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アラン・プロストの王座奪還を託されたフェラーリ「642」がモナコのオークションに登場! 実践ゼロのスペアカーが7億円超えで落札!

383万ユーロ(邦貨換算約7億790万円)で落札された「フェラーリ 642」(C)Courtesy of RM Sotheby's

モナコのオークションで世界を震撼させた1991年式F1マシンの正体

F1モナコGPの舞台であるモナコ王国は、クラシックカー愛好家にとっても夢の国です。二年に一度、クラシック版モナコGPである「グランプリ・ドゥ・モナコ・ヒストリーク」が開催されるのみならず、それに付随するかたちでRMサザビーズ社の「MONACO」オークションも大々的に開かれます。2026年4月に開催された同オークションにて、愛好家の注目を集めたフェラーリのF1マシン「642」の落札結果と歴史を振り返ります。

アラン・プロストが王座を奪還するために開発されたニューマシン

1990年シーズンのF1GPは、マクラーレンの僚友だった時代から続くアイルトン・セナとアラン・プロストの確執が、まさに最悪のかたちで終結した。

F1ディフェンディングチャンピオンのプロストは、このシーズンからスクデリア・フェラーリに移籍していた。そして1990年シーズンのタイトル争いは最終2戦まで持ち越された。この年のフェラーリは競争力を維持するため、「641」シリーズの開発をシーズン終盤まで延長し、それは名作「641/2」として結実するも、イタリア・マラネッロに本拠を置くフェラーリ技術陣の努力は水泡に帰してしまう。日本GPの第一コーナーで2人は接触し、セナの王座が確定したのだ。

それでも、1990年シーズンが改良マシンで栄冠を目前にするところまで行った成功体験からか、チーム首脳陣は1991年のドライバー部門およびコンストラクターズ部門(製造者部門)で世界選手権タイトル争いを主導するには、ニューマシンを一から設計し直すのではなく、改良型デザインで充分と判断した。この保守的なアプローチに異議を唱えたチーフデザイナーのエンリケ・スカラブローニは、マラネッロから去ることになる。

その結果、マクラーレンからプロストとともに移籍したスティーブ・ニコルズ技師が、ニューマシン「642(F1-91)」の開発を主導することになった。1989年シーズンおよび1990年シーズンにて成功を収めたハイスピードマシンから多くのコンセプトと基本設計を引き継ぎつつも、642ではとくに改良されたボディワークと、より大きなエンドプレートを備えたフロントウィングを採用していた。

そして完成したマシンは、冬季のテストで有望なペースを見せたものの、それはウィリアムズやマクラーレンの新型車が発表される以前のことだった。それでも、1991年シーズン開幕戦となるアメリカGPに向けて期待は高まっていたのだが、マラネッロの読みが甘かったことを、そのあとの歴史が残酷に証明することになる。

フェニックス市街地での開幕戦と雨のイモラで起きた悲劇

こうして迎えた開幕戦、北米アリゾナ州フェニックスに特設された市街地サーキットは、90度の急カーブが連続するレイアウトで、フェラーリ 642のハンドリングバランスや、自然吸気3.5リッターV12エンジン「ティーポ037」の出力特性には向かないコースと見なされていた。にもかかわらずプロストは、ポールポジションを獲得したセナのとなりの2番手に滑り込む。いっぽう、新たにティレルから移籍した新星、ジャン・アレジは6番手からのスタートとなった。

のちに4度のワールドチャンピオンとなるプロストは、そのグリッドポジションを活かして2位でフィニッシュしたが、アレジは横置きされた7速セミオートマチックギアボックスのトラブルにより、12位に終わってしまう。

フェラーリ 642は計5台が製作されたというが、このほどRMサザビーズのオークションに出品されたシャシーNo.125は、3月下旬のブラジルGPに初めて投入された。ただし、このマシンはスペアカーとして待機させるため、インテルラゴスに持ち込まれたものである。このレースでは、本戦用マシンに乗ったプロストは4位、アレジは6位でフィニッシュした。

また、イモラでの第3戦サン・マリノGPでは、642に大幅なアップグレードが施される。フロントウィングの改良にくわえて、サイドポッド(車体側面の冷却用空気取り入れ口周辺)は角張った形状へと変更。エアボックス(エンジン上部の吸気口)とディフューザー(車体後部底面の気流を整える部品)も改良され、新しいセットアップのフロントダンパーが採用された。しかしこのときもシャシーNo.125は、同様のアップデートを施したうえで、スペアマシンとしてパドックに待機していた。

プロストはグリッド3番手からのスタートだったが、水浸しのサーキットでパレードラップ中にスピン。濡れた芝生の上でエンジンがストールし、スタートを切ることができなかった。いっぽうのアレジも、ティレルの代役ステファノ・モデナへのオーバーテイクを誤ってサンドトラップに立ち往生してしまい、早々にリタイアとなった。

この段階で、ティーポ642が使用されるのはあと3戦のみ。スクデリア・フェラーリは残りのシーズンを未テストの「643」で戦うことになった。ところが、チーム内の政治的駆け引きと、ニューマシンが充分な戦力向上をもたらせなかったことが重なり、643にスイッチしたあとも勝利は遠いまま。失意のプロストは、オーストラリアでの最終戦を前にチームを去ることとなったのだ。

実戦未投入のスペアカーでありながら7億円超えで落札

ほか4台の642とともにチームカーとしては退役したのち、このシャシーNo.125はしばらく表舞台から消える。しかし、2012年9月には「フェラーリ・クラシケ(フェラーリ公式のクラシックカー認定部門)」の認証検査を受けた。車両に添えられた「レッドブック」には、このマシンのヒストリーにくわえ、オリジナルのシャシーとボディカウルが維持されていることが記録されている。

また、規定どおりの仕様であるエンジン(No.91)と7速セミオートマチック・ギアボックス(No.27)が今なお搭載されていることも、レッドブックで確認されている。

ほかにも、当時の日付入り「スケドーニ」社製のプロスト用レースシートインサートやスペアのリアウィング(レースナンバー「27」入り)、さらにフロントおよびリアジャッキ、専用エンジンスターター、「OMP」社製タイヤウォーミングシステムおよびブランケットなども付属している。

さらには「スピードライン」社製ホイールつきの「エイヴォン」タイヤ1セット、「グッドイヤー・イーグル」タイヤ1セットからなる2セットのフルサイズタイヤにくわえ、車両の操作性と輸送性を高めるために使用された、ナローゲージのグッドイヤー社製タイヤ1セットも付属している。

ただしこのマシンを再びサーキットへと戻すならば、その前に「フェラーリ F1 クリエンティ(顧客向けのF1走行プログラム)」部門の全面的な点検と、安全装置の更新を行うことを推奨するとの由であった。

RMサザビーズ欧州本社は、自社の公式オークションカタログ内で「F1の歴史においてもっとも響き渡るV12パワートレインのひとつを搭載するこの美しい642は、新オーナーが自然吸気エンジンのシンフォニーを存分に楽しむことができます。また、数多くのコンクール・デレガンス(クラシックカーの優美さを競う品評会)やイベントでの目玉展示となるだけでなく、あらゆるモータースポーツ・コレクションにおいても貴重な一品となるでしょう」と謳い、300万ユーロ〜400万ユーロ(邦貨換算約5億5500万円〜7億4000万円)のエスティメート(推定落札価格)を設定した。

そして世界のファン注視のなかで行われた競売では、エスティメートの範囲内に収まる383万ユーロ、日本円に換算すると約7億790万円で落札されることになった。

このハンマープライスでも驚くに値するものではあるのだが、もしも現役時代にレースカーとして走行したマシンならば、もっと高値がついたかもしれないかと考えると、やはり現在の国際コレクターズカーマーケットには感嘆を禁じえないのである。

※為替レートは1ユーロ=185円で2026年5月30日時点のレート換算

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