普遍的な安全装備に進化あり?
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のお題は、「3点式シートベルト」。その誕生には大きなドラマがあります。万一の事故から身を守るためのシンプルな装備ですが、現在、新しい考え方で進化しようとしています。
3点式シートベルトが発明されて死亡リスクが飛躍的に低下
道路交通法でシートベルトの着用が義務化されてから、すでに半世紀以上(高速道路の着用義務化から)も経ちます。
「今さら語るまでもない安全装備」と思われがちですが、その効果はあまりに大きいものです。シートベルト着用で、死亡リスクは45%、重症化リスクは50%低下するとも言われています。いまや安全を語る上で、シートベルトは絶対に欠かせない存在です。
驚くのは、基本構成が変わっていないことです。フロアに固定されたベルトで身体を固定する。追突した場合に、身体がハンドルやダッシュボードに打ちつけられるのを防ぐのです。フロントガラスを割って外に放り投げられるのも防ぎます。発想はとてもシンプルですよね。
2点式が3点式になり、レースでは5点式が主流です。かつては両足が暴れないように6点式もありましたが、基本構成に大きな変化がないことは不思議に感じます。
そんな革命的とも言える「3点式シートベルト」を生み出したのが、スウェーデンの自動車メーカー・ボルボです。
ボルボの特許の無償公開という英断は人類の多くの命を救った
1959年に、ボルボは当時の革新的な技術である胸・肩・腰の3点で乗員を守る設計を完成させました。
しかも、その後の姿勢は素晴らしいものでした。ボルボは特許を取得しながらも、この技術を“無償公開”したのです。
もし特許で囲い込んでいたら、今日のような安全文化は世界中に広まっていなかったでしょう。人類が失った命の数を思うと、ボルボの英断はあまりに大きいものです。
世界中の運転手と家族を救った自動車技術は数あれど、ここまで普遍的で、しかも利他的な発明はほとんどありません。
新世代シートベルトの革新
そんなボルボが今、新たなシートベルトを開発したというニュースが届きました。
従来同様の3点式であり、基本的には身体をベルトで固定することに変わりはありません。しかし、今回の新技術は“固定の仕方”がひと味違います。
驚くべきは、乗員それぞれの体格や着座姿勢に合わせて、衝突時の締め付け具合を最適に調整するという点です。
現在のシートベルトには「ロードリミッター付プリテンショナー」という機能が備わっています。衝突を感知した瞬間にシートベルトを素早く巻き取り、身体を確実にホールドし、その後わずかに力を抜いて胸部への負荷を軽減するという仕組みです。
“ギュッと抱きしめ、すぐに少し緩める”──そんな絶妙な働きをする頼もしい相棒です。
ボルボはこの機能をさらに進化させました。背の低い子ども、体格の大きな成人男性、妊婦、負傷者など、あらゆる乗員の状態に応じて、最適な締め付け方を瞬時に判断し、作動させるのです。
まるで乗員ひとりひとりに合わせた“オーダーメイドの抱擁”のようなシートベルトだと言えます。
現時点では具体的な実験データは入手できていませんが、ボルボの技術である以上、確実な安全性向上に繋がることは間違いありません。「誰でも守れる」から「誰にでも最適に守れる」へ。シートベルトがとうとう次のステージに踏み出したと言ってもいいかもしれません。
「安全のボルボ」が持つ不変の信念
この新しいシートベルトは、ボルボが2026年に発売する新型車に搭載される予定です。
世界中のメーカーが電動化や自動運転に注力するなかで、“アナログでありながら決定的な安全装置”であるシートベルトの革新を忘れない姿勢こそ、まさに「安全のボルボ」と呼ばれるゆえんでしょう。
66年前の革命を起こしたメーカーが、もう一度「安全」を更新しようとしています。技術とは、このように静かに、しかし確実に人の命を守る方向へ進むべきものなのだと改めて感じさせてくれます。
これほど長い年月を経ても安全性の追求を止めない姿勢。その信念に、思わず胸のシートベルトをもう一段きつく締めたくなります。
