2025年の国際オークション最高額を叩き出したマクラーレンF1
2010年代後半以降の国際クラシックカー市場において、「ヤングタイマー」と呼ばれる1980年代〜1990年代のクルマたち。そのなかでも「マクラーレンF1」は、今や数十億円での取引が当たり前のようになっています。2025年12月5日、RMサザビーズ欧州本社がアラブ首長国連邦(UAE)アブダビの「セントレジス・サーディヤット島リゾート」を会場として開催した「Collectors’ Week Abu Dhabi」においても、1台のマクラーレンF1が広告のメインビジュアルを飾る目玉商品として登場していました。マクラーレンF1のあらましと、注目のオークション結果についてお伝えします。
鬼才ゴードン・マーレーの理想を体現したハイパーカー
F1GPのエンジニアとして「ブラバム」および「マクラーレン」で一時代を築き、マクラーレンで自身初となる市販スーパーカーを手掛けようとしていた鬼才、ゴードン・マーレーと彼の設計チームは、当時の世界最速のロードカーを作ることを目指したわけではなかった。彼らが追求したのは、1990年代における最新F1GPテクノロジーとカーボンファイバー構造を究極のドライビング体験へとダイレクトに移植することであり、当時のライバルであったスーパーカーたちの制約や欠点を払拭するものであった。
しかし生産型のマクラーレンF1は結果として、リミッター解除時の最高速度391km/hという驚異的な記録を打ち立てる。それは細部に至るまで施された精緻なエンジニアリングが生み出した、まさしく記録を塗り替える成果であった。
総排気量6064ccの「BMW M」社製V12自然吸気エンジンが生み出す627psを、最小限の前面投影面積を誇るパッケージにまとめ上げたこの黎明期のハイパーカーは、ル・マン24時間レース優勝者のアンディ・ウォーレスが、ドイツ・ベルリン近郊の高速周回路「エーラ・レッシェン」で達成した、自然吸気ロードカーとして史上最速の歴史的走行記録を今なお保持している。
マクラーレンF1のテクノロジー的側面と功績はフェラーリ「250GTO」やアルファ ロメオ「8C 2900」と並び、史上最高の自動車のひとつとしてその名を残す「レガシー」としても大きく貢献していることは、ここで言うまでもなかろう。中央に運転席を配した3人乗りレイアウト、温度管理のためエンジンルーム内張りに貼られた金箔、特別に開発された超軽量ケンウッド10枚組CDプレーヤーなどは、その最たる例といえる。
そして、もうひとつ。最高速度が開発時の明示的な目標ではなく、あくまで副産物であったのと同様に、マクラーレンF1はサーキットレースを想定して設計されたわけではない。なによりもまず、公道走行のために生み出されたのだ。
これは有名なエピソードだが、当初マーレーはマクラーレンF1を競技用に改造することに消極的だった。しかし、わずかな変更を加えて「GTR」仕様となったF1は、1995年のル・マン24時間レースへと投入される。
そしてヤニック・ダルマスとJ.J.レート、そして我らが関谷正憲からなる3名のドライバーの乗るNo.59。「ランザンテ」のチーム運営により「上野クリニック」がスポンサーするマクラーレンF1-GTRが総合優勝したうえに、3-4-5位もマクラーレンF1-GTR勢が独占するという、レース史に残る目覚ましい結果をもたらしたのだ。
ブルネイ王室のオーダーで製作されハイダウンフォースキットを後に公式装着
昨2025年12月、RMサザビーズ「Collectors’ Week Abu Dhabi 2025」オークションに出品されたマクラーレンF1は、ロードゴーイング仕様として製作された64台のうち、14番目に完成した車両とされる。
シャシーNo.#014は当初、鮮やかな「チタニウムイエロー」のボディに「ブラック」の本革/アルカンターラのコンビインテリアを組み合わせ、この種のスーパーカーの世界では世界最高の優良カスタマーのひとつとして知られていたブルネイ王室へと納車されるが、約10年を経たのち英国へと戻されることになる。
母国イギリスでの短い滞在期間中には、「マクラーレン・カーズ」の元ディレクターであるデイビッド・クラークが一時的に引き受け、マクラーレン本社で包括的な整備を受ける。そののちアメリカへと移り、マクラーレンF1を複数回にわたって所有した経歴を持つ、界隈では名の知れた愛好家のもとに譲渡。ニューヨークで約3年間保有されたあと、カリフォルニアへと移動した。合衆国内でのメンテナンスは、ニュージャージー州モントベールに本拠を置き、北米東海岸におけるマクラーレン・カーズ公式サービス拠点の役割を担っていた「BMW of North America」が担当していた。
そして2006年8月、シャシーNo.#014は新たな長期所有者に委譲。この時点での走行距離計が示していた数値は、わずか3224マイルだったことが記録されている。くわえて、熱心な自動車収集家である新オーナーの要望により、翌2007年に再び英国ウォーキングのマクラーレン本社へと移送され、フルリビルドを受けることになった。
この時、新オーナーの好みに合わせて現在の「アイビスホワイト」のカラーリングに変更され、人気の高い「ハイダウンフォースキット」が装着された。キットには、標準のアクティブウイングに代わる固定式リアスポイラー、GTR由来の新型フロントバンパーとスプリッターの装着、さらにフロントフェンダー用のLM仕様ルーバーが含まれていた。そしてこのメーカー公式モディファイにより、ハイダウンフォースキットを装着したわずか8台のF1のなかでも、この個体が最後の1台となった。
またエクステリアのさらなる変更点としては、新品ヘッドライトへの換装やアップグレードされたエキゾーストシステム、「OZレーシング」社製ブラック塗装のGTRスタイル5本スポークホイールなどが挙げられる。
さらにキャビンも刷新され、改良型エアコンシステムの装備に加え、内装がLM仕様に改められた。これには新たなレーシングスタイルのドライバーズシートと、カーボンファイバーの露出部分の拡大が含まれていた。これらの改修は450枚以上の写真で記録される大規模なもので、投入された総費用は50万ドル以上に達したという。
すべてのレストアが完了すると、この純白のマクラーレンF1は、ノーマン・フォスターが設計した、今ではすっかり有名となった「マクラーレン・テクノロジー・センター」における華やかなプレゼンテーションとともに、正式にオーナーのもとへと返還された。
約33億円の競売基準額は40億円近いハンマープライスを記録
ところで上記のカラーチェンジが施される以前から、このマクラーレンF1はドアシルにミハエル・シューマッハのサインが描き込まれていた。そのサインは1996年3月12日付のもので、当時すでに2度のF1ワールドチャンピオンを獲得していた彼が、フェラーリでの初レースとなったシーズン開幕戦オーストラリアGPをリタイアした2日後のことだった。
そして2007年の再塗装/レストア後には、のちに7度のワールドチャンピオンとなるもう一人の英雄によるサインが入れられる。左側のラゲッジコンパートメントには、当時F1ルーキーシーズンを終えたばかりの元マクラーレンドライバー、ルイス・ハミルトンのサインが今も残っているのだ。
こうして再生されたこのF1は、その後10年間にわたって、レストアの施工主である当時のオーナーによってアメリカ全土で愛された。走行距離が1万2000マイル(約1万9200km)に達するまでに、東海岸と西海岸の両方でその姿を見ることができた。
また使用頻度の増加に伴い、2018年にはエンジンを完全に分解する大規模な整備が施される。「マクラーレン・フィラデルフィア」が受託したこの大規模整備では、燃料セルが交換され、再び5万ドル以上がメンテナンスに費やされたとのことである。
そしてそののち、今回のオークション出品者でもあるデンマーク在住の現オーナーが購入したこのF1には、純正オリジナルの「FACOM」社製ツールチェストが付属。RMサザビーズの公式オークションカタログ作成時点で、走行距離は1万3711マイル(約2万1900km)と申告されていた。
今回の「Collectors’ Week Abu Dhabi」オークションにおけるこのマクラーレンF1は、昨今のRMサザビーズ社が超高額商品を対象として行う「Value in Excess」、通常のエスティメート(推定落札価格)を設定せず、オークションハウスが設定した数百万ドル規模の基準額からスタートする競売形式を特別に採用した。この場合のスタート額は2100万ドル(約32億7270万円)とした。
そして迎えた12月5日、同じゴードン・マーレー作品である「GMA T.50」のあとに最終ロットとして行われた競売では、2531万7500ドル。つまり、現在のレートで日本円に換算すれば約39億4650万円という、昨2025年におけるRMサザビーズ社でも屈指のハンマープライスで、無事落札に至ったのである。
