初期型ミウラの足回り熟成と剛性アップが急務
テストドライバーによる改善と快適装備の追加
1966年に登場し、究極のスポーツカーとして世界を驚かせたのはランボルギーニ「ミウラ」です。フェルッチオの予想をはるかに超える人気を集めたこの名車は、さらなる高性能とラグジュアリーを求める声に応えて、1968年にマイナーチェンジ版の「P400Sミウラ」へと進化しました。伝説のテストドライバーであるボブ・ウォレスが足まわりの熟成を重ねて、さらに快適装備も充実させた「P400S」の真の価値と歴史的意義を紐解きます。
マイチェンはラグジュアリーと足回り剛性が焦点
Sパッケージ仕様から昇華した「P400Sミウラ」
「P400ミウラ」がランボルギーニから1966年に発表されると、それはすぐにこれまでの常識を超越した究極のスポーツカーとして世界で語られる存在となった。
ランボルギーニ社のもとには、フェルッチオが事前に予想していた数をはるかに上回るオーダーが寄せられ、さらにそのなかにはより高性能でかつラグジュアリーなミウラの製作を求めるものも数多くあった。
そのような富裕層のリクエストに応えるために、1968年にランボルギーニがオプションで「Sパッケージ」を設定するに至ったところまでは、P400ミウラを解説したなかで触れているとおりだ。そのコンセプトを受け継いだ新たなシリーズモデルが、同年10月に開催されたトリノ・ショーで正式に発表された。「P400Sミウラ」へとネーミングを改めたマイナーチェンジ版がそれだ。
伝説のウォレスが熟成させたSパッケージの改良
剛性アップに足まわりとブレーキの強化を指摘!
P400Sミウラのシャシーは、もちろんP400ミウラがその生産途中から採用した、1mm厚の鋼板を使用して成型されたモノコックをメインの構造体としている。その前後に鋼管によるサブフレームを組み合わせたものだ。
このサブフレームにパワーユニットやサスペンションなどを配置していく手法にも変化はないが、リアサスペンションの取り付け位置はP400Sミウラでは見直されている。
開発から発表、生産開始までの時間的余裕がなかったP400ミウラは、サスペンションのセッティングが完璧ではなかったという。テストドライバーのボブ・ウォレスが後に語ったところによれば、P400Sミウラではその剛性を上げるという改善が必要不可欠であったのだ。ちなみに基本的なサスペンションの構造自体はP400ミウラのそれと共通だ。
前後のタイヤは最新世代のピレリ製チントゥラートに変更され、ブレーキはフロントに305mm径、リアに279mm径のディスクを備えるガーリング製とされた。これは1970年に、同じく同社製となるベンチレーテッドディスクに新型パッドを採用したものへとグレードアップされている。
370psと390NmにパワーUPしたV12エンジン
装備はAC装備など機能性や実用性を大幅に向上
ミッドに搭載される4LのV型12気筒DOHCエンジンは、燃焼室形状が再設計されたほか、吸気ポートを28mm径から30mm径に拡大。圧縮比も10.7に引き上げられ、最高出力はP400ミウラの350psから20psのエクストラを得た370psを発揮。最大トルクも390Nmを実現している。組み合わされるミッションは、もちろんP400ミウラと変わらずに5速MTがそのまま採用されている。
エクステリアでは、リアに「S」のエンブレムが装着されたほか、ウインドウのフレームがクロームとされたことなど、わずかな変化があったのみのP400Sミウラ。しかし一方で、インテリアや装備面では機能性や実用性を重視した様々な改良が施されている。
ロッカースイッチを備えるルーフマウントコンソールが新たに採用され、パワーウインドウも標準装備化された。エアコンがオプションで選択可能になったのも、カスタマーには嬉しいニュースだった。
ミウラの最終進化型「P400SV」をジュネーブへ
同時に世界初披露の「LP500=カウンタック」も
最高速で282km/hと、P400ミウラに対して6km/hほど魅力的なスペックを誇ったP400Sミウラの生産は、最終的には1971年の3月まで続き、この間に338台がサンタアガタ ボロネーゼの本社工場を後にしたとされる。
そしてそれに前後して開催されたジュネーブ・ショーで、ランボルギーニはミウラ シリーズの最終進化型となる「P400SVミウラ」を発表。それは後にミウラの後継車として誕生し、またもや世界を驚かせた「カウンタック」のプロトタイプ「LP500」と同時の世界初披露だった。
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