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ストラトスの代わりにワークスカーとしてWRCを制した意外なセダン!フィアット「131アバルト・ラリー」の相場は5620万円から

32万ユーロ〜38万ユーロ(邦貨換算約5620万円〜約6670万円)で現在も販売中のフィアット「131アバルト ラリー」(C)Courtesy of Broad Arrow

グループ4マシンの人気が上昇中? WRCを3度制したフィアット131

1970年代のWRCを席巻した「グループ4」ラリーカーが、再び注目を集めています。クラシックカーの自動車保険分野で世界最大手で、現況の車両相場価格を閲覧できるサービスでも有名な「ハガティ(Hagerty)」。その傘下のオークションハウス「ブロードアロー・オークションズ」社が、2025年10月10日にベルギーのビーチリゾート、ノッケ・ハイストで開催した「ゾウテ・コンクール(Zoute Concours)」オークションに、グループ4時代における最強マシンのひとつフィアット「131アバルト ラリー」の元ワークスカーが出品されました。ファンの間で話題となったラリーマシンに注目します。

大人しいミドル級2ドアセダンが真正ラリーマシンに変身

1976年のジュネーブ・モーターショーにてワールドプレミアに供された「フィアット131アバルト・ラリー」は、スタンダードの131ベルリーナ「ドゥエポルテ(2ドア)」をベースに、ラリー専用の競技車両として開発された。フロントサスペンションは標準型131と同じマクファーソンストラットながら、リアは鋼管で組み上げたセミトレーリングアームにコントロールロッドとスタビライザーで構成する、実戦的な専用サスペンションが投入された。

一方カロッツェリア・ベルトーネが手がけたFRPおよびアルミ製のボディワークは、幅広のクロモドラ社製マグネシウム合金ホイールを収めるためホイールアーチを拡大し、多数のメカニカルパーツを冷却するための通気性も高めていた。

市販型131ラリーにおいて、キャブレターとの組み合わせで140psを発生した1995ccの直列4気筒DOHC16バルブエンジンは、グループ4ワークスカーではクーゲルフィッシャー社製のメカニカルインジェクションを備えて、最大228psを発生。独ZF社製のセルフロッキングデフを組み込んだ5速マニュアルトランスミッションと組み合わせられていた。

フィアットは世界ラリー選手権(WRC)に参戦するため、131アバルト ラリーのグループ4ワークスマシンを46台製作。131アバルト ラリーは、フィアット「アバルト124ラリー」の後継モデルとして、あるいは事実上のフィアット・グループ公式ラリーマシンとして伝説的な「ランチアHFストラトス」が担っていた重要な役割を引き継ぐことになったのだが、周囲の期待に応え見事な活躍ぶりを見せた。

まずは1976年イタリア国内ラリー選手権で2勝を挙げたのち、1976年ヨーロピアンラリー選手権(ERC)ではデビュー戦で優勝を果たした。そして生来の目的であるWRCでは1977年、1978年、1980年にコンストラクターズタイトルをフィアットにもたらしたうえに、ヴァルター・ロールを、彼が挙げた2度のWRCドライバーズタイトルのうちのひとつに導いたのである。

1970年代にワークスカーとして活躍した当時の仕様でレストアされた

このほどブロードアロー・オークションズ社の「ゾウテ・コンクール(Zoute Concours)」オークションに出品された1976年式フィアット131アバルト・ラリーのグループ4仕様車は、すべてのワークス・フィアットおよびランチアのマシンがそうであるようにトリノで初登録。「TO P35976」の分類番号を持ち、「G22」の指定を受けている。これは46台のワークスカーのうち22台目に製造されたアバルト131ラリーカーであることを示す。

この「TO P35976」は、1975年から1977年シーズンにかけてフィアットのワークスカーが使用していた「OLIO FIAT(オリオ・フィアット)」のカラーリングを纏い、1977年シーズン序盤戦よりWRCに実戦投入。このシーズン中、アレン/キヴィマキ組が「スウェディッシュ・ラリー」、ヴァルタハルユ/アンティラ組が「1000湖ラリー」、バッケリ/ロッセッティ組が「ラリー・ポルトガル」にて、それぞれフィアット・ワークスからこの個体を委ねられた。

翌1978年シーズンになると実戦からはいったん退いたものの、ワークスチームによってテストカーとして保持。白・赤・緑のアリタリア航空カラーに衣装替えされ、1978年「アリタリア・ラリー・ディ・モンテカルロ」においてヴェリーニ/ロゼッティ組のスペアマシンとして使用された。また、同年のWRC「トゥール・ド・コルス」では、ダルニッシュ/マーエ組の予備車両として使用される。この大会では同コンビが優勝を果たし、アバルト131が表彰台を独占した。

この131アバルト・ラリーは1978年の「トゥール・ド・コルス」を最後に公式競技から引退し、同年エクアドルのプライベートチームに売却された。そして、アドルフォ・ガリンド/ヘルナン・フエンザリダ組の操縦によって数シーズンにわたって現地で成功を収めたあと、1990年代末にイタリアへと再輸入されて一度目のレストアを受ける。この修復を終えたのちには、イタリアのクラシックカー専門誌『Automobilismo d’Epoca』2006年2月号の表紙を飾った。

同年後半には「イタリア自動車歴史クラブ(ASI)」から厳正な審査を受けたのち、同クラブの発行する真正性証明書を取得。現在の所有者は数年前に購入後、完全な工場出荷状態への復元を依頼した。これに応え、フィアットとランチアの修復で名高い「イタリア・モータースポーツ」社が、徹底的なフルレストアを実施。写真記録を残しながら、ボルト一本残すことなく、費用も惜しむことなく修復作業が進められた。

エンジンとトランスミッションは分解され、電気系統の精査と部品交換を伴う入念なリビルドが行われた。くわえて内装は完全に取り外され、美しくリニューアルされた。1977年のラリー・ポルトガル当時のカラーリングを再現する前に、ボディはまず修復された。その後、正しいサテンブルーとイエローの塗装が施され、著名なラリーグラフィックデザイナー、ジャコモ・バージによる当時のスポンサーステッカーが忠実に再現された。

この複数年にわたる入念なフルレストアは2025年に完了。現在ではWRC黎明期に活躍したフィアットとアバルトの強力なコンテンダーという素晴らしい歴史を、コンクール・デレガンス級の完成度で示している。

ブロードアロー・オークションズ社では「純正ワークスカーとしての歴史を有し、卓越した修復を終えたこの一台は、フィアットとアバルトがもっとも大胆だった時代の象徴」と歴史的価値を力説。32万ユーロ〜38万ユーロ(邦貨換算約5620万5000円〜約6674万3000円)という推定落札価格(エスティメート)を提示した。ところが10月10日の競売では入札が伸びなかったようで、残念ながら「流札(No Sale)」に終わってしまった。

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