レストア整備が必要なせいか!? それとも「レン・シュポルトは911に限る」が安値の原因か
2026年3月7日、ブロードアロー・オークションズ社が開催した競売に、ポルシェ「924ターボ」の開発車両が出品されました。1979年のモンテカルロやサファリラリーに参戦した幻のラリーマシンです。当時の過酷な戦いの姿をほぼそのまま残す歴史的遺産とも言える車両に秘められた数奇なストーリーと、最低落札価格なしの競売が招いた“意外すぎる安値”の理由と、を紐解きます。
純レーシングモデル「レン・シュポルト」の系譜に連なるポルシェ初のFRラリーマシン「924ターボ」
ポルシェの純スポーツモデルがクラシックカーマーケットで高価格取り引きされるのは、誰もが知る事実だ。日本のファンの間では「役モノ」と呼ばれる限定モデルがさらに高騰している。しかし、そのさらに上を行くのが「レン・シュポルト(RS)」と呼ばれる純粋なレーシングモデルたちだろう。
今回のオークションレビューで取り上げるのも、間違いなくポルシェ製レン・シュポルトのひとつと言える。空冷でもリアエンジンでもないが、特別なラリーマシンである。「ブロードアロー・オークションズ」社が2026年3月7日に開催した「アメリア2026」セールスに出品した、「924ターボ」のラリー仕様車だ。
ポルシェのファクトリードライバーでラリーのスペシャリストでもあったヴィク・エルフォードは、かつてこう述べている。「1968年から70年のモンテカルロ三連覇後、ポルシェがラリー競技に本格的に取り組むことを選択していれば、1970年代の主要ラリーをすべて制していたはずだ」と。ポルシェのラリー競技における潜在能力がいかに高かったかを物語る言葉である。ちなみにエルフォードは、1968年のモンテカルロラリーに911Tで出場し優勝した1週間後には、アメリカのデイトナ24時間耐久レースに907LH(ロングテールモデル)で参戦し優勝を飾るという類稀な才能を持った天才ドライバーだった。
1970年代半ば、ポルシェの主戦場はサーキットに戻っていた。しかし社内にはラリーの支持者も多く存在した。その代表格が、のちにカスタマースポーツ部門の責任者となるユルゲン・バルトだ。
彼はポルシェの歴史と深い関わりを持つ伝説的な人物である。1977年、ファクトリーチームのポルシェ「936/77」でジャッキー・イクスらと組んでル・マン24時間レースを制覇。同年からラリーにも出場し始め、1979年にはポルシェ924でラリーへ挑戦を開始する。
モンテカルロ参戦へ向けたFRターボのプロトタイプ「924-L19」の試作車4台のうちの1台!
ポルシェは将来の主力となるトランスアクスル車シリーズの第1弾として「924」を発表していた。当初は自然吸気エンジンを搭載していたが、開発陣はターボチャージャーの恩恵を確信していた。その結果、1977年末にターボ搭載のコンセプトを検証するため、ポルシェ「924ターボ」のプロトタイプを4台製作した。
そのなかに、イエロー塗装で社内コード「924-L19」、工場プレート「BB-JD 799」を付与された「924-8100015」が含まれていた。これこそが、今回出品された個体である。
4台のL19試作車は1978年を通じてテストを成功裏に終えた。通常、役目を終えた試作車は廃棄される。しかしユルゲン・バルトは、ポルシェ本社の承認を得て、この4台すべてを活用する計画を立てた。2台をラリー仕様に改造し、残る2台を偵察車とする計画だ。
目標は1979年1月の第47回「モンテカルロ・ラリー」への参戦である。バルトと仲間のクスマウルが1台でチームを組むことが決定した。いっぽう、今回の出品車「924-8100015」はアレクサンダー・ヤンダという人物が購入し、仲間のリストルがコ・ドライバーを務めることになった。
この2台のラリー仕様には、本格的な競技用装備が施された。ロールケージや強化サスペンション、ベンチレーテッド・ディスクブレーキ、予備の点火システムなどである。さらに、幅広の15インチ鍛造ホイールを覆うフェンダーフレアも装着された。
911派を「トランスアクスルによるハンドリング性能はドライバー疲労を軽減する」と社内を説得!
ヤンダは「データコム」社から多額のスポンサーシップを獲得した。しかし、ターボを搭載してモンテカルロへ参戦するには、FIAが規定する「400台の生産」をクリアする必要があった。
ところが、工場労働者のストライキにより生産目標の達成が不可能になってしまう。バルトはFIAに特例を働きかけたが認められず、チームは自然吸気エンジンでの本戦出場を余儀なくされた。
この年の「モンテ」は過酷な天候が続いた。バルト組の0015号車は総合20位クラス4位で完走したものの、ヤンダ組はショックアブソーバーの不具合でリタイアを選択する。それでも、ホモロゲーション取得前に参戦し、無傷で持ち帰ったことは驚異的な偉業だった。
続いてチームは、過酷を極める1979年「サファリ・ラリー」へ照準を合わせる。この時点で170psのターボエンジンはFIA公認を取得し、メーカー公認での参戦となった。
スタートナンバー「26」の0015は、水越え用フラップやスポットライトで強化されていた。しかし、過酷な路面でダンパーが故障し、それがトランスアクスルジョイントの破損を招く。結局、2台ともリタイアという結果に終わった。
それでも苦難の末に得た知見は大きかった。この経験はのちの「924カレラGT/GTS」や、純レーシングカー「GTR」の開発へとつながっていくのである。
924ターボでのラリー活動を率いていたユルゲン・バルトは、社内やファンの「911こそポルシェ」派に向かって924の優位性を説き続けた。フロントエンジン・リアミッションによるトランスアクスル方式が持つ完璧に近い重量配分がもたらすハンドリング性能は「特に滑りやすいラリー路面では、911よりもコントローラブルで、ドライバーを疲れさせない」とバルトは主張し続けたという。
ラリー実戦後は驚異的オリジナル状態を保持してオークションに登場した924ターボだったが…
書類によれば、ユルゲン・バルトは1980年12月にシャシーNo.「#924-8100015」をフランスの販売代理店「ソノート」へ売却している。
「パリ・ダカールラリー」挑戦のために入手したソノートは、信頼性を優先してターボエンジンを撤去したようだ。現在まで残る自然吸気エンジンに交換された可能性が高いという。
結局パリダカ参戦は実現せず、車両は再びバルトのもとに戻った。彼はこれを「ジンズハイム技術博物館」に収蔵させ、2022年まで展示。その後、高名なコレクターへと売却した。
こんにち、この開発車両は1970年代後半の現役時代からほぼ手つかずの状態にある。戦いを経たパーツ群や内部番号ステッカーを保持する、驚異的なオリジナル状態だ。公式カタログには、公道やラリーへ復帰させるには徹底的な整備が必要であることが正直に申告されていた。
今回の出品に際し、ブロードアロー社はターボ付きエンジンもセットにし、15万〜20万ドル(邦貨換算約2400万〜3200万円)の推定落札価格を設定した。そのうえで「最低落札価格なし(リザーブなし)」での出品に踏み切った。
この競売形態は会場が盛り上がる反面、希望額に届かなくても強制的に落札されてしまうリスクがある。
そして3月7日、その負の側面が現れた。ハンマープライスは売り手側の希望を大幅に下回る7万5600ドル。現在の為替レートで約1210万円である。歴史的価値を鑑みれば、リーズナブルとも言えそうな価格での決着となった。やはりポルシェ社のレン・シュポルトは911、という固定概念が市況をそうしているのか。
※為替レートは1ドル=160円(2026年4月2日時点)で換算
