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非公開の「GMヘリテージセンター」潜入! アメリカ車黄金時代を彩った珠玉のコンセプトカーたち【クルマ昔噺】

ファイアーバード III

GMという巨大企業の成り立ちとアメリカ自動車産業

モータージャーナリストの中村孝仁氏の経験談を今に伝える連載。今回は、アメリカ自動車産業の頂点に君臨し続けるGM(ゼネラルモーターズ)。その100年を超える歴史と、かつて世界を熱狂させた「ドリームカー」を一堂に集めたのが、ミシガン州にある「GMヘリテージセンター」です。一般公開はされておらず、選ばれたグループのみが足を踏み入れることができるこの場所には、現代の技術のルーツとも言える独創的なマシンたちが息づいています。筆者が過去3度訪れた経験から、その濃密な空間とかつての「黄金時代」を象徴する名車たちの姿をお伝えします。

ビッグ3からデトロイト3へ! GMが築いた帝国

アメリカの自動車メーカーは、散々行われた合従連衡の末、第2次世界大戦前までにはほぼ3社に収斂した。そして、それらはビッグ3と呼ばれた。言うまでもなくGM、フォード、そしてクライスラーの3社である。

やがてアメリカの自動車産業が衰退し、世界的にも圧倒的な規模感を誇るメーカーではなくなった頃、この3社はデトロイト3と呼ばれていた。今でも3社ともにアメリカ自動車産業の中心に位置づけられるが、このうちクライスラーは名前を変え、ステランティスになった。

フォードとGMは依然として残るものの、どちらも今や世界の主役たりえない。GMは昔からディビジョン制といって、GMという大きな傘の下に、それぞれのブランドが存在するシステムを作っている。だから、GMという名前のクルマはない。

今は、シボレー、キャデラック、ビュイック、GMCの4ブランドがアメリカ国内で販売されている。かつてはポンティアック、オールズモビル、サターン、ハマー、それに日本車を販売したディビジョンのジオなどが存在するが、いずれも歴史の1ページを飾る存在となっている。

GMという会社ができたのは、1908年のこと。独立した自動車メーカー、ビュイックの社長だったウィリアム・デュラントが持ち株会社を設立し、ビュイックを皮切りに次々とM&Aを繰り返して巨大化したものである。1930年代にはGMがアメリカ市場の4割を超える圧倒的なシェアを持ち、少なくともアメリカのメーカーのなかでは、以後GMを凌駕するメーカーは現れなかった。

アメリカ車が世界の最先端を走っていた証
歴史と夢が満載の「GMヘリテージセンター」

そんなアメリカ車は、世界にとってもあこがれの存在であり、そのデザインは世界中の自動車メーカーがこぞって真似をしたものである。とくに1950年代から1960年代を通じた20年ほどは、まさにゴールデンエイジと呼ぶに相応しい、アメリカ車の全盛期であった。そんなアメリカの夢が詰まったモデルを収蔵しているのが、GMヘリテージセンターである。もちろん収蔵しているのはGM車だけだが、いま顧みると、いかに当時のアメリカが自動車の最先端を行っていたかがよくわかる。

残念ながら、ヘリテージセンターは一般には開放されておらず、まとまった団体やGMが認めたグループなどには、内部を見せてくれる。膨大な数の車両が保管されている関係から、常時展示されているクルマは常に入れ替わるらしい。筆者は都合3度ここを訪れたが、メインとなるようなクルマこそ常に展示されていたものの、細かい部分では「あれ?これ、前あったっけ?」というようなものも多くあった。

スペースはそれほど広くはない。それでも常時165台ほどが展示され、展示されていないものは、他の博物館に貸し出したり、あるいはバックヤードに仕舞われている。いずれにせよ、ヘリテージセンターは自動車の歴史と夢が、高濃度で凝縮された場所であることは間違いない。

屋根が付いた世界初はキャディラック製で
世界初のコンセプトカーはビュイック製!

写真の多くは、2007年に訪れたときのものであった。この時は某編集部のメンバーとともにここを訪れた。ヘリテージセンターはデトロイトから少し北東方向へ行った、スターリングハイツという場所にある。外観の写真を撮ったのだが、なぜか半旗が翻っていたから、どなたかが亡くなったのかもしれない。もちろんGMに敬意を表して、当時最新だったキャデラック エスカレードで行った。

そのキャデラックのもっとも古いモデルとして展示されているのが、Osceola(オセオラ)の名を持つキャデラックである。このクルマは世界で初めての、クローズドボディを持ったモデル。1905年に作られた。

時代は一気に飛んで、1938年。この年ビュイックが作り上げたクルマは、Y-Jobという名がつけられた。初代GMデザイン部長だったハーリー・アールによるデザインだが、このクルマこそ世界初のコンセプトカーとして位置づけられるモデルであった。

空からのモチーフはファイアバードになり
海はマンタレイにシャークにスティングレー

そのコンセプトカーと呼ばれるモデル群がもっとも多く作られたのは、1950年代から60年代にかけて。時あたかも飛行機がレシプロからジェットに移行する時代だったからか、飛行機をモチーフにしたモデルが多く製作された。一連のモデルとして、3種類が1953年から1959年にかけて製作されたファイアーバード・シリーズもそのひとつである。

名前こそファイアーバードだが、後のポンティアック ファイアーバードとは何の脈絡もない。ヘリテージセンターを訪れたときは、ファイアバード2とファイアバード3が展示されていた。いずれも垂直尾翼を持ち、ジェット戦闘機を彷彿させるキャノピーを持つデザインである。

そのコンセプトからファイアーバードの名をもらったであろうポンティアック ファイアーバードは、いわゆるマッスルカーの代表格であるが、ヨーロッパ風に言うならシューティングブレークのようなボディも作られていた。

2代目のデザイン部長であったビル・ミッチェルが、釣り上げた魚からヒントを得て着想したのが、メイコ・シャークの名を持つコンセプト。日本語にすると青鮫であるが、ボディのグラデーションがまさにそれを物語る。そしてこちらも、メイコシャーク1とメイコシャーク2が製作され、メイコシャーク2の方はその後リデザインされ、その名もマンタレイとなるが、そのマンタレイも展示されている。

2007年にここを訪れたときは、まさに館内を独り占めした。他に誰もいなかったわけだから、自由気ままに撮影である。そして、お目付け役に唯一許されて乗せてもらったモデルが、キャデラック・サイクロンであった。こちらもジェット戦闘機をイメージしたモデルだが、後のクルマに影響を与えたであろう技術が満載だった。フロント両サイドの黒い突起にはミリ波レーダーが収納され、前方を監視、衝突軽減に寄与する。つまり今でいうところのADASを、すでに備えていたというわけである。

ヘッドライトもグリルのなかから反転して顔を出す。ドアはハンドルを引くと、およそ7〜8cmほど外側に出たのちに、後ろにスライドする。つまりスライドドアだ。展示している時はオープンであったが、本来窓のないキャノピーが被さる。このため、外部とのやり取りはドアに取り付けられた小さな窓から行うようになっていた。

市販モデルもエポックなクルマは展示されている。振り返ってみると、やはりGMは偉大だったと思う。

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