽しんだ。
また、2009年4月にはフェラーリ・クラシケによる正統性の認証を受けている。エンジンとトランスアクスル、ボディワークがすべてオリジナル部品であることが正式に確認された。物理的な「レッドブック」は現車に付属していないが、フェラーリ・クラシケ認証ページのデジタルPDFが保管されている。
この2009年のクラシケ認証プログラムにあたって記録された唯一の変更点は、オリジナルの3ピース式OZアロイホイールよりわずかに幅の狭い、同じくOZ社製のマグネシウム・モノブロックホイールに交換されていたことだ。このホイールは現在でも装着されている。そして、このクラシケ認証から間もなく、エンジンの調律とアップグレードのため、ミケロット・ファクトリーに戻されたと伝えられている。
コンクールで入賞を果たしたF40 LMのハンマープライスは16億円超え
2014年、このフェラーリF40 LMは2度目となるミケロットへの里帰りを果たし、徹底的なリフレッシュが行われた。20年前に同社内で「F40コンペティツィオーネ」を製作・チューニングした部門が、エンジンとギヤボックスのオーバーホール、ボディの軽微な修理を施し、外装をオリジナルのカラーで再塗装した。
その後、この極めて正統なF40LMはラスベガスの投資開発業者に購入され、5年間所有された後にドイツのディーラーへと売却された。さらにその後、オーストリアのコレクターの手に渡った。
今回のオークションの現オーナーのもとでは、2025年にフロリダ州コーラルゲーブルズのビルトモアホテルで開催された「モーダマイアミ・コンクール」に出展されたばかりだ。当然、多くの目利きのティフォージたちから注目を集め、「フェラーリ:情熱とパフォーマンスのコレクション」クラスで入賞を果たしている。
今回の出品に備え、フロリダ州ジュピターの「ロッソ・コルサ」社による大規模整備が2025年6月に完了した。作業内容には、燃料ブラダー(防漏)タンク、タイミングベルトおよび補器類のベルト、スパークプラグ、燃料フィルターの交換が含まれる。また、前述のOZホイールには「ミシュラン パイロットスポーツGTスリックS7M」タイヤを新規装着したほか、バッテリーも新品に交換された。保管されている請求書はこの作業が行われたことを証明しており、総投資額は6万7000ドル以上に及ぶ。
現存するF40 LMは、ストラダーレ版F40をミケロットで改造したものや、ミケロットが販売していたチューニングキットを組み込んだ「LM仕様」が多くを占める。しかし、このシャシーナンバー95448は、ミケロット社によってF40コンペティツィオーネとして製作された真のコンプリートカーだ。わずか19台のみ生産されたきわめて希少なモデルであり、さらに詳細な記録が残るこの個体は、レースのために設計された精巧なディテールに満ちていることも魅力である。
今回のオークション出品に際し、RMサザビーズ北米本社は公式カタログ内で
「次なる所有者には真の狼を装った狼、マラネッロが生んだもっともパワフルな現代ベルリネッタのひとつを所有する誇り、あるいは熱いラップを刻む本能的な喜びをもたらすでしょう」
と謳い、850万ドル~950万ドル(邦貨換算約12億5800万円〜14億600万円)という自信をうかがわせるエスティメートを設定した。
そして迎えた8月16日のオークション当日。モントレー市内の大型コンベンションセンター、および隣接するホテルにも会場を広げて挙行された対面型競売では、エスティメート上限を150万ドル以上も上まわる1100万5000ドルという価格で落札された。現在の為替レートで日本円に換算すれば約16億3600万円という、驚きのビッグディールとなった。
