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リンカーンの馬車も展示! 米国立「スチュードベーカー博物館」が伝える自動車文化の魅力【クルマ昔噺】

1975年製アヴァンティⅡ。レイモンド・ロウイのプライベートカー。フランスで使っていたため、イエローバルブが入る

スチュードベーカー国立博物館は白眉! 「自由の国」の栄枯盛衰産業史を垣間見る

モータージャーナリストの中村孝仁氏の経験談を今に伝える連載。今回は、スチュードベーカー博物館を振り返ります。1966年に撤退したメーカーですが、そのルーツは「世界最大の馬車メーカー」にありました。インディアナ州にある国立博物館には、リンカーン大統領の馬車からポルシェ製エンジン搭載の試作車まで、驚きの歴史が眠っていました。

鍛冶屋から世界最大の馬車メーカーに成長!
国宝指定の16代大統領リンカーンの馬車も

読者の多くは、もしかすると「スチュードベーカー」という、かつてアメリカで繁栄した自動車メーカーを知らないかもしれない。このメーカーは1966年まで存在していたが、強大なビッグ3(ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラー)の前に、あえなく自動車産業からの撤退の憂き目に遭った。

スチュードベーカーの祖先は、ドイツからの移民である。元の名前はスチューデンベッカーというドイツ名だった。ドイツ時代の祖先は刀鍛冶であったが、やがてペンシルベニアに定住した彼らは、アメリカ的な呼び名であるスチュードベーカーとして、この地で鍛冶屋を営む。その後、経営難からインディアナ州サウスベンドに移り住み、馬車の製造を始めた。このビジネスが大当たりし、またたく間に会社が拡大。1880年には世界最大の馬車製造会社に成長したのである。

そんなわけで、スチュードベーカー博物館の1階展示室には、数多くの馬車がコレクションされている。なかでも圧巻の展示物は、国宝の指定を受けている第16代大統領、エイブラハム・リンカーンの使っていた馬車である。

この博物館は、単に自動車メーカーとしての歴史的車両を収蔵しているだけではない。より広く自動車以外のものまで所蔵しているのだ。現在はスチュードベーカー国立博物館として、多くの来場客を迎えている。

世界初のテストコース設置や速度記録の樹立
第二次世界大戦前までは破竹の勢いだった…

博物館が所在するのは、馬車の製造を開始したインディアナ州サウスベンド。ここは後に自動車の生産を開始した場所でもある。

最初のクルマ(じつは電気自動車だった)を販売したのは1902年のことだ。そして正式に自動車メーカーとしてスチュードベーカー・コーポレーションが誕生するのは、1911年である。この時点で電気自動車の生産から撤退し、ガソリンエンジンを搭載した自動車メーカーに変身した。

ドイツに源流を持つ家系だけに、販売もアメリカにはこだわらなかったようだ。1926年にデビューした「エルスカイン」はパリで発表された。アメリカ国内よりも、海外での販売の方が多かったという。

当初は自動車の街、デトロイトで生産を行っていたが、生産施設を1926年にすべてサウスベンドに移管した。同じ年には、自動車メーカーとして初めて、屋外のテストコース(プルービンググランド)を建設している。

そして第2次大戦前までに、同社のもっとも有名なモデルが複数誕生した。「コマンダー」「チャンピオン」「プレシデント」である。いずれのモデルも、第2次世界大戦をまたぎ、1950年代後半まで製造が続いた。スチュードベーカーの屋台骨を支えたモデルである。とくにプレシデントは、1928年から1933年にかけて打ち立てた陸上速度記録を、実に35年もの間保持した。この時代、デザインを担当していたのが、レイモンド・ロウイと、彼の事務所にいたヴァージル・エクスナーらであった。

パッカードにオイルのSTPもM&Aで買収
そしてアヴァンティで終止符を打った名門

メーカーのM&Aも積極的に推し進めた。もっとも、それらはすべて負の遺産といっても過言ではなかった。1928年に買収した高級車ブランド、ピアースアローは、翌年の世界恐慌の煽りをまともに受けた。スチュードベーカーを最初の連邦倒産法第11章に陥れたため、1933年に売却。

1954年には、同じく高級車ブランドだったパッカードと合併し、スチュードベーカー-パッカードコーポレーションに社名を変更した。しかし、結局これが引き金となり、自動車生産をやめることになったのである。

M&Aをしたのは自動車メーカーだけではない。1961年には、オイルメーカーとして日本でも知名度が高かったSTPを傘下に収めた。会社が危機的状況にあり、コンパクトカーの「ラーク」を開発した際、プロトタイプのリアに搭載されたエンジンは、何とポルシェ356用のフラット4であった。その後、独自のフラット4エンジンを開発。実際に搭載されることはなかったが、開発にはSTPも関与し、STPのCEOであったアンディ・グラナテッリも関わっていたと言われる。

スチュードベーカー最後のモデルとなったのは、アヴァンティの名を持つスポーティラグジュアリークーペだ。1962年の誕生当時はフォード・サンダーバードを仮想敵としたのだろう。しかし、1963年にサウスベンド工場が閉鎖。生産はカナダに移管され、1966年に自動車事業は終焉を迎えた。

博物館の建物は3層からなる。1階は馬車製造時代から戦前までのクルマを展示。2階は戦後から生産終了までのモデルが並ぶ。地下は「ビジブル・ストレージ」(見学可能な倉庫)と称し、展示できないモデルやパーツを2段駐車の形で収蔵している。スチュードベーカー博物館の常設展示はおよそ70台。定期的に地下のモデルと入れ替えをしているそうだ。

「奢れるものも久しからずや」の例えがある通り、東西の洋を問わず絶大な権力を保持していたとしても、いい気になっていると長続きはしない。スチュードベーカーも鍛冶屋で失敗した経験を活かして、馬車作りで成功を収めたことが教訓にならなかったことが悔やまれる。

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