ランボルギーニとの破談で複雑な工程で製造BMW「M1」の数奇な誕生秘話とその価値…
2026年初頭、パリで開催されたボナムズの大規模オークション「PARIS SALE 2026」に、極上のBMW「M1」が出品されました。ポルシェ打倒を掲げながらも、ランボルギーニとの契約破談やレース規定変更など、数奇な運命に翻弄された幻のスーパーカーです。推定落札価格約8190万円という注目を集めた1981年式モデルの競売の結末と、知られざる数奇すぎる誕生までの歴史に迫ります。
BMW「M」が新ミドシップマシンの開発準備
レースに勝つためのマシン作りで翻弄されたM1
2026年のF1シーズンは、前年までと打って変わって大きくレギュレーションが変更された。3月8日に決勝が行われた初戦のオーストラリア グランプリはすでに終了したが、戦前には「新しいレギュレーションに翻弄されたホンダは、数周走ってリタイアするのでは」といった過激な予想が飛び交うなど、各チームが大きなハプニングや手探りの展開に巻き込まれることとなった。
2026年のF1レギュレーション変更に限らず、技術規則が変わるタイミングというものは、いつの世でも必ず翻弄されるブランドなりクルマなりが存在するものだ。1978年に誕生したBMW「M1」も、まさにその1台といえよう。
BMWがM GmbHを設立したのは1972年、ここに至るには二人の功労者がいる。当時、BMWの副社長格(販売担当取締役)だったボブ・ラッツ(Bob Lutz)が「モータースポーツをブランドイメージの核に据えるべき」と発案し、「レース運営の天才」と呼び声の高かったフォードのチーム監督、ヨッヘン ニーアパッシュ(Jochen Neerpasch)をヘッドハンティング。ニーアパッシュは、1967年のデイトナ24時間でポルシェ907を駆り優勝する腕前のレーシングドライバーで、その後はチームマネージメント業へと転身し、見事に「M」をレース部門統括の会社として誕生させた。
1970年代を通じてBMWの「3.0 CSL」はヨーロッパツーリングカー選手権で大活躍したものの、70年代中盤を過ぎるころからその戦闘力は落ち始め、新たなマシン投入の必要性に迫られていた。そこで浮上したのが、1972年に実車が開発されたものの生産が凍結されていた「BMW Turbo」のようなミッドエンジンカーを製作し、それをグループ4に投入するという計画だった(本来はグループ5だった)。
ランボルギーニの経営難でM1開発白紙撤回!
ドイツとイタリアの技術が生んだ悲運の名車
ただ、グループ4のレギュレーションでは400台のミニマム生産台数が義務付けられていた。そこでBMWはランボルギーニと契約し、その400台の生産を委託するのだが、財政難だったランボルギーニでの開発は遅々として進まず、結局その計画は白紙撤回され契約は破談となる。
こうしてE26プログラムと呼ばれたM1開発は、チューブラーシャシーの製造を角型鋼管(スクエアセクション・スチールチューブ)が得意だったイタリアのマルケージ(Marchesi)が、グラスファイバーのボディは同じくイタリアのTIRが製造し、イタルデザイン(ジウジアーロ)社がシャシーとボディを合体させ、それをドイツに送ってバウアー(Baur)がエンジンやサスペンションのアッセンブリングを手がけ、さらに最終検査はミュンヘンにあるBMW モータースポーツで実施するという複雑な工程を経ることになった。余談だが、シャシー設計には、元ランボルギーニの天才エンジニアのジャンパオロ・ダラーラも深く関わったという。
上記のような事情で、本来の予定よりも1年以上遅れ、1978年にやっとショーデビューに漕ぎ着けたのである。というわけでBMW M GmbHが手掛けた仕事といえば、出来上がったクルマにマニュファクチャラープレートを取り付けることと、ファイナルインスペクションだけであった。というのも、BMWにはミドシップレイアウトの知見がなく、それだったらその道のプロが集まるイタリアの「モーターバレー(モデナ周辺)」の技術を頼りにしようとなったわけだ。
F1前座としてプロモーションレースを開始!
レギュレーション変更に翻弄され2年で終了
ところがBMW本体が出した結論は、M1でのレースへの不参加だった。しかしそれで収まらなかった開発担当のニーアパッシュは、FIAと掛け合い、F1の前座レースとしてF1ドライバーが運転するワンメイクレースにM1を使ったプロカーレースを組み込む。しかしそうした代償は大きく、これがもとでニーアパッシュはM GmbHを去ることになるのである。
本来準備できたはずの1977年にグループ4とグループ5のレギュレーションが変更され、M1の参加はかなわなかったのである。プロカーシリーズは1979年と1980年の2年間だけ開催された。
53台といわれるプロカー仕様のマシンは、ニキ ラウダ(1979年のチャンピオン)やネルソン ピケ(1980年のチャンピオン)のドライブでそれなりに話題を集めたものの、わずか2年で終焉を迎える。それに伴ってロードカーの生産も1981年で終了し、ロードカーの総生産台数は400台といわれている(BMW Mによれば総生産台数は460台とされているが)。
M社初のDOHC傑作エンジン「M88」搭載!
ほぼワンオーナーで14万km走破の極上個体
M1はBMW M GmbH初の量産(と呼べるかはさておき)モデルとして誕生したもので、前述したような数奇な運命をたどって世に出てきた。搭載されるエンジンは「M88」のコードネームを持つ、直列6気筒3.5L DOHC。量産車のエンジンとしてはDOHCのバルブトレーンを持つのは、BMWにとってこれが初のものだった。
ブロックは鋳鉄製、ヘッドはアルミ製である。クーゲルフィッシャー製のメカニカル燃料噴射を採用し、277hpの最高出力を得ていた。プロカーに採用されたエンジンは「M88/1」と名付けられ、470hpを絞り出していた。
ボナムズ オークションに出品されたのは、シャシーナンバー「WBS00000094301097」の1981年式M1である。年式からしてほぼ最終モデルに近いと思われるが、新車でベルリン在住のオーナーにデリバリーされて以来、比較的最近までファーストオーナーのもとにあった個体である。しかも、常にベルリンのBMWディーラーでメンテナンスを受けていたという。
1996年までの走行距離は10万5000km。オークションのカタログ制作時は14万1000kmであった。1996年以前の整備記録簿によれば、19回ものスタンプが押されていた。
直列6気筒ミドシップはスーパーカーにあらず!?予想落札最低価格の約8190万円に届かず流札…
2017年にはクラッチを新品に交換し、オイルとブレーキフルードを交換、さらに新しいピレリタイヤ(フロントP7、リアPZero Asimmetrico)が装着された。M1の弱点といわれたセンタートンネルの冷却パイプは、今回の出品者によってBMWの純正品に交換されており、その周囲は徹底的に清掃され、シーリングされている。
外装色はインカオレンジ、インテリアはブラックで、当時物のクラリオン製のサウンドシステムが備わり、シートはブラックレザーで縁どられたレカロ製が装着されている。もちろんオリジナルのサービスブックやオーナーズマニュアル、ドイツの登録書類なども付属する。
エスティメート価格は45万〜50万ユーロ(邦貨換算約8190万円〜約9100万円)に設定されていた。だが、迎えた競売ではビッド(入札)が伸びず、残念ながら最低落札価格に届かず流札という結果に終わった。
レース規定の変更に泣かされ、本来の目的を果たせなかったBMW「M1」だが、今や約8190万円もの評価を受ける伝説のスーパーカーとなった。そう考えると、2026年のF1開幕戦で新レギュレーションに大苦戦したホンダをはじめとするマシンたちも、決して悲観することはない。40年後には、パリのオークション会場でとんでもない高値がつけられているかもしれないのだから。
※為替レートは1ユーロ=182円(2026年3月9日時点)で換算
