世界に7台のブガッティも来日! カジノ王が情熱を注いだ歴史的遺産
1971年、日本の自動車ファンを熱狂させた「ワールドクラシックカーフェスティバル」。そこへ展示されたのは、アメリカのカジノ王であるウィリアム・ハーラー氏が収集した、世界最高峰のクラシックカー30台でした。総数1400台を超えるコレクションのなかから厳選されたブガッティやロールスロイスなど、自動車史に燦然と輝く名車たちのエピソードを振り返ります。
カジノで財を成し1400台のコレクションを集めたウィリアム・ハーラー
「ウィリアム・ハーラー」という人の名を聞いたことのある人、あるいは知っているという人は、もう還暦を超えた人たちだと思う。しかし、彼が最盛期には1400台を超えるクルマを収集し、大がかりな博物館を含むリゾートを建築しようとしていたと知れば、このハーラーなる人物に少しは興味を持つかもしれない。
彼は1911年に、カリフォルニアのサウスパサディナで生まれた。父親は弁護士だ。しかし、大恐慌の煽りで事実上破産した。その後は小さな賭博場を開業して生計を立てた。その息子であるウィリアムは、賭博に関してはかなりの知識があったようで、1937年にはリノへ移住する。そこでカジノを始めて大儲けをすることになった。
もともとクルマが好きだったのかはわからないが、1948年に最初のクラシックカーである「マックスウェル」を購入したのを皮切りに、1978年までなんと1400台以上のクルマを購入し、それを修復してはコレクションを一般の人々に見せていた。
修復の作業のために70人以上のスタッフを雇い、そのレストアと購入にかけた費用、つまり投資額は4000万ドルを超えるというから、一個人の道楽としては桁違いといって過言ではない。
未完に終わった巨大複合施設と日本に来た厳選コレクション30台
コレクションを展示し始めたのは、1960年代の初頭からだ。これが「ハーラー・コレクション」と呼ばれたいわゆるミュージアムであるが、当初は倉庫を借り上げてそこにクルマを展示していた。しかし、1970年に新たな土地を購入し、そこに自動車のみならず、飛行機、鉄道、果ては軍艦から飛行船に至るあらゆる乗り物を展示した博物館にホテル、カジノなどが含まれた複合施設の建設をスタートさせた。
果たしてその資金集めの一環だったのかは定かではないが、1971年にこのハーラー・コレクションの一部の自動車が、日本にやってきた。その数たったの30台だ。そりゃ1400台以上も集めたのだから、そのうちの30台と聞けば「たった」という感想を持つのは当然だと思うのだが、それでもかなり濃密な30台であったことは間違いない。
残念ながら、アメリカのネバダ州リノにあるハーラー・コレクションは訪れたことがない。だから、日本にやってきたモデルたちが、本当に選りすぐりだったのかはわからない。それでも、日本人好みの名車が集められたことだけは間違いないと思う。というのもハーラーはやはりアメリカ人であり、アメリカ車のコレクションが多かったからである。
ただ残念ながら、ハーラーが企画した壮大な複合施設は完成を見ることはなかった。1978年に大動脈瘤の手術中に彼は帰らぬ人となったという。しかも、大動脈瘤の手術はそのときが2度目だったというから、複合施設の企画をしたころは、すでに病に侵されていたのだろう。だからある意味、日本にこのコレクションがやってきたのは、かなりラッキーだったともいえる。
現存7台のブガッティ ロワイヤルと、極上のロールスロイス
そんな「たった」なのか、はたまた「凄い」なのかは読者の判断に任せることにして、重要と思えるモデルをいくつか紹介しよう。
やはり最初に挙げなくてはいけないのは、ブガッティである。「ワールドクラシックカーフェスティバル」と名付けられたこのイベントには、ハーラーから2台のブガッティがやってきた。その1台が、現存するたった6台(今は7台)のうちの1台である「ロワイヤル」だ。
ロワイヤルは1台として同じボディのクルマがないが、ハーラーから来たのは「クーペ ド ヴィル」と呼ばれるシャシーナンバー「41.111」のモデルである。もともとは異なるボディが載っていたが、2人目のオーナーがこのボディを架装している。現在はフォルクスワーゲン社がこのクルマを保有する。一説によると購入価格は2000万ドルだとか。ただし、今となっては安いものである。
もう1台のブガッティは、「T50」と呼ばれるモデルだ。エットーレの息子、ジャン・ブガッティのデザインによる革命的なモデルである。ワンピースのDOHC直列8気筒エンジンや、3速のトランスアクスル方式の駆動レイアウトなど、スタイルだけでなく、メカニズムも性能も当時の頂点を極めていた。
ロールスロイスは2台やってきた。1938年の「ファントムIII」は、7.34LのV12を搭載する。このエンジンは、シリンダーライナーを除いてすべてアルミニウム製であり、ロールスロイスのエンジニアリングを支えたヘンリー・ロイス最後の作品といわれている。ちなみにコードネームは「スペクター」であった。モダンなデザインのボディは、フランスのコーチビルダーであるフラネィ製である。
デューセンバーグやオールズモビルなど、珠玉のアメリカ車たち
アメリカを代表するモデルでもあるデューセンバーグは、その華麗なスタイルや性能で人気を博し、クラーク・ゲーブルやタイロン・パワーなど、多くのハリウッドスターの愛車となった。性能面でも1922年、1924年、1925年、1927年と4度、インディ500を制している。「SJ」は、インディに勝った直列8気筒7LのDOHC4バルブエンジンに、スーパーチャージャーを装備したものだ。
来日したモデルで4輪のもっとも古いモデルが、1902年式のオールズモビルである。オールズモビルはランサム・エリ・オールズが1897年に設立した会社である。そのごく初期のモデルが、この「ラナバウトR」だ。余談ながら、ロックバンド「REOスピードワゴン」のREOは、ランサム・エリ・オールズの頭文字であり、バンド名は1915年に製造されたトラックの名前そのままである(REOスピードワゴン)。
マーサーは黎明期のハイパフォーマンスカーとして有名で、とくにこの「タイプ35」がそれを代表する。会社は1909年に誕生し、1925年に終焉を迎えた。「モデルJ」と呼ばれた1913年式の「レースアバウト」は、言ってみれば当時のレーシングカーだ。いわゆる当時のハンドリングマシンであったという。
1927年のニューヨークショーに展示されたリンカーンは、意図的に古い馬車のコーチ風のボディを載せたモデルとしてデビューした。今も使われる「ブロアム」という名前は、イギリスの政治家であり法学者であったロード・ブローアムにちなんだ、一頭引きの馬車のスタイルを言う。
パッカードもアメリカを代表する高級車のひとつだ。1931年の「タイプ840」と呼ばれるモデルは、8シリーズという1924年から1936年まで製造されたモデルの一つ。ハーラーからやってきたこのクルマは、コーチビルダーのディートリッヒのボディを持つ、当時としては最高級のモデルの1台である。エンジンは、アルミヘッドを持つ直列8気筒6.3Lを搭載していた。
フェルディナント・ポルシェ博士が設計したメルセデス SSK
メルセデスの逸品は、1929年式の「SSK」だ。SSKはスーパー スポーツ クルツ(ドイツ語)の略で、最後のクルツはショートを意味する。設計はフェルディナント・ポルシェ博士だ。
合計30数台しか生産されておらず、大半がレースでクラッシュするなどして失われ、現在残るモデルはごく僅かだという。ハーラーのクルマはイギリスに輸出されたモデルで、1961年に焼失したものをレストアしたものだという。対英輸出車なので、右ハンドル仕様だ。
1人の男の途方もない情熱と財力が生み出し、そして奇跡的に日本の地を踏んだ30台の名車たち。あの熱狂のフェスティバルは、日本の自動車愛好家にとって、永遠に語り継がれるべき歴史的瞬間であった。
■「クルマ昔噺」連載記事一覧はこちら
