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45年前から収蔵内容には驚き!成長するドイツ・ジンスハイム技術博物館のスケール感がすごい【クルマ昔噺】

ドイツ車ばかりでなくご覧のようなイタリアンスポーツもある

クルマだけでなく音速旅客機や潜水艦までを展示する博物館

モータージャーナリストの中村孝仁氏の経験談を今に伝える連載。ドイツを訪れた際、筆者はフランクフルトからA5とA6とアウトバーンを乗り継ぐと突然姿を現す「ジンスハイム技術博物館」を偶然目にしました。滅多に通ることがないルートで発見した巨大なミュージアムは驚きの連続だったそうです。

1980年代から約7倍に「巨大化」したミュージアム

第二次世界大戦を引き起こしたヒトラーの負の遺産は沢山あるが、数少ない「正の遺産」として今も供されているのが、アウトバーンであろう。ドイツ全土に張り巡らされたアウトバーンは、その後ヨーロッパ各国を結ぶ一大高速道路網に発展し、ヨーロッパの発展にも寄与した。

そのアウトバーンを空の玄関であるフランクフルトからA5ルートを使って南へ下り、ドイツ西の端、サールブリュッケン方面からやってくるA6に乗り換えるとすぐに、ジンスハイムという街に至る。その高速A6号線の横に巨大な自動車博物館があった。

フランクフルトから筆者の当時の居住地であったミュンヘンへ帰るには、そのA5を南下して、カールスルーエという街のジャンクションからA8に乗り換えるルートが、もっとも近かった。そのためA6は滅多に通らない道だったが、一旦帰国した後に、恐らくアウディの本拠地であるネッカースウルムを訪れた時であったろうか、たまたま通りかかって見つけた博物館である。

当時は確か『Auto&Technic Museum』と呼ばれていたはずだが、今は単に『Technic Museum Sinsheim』と呼ばれているようである。いずれにしても、アウトバーンのすぐ横にあるから気になって、1980年代に1度だけ訪れてみた(訪問時期は正確には記憶にない)。館内にはおびただしい数の自動車と、屋根から吊るした航空機が散見され、今のような巨大な博物館ではなかった。

当時はとにかく収蔵車が多いことに驚かされたが、とくにこれは凄いと思えるクルマはなかった。それが証拠に、写真を見てもとくに注目すべきクルマはなかった。しかし、1981年に開館して以降、この博物館の発展ぶりはすさまじい。それもそのはずで、開館当初の敷地面積は5000㎡であった。それが今では3万3000㎡以上の規模に拡大し、近隣ではもはや拡大が見込めないということから、かなり離れたホッケンハイム近郊のシュパイヤーという地に、新たな姉妹館を作るほどに発展を遂げている。

超音速旅客機2機とUボートを屋外に展示

拡大に伴って、展示は車両、すなわち自動車からむしろ航空機の方へと発展した。2001年にはソビエト時代に作られたツポレフTU-144という超音速旅客機を入手。さらに2003年にはコンコルドも入手し、2機の超音速旅客機が展示されているのである。もちろん室内には入りきらず、これらの展示は屋外である。こうした大型展示物を入手した関係で、敷地の拡大が必要だったのだろう。そして最近では、なんとUボートの展示もあり、しかも艦内が見られるようである。

一方のクルマの展示も、他の展示物と同様に拡大を続けている。いつ入手したか、あるいはリースしたのかは不明だが、ヒトラーが乗ったグロッサーメルセデス「Typ770K」の展示も後に行われた。そして常設のF1展示はヨーロッパでは最大のもの。

マツダより早く量産したロータリーエンジン車が展示されていた

こうした今日の発展を見ると、いかにも当時の展示は貧弱に思えてしまうが、それでも重要と思われた展示をいくつか紹介しよう。

最初に紹介したいのは、ポルシェ「908」である。908seriesのなかではもっとも多く作られたシャシーで、プロトタイプを含み31台が作られた。ボディはここに展示されていたショートのほかに、ロングテールバーションがある。ロングテールは2台しか現存しないと言われている。

同じレーシングカー繋がりで撮影したモデルは、1987年のル・マンなどに出場したザウバー「C9」で、KORUSカラーに塗られたモデルである。ル・マンでは日本の岡田秀樹もこのクルマに乗った。

世界初のロータリーエンジン搭載の量産モデルであるNSU「スパイダー』もある。498ccのシングルローターエンジンを搭載し、出力50psを得ていた。1963年から1967年まで生産され、最終型では54psに性能向上していたという。3年間の販売台数は2372台であった。このクルマの販売が終了する1967年に、わが国のマツダ「コスモスポーツ」が市場に送り出されている。

ドイツではポピュラーであった、1949年から1956年まで生産されたテンポ「ハンゼアット」。400ccの2サイクルエンジンを搭載し、最高出力14psであった。

ソ連の航空機ツポレフを入手できるくらいだから、珍しいソ連製のクルマもあった。GAZ13チャイカと呼ばれるこのクルマは、1958年にデビューして、当時のソ連要人に使われたモデルだが、随所にアメリカンの雰囲気を醸し出している。エンジンは5.5LのV8である。プッシュボタン式のトランスミッションセレクターは当時のクライスラー風であり、ボディデザインは、とくにフロントに関してはパッカードによく似ていた。

バイエルンのディンゴルフィングに居を構えていたグラースが作り上げたマイクロカーブランド、「ゴッゴモビル」のクーペもある。同じプラットフォームからセダンとクーペ、それにバンを生産していた。展示されているのはクーペである。初期モデルは後ろヒンジのドアを持っていたが、これは後期型のモデルである。排気量は250cc、300cc、400ccをラインナップするが、写真のモデルの排気量は不明である。

航空機やUボートまであるジンスハイム博物館。筆者はまた行ってみたいと思っている。

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