ジウジアーロが手がけた幻の4ドアサルーンがモナコで競売に
世界の一流オークションでは、時おり伝説的なプロトタイプが出品されて大きな話題を呼びます。2026年4月に開催されたRMサザビーズ社の「MONACO」オークションには、ブガッティが1990年代に計画した幻の4ドアサルーン、ブガッティ「EB112」の試作車が登場しました。元日本法人スタッフである筆者が、約3億円で落札された伝説のクルマの数奇な歴史を振り返ります。
スーパーカーのコンポーネントを流用したプレステージセダン
第二次世界大戦前、フランスのアルザス地方を拠点とするブガッティは、幅広い車種を製作していた。ブガッティ「タイプ35」に代表されるグランプリレーサーから、巨大なブガッティ「タイプ41 ロワイヤル」にいたるまで、そのジャンルは多岐にわたる。
だからこそ、前世紀末に復活した「ブガッティ・アウトモービリ」社がプレステージセダン分野への進出を図ったのは、むしろ当然だった。同社はスーパーカーであるブガッティ「EB110」の主要コンポーネントを巧みに流用。劇的な4ドアのファストバック(ルーフからリア後端までなだらかに傾斜するボディ形状)としたブガッティ「EB112」を開発したのだ。
EB112のカーボンファイバー製シャシーは、EB110と共通の設計思想で作られた。しかし、エンジンはリアミッドではなくフロントに搭載されている。そのV型12気筒エンジンも、EB110用がベースだ。ボアとストロークの双方を延長することで、総排気量を6.0リッターまで拡大している。また、4基のターボチャージャーではなく自然吸気式を採用した。
最高出力は6300rpmで460ps、最大トルクは3000rpmから590Nmを発揮する。4輪駆動機構と6速マニュアルトランスミッションが標準装備とされたのは、EB110と同様だ。また、当時ブガッティの日本事務所に勤務していた筆者は、ある計画を聞かされていた。それは、ポルシェからティップトロニック(マニュアル操作が可能なオートマチックトランスミッション)を導入することだった。
流麗にして曲線的なボディワークは、イタリアのイタルデザイン社を率いるジョルジェット・ジウジアーロが手掛けた。そこには、ほのかな縦方向の背骨のようなラインと、分割されたリアウィンドウが取り入れられている。この造形は、かつての名車であるブガッティ「タイプ57S/57SCアトランティーク」の特徴的なデザインアイコンを想起させるものだ。
いっぽう、ホイールは伝説の超高級車である タイプ41 ロワイヤルに採用されたものを現代的に再解釈した。通気孔つきの頑丈なアルミ合金製ホイールが足元を飾る。また、EB110のフロントマスクでは名残にすぎなかった有名な馬蹄形グリルを採用。EB112でははるかに際立った存在とされていた。
さらには、付属の傘でさえもブランドの歴史へのオマージュにあふれている。ハンドル部分には、レンブラント・ブガッティが手がけた象の彫刻を縮小したレプリカを採用。これは、ロワイヤルシリーズのラジエーターマスコットとして使用されたものだ。
インテリアは4人乗りとなる。後部座席は折りたたみ式のアームレストで仕切られた空間だ。ヘッドレストには旧来のEBロゴが刻印された。また、計器盤の周囲やセンターダッシュボード、ドアパネルにはメタルパネルを採用。クラシックなマシンターンド仕上げ(円形の模様を重ねて削り出す金属加工)が施されている。
しかし、それ以外のインテリアは控えめで洗練されていた。この仕立ては、初期の開発段階でジウジアーロらが関わったブガッティ「ヴェイロン」のキャビンにも大きな影響を及ぼすことになる。
予測されたパフォーマンスは圧巻だった。0-100km/h加速は4.3秒、最高速度は300km/hに達する。当時ほかに類を見ない超高級スーパーサルーンとなる素質を秘めていた。しかし、経営破綻によってその夢は叶うことなく終わってしまう。
日本にも上陸したプロトタイプとモナコでの華やかな余生
ボルドーレッドの外装カラーを持つ最初のプロトタイプは、1993年3月のジュネーヴショーにて世界初公開された。翌4月3日には、東京の赤坂アークヒルズで行われたお披露目イベントに展示される。さらに、東京都心で新旧ブガッティを引き連れたパレード走行の先導車として走る姿も披露した。
ところが、この最初のプロトタイプはテールランプの位置などが北米の法規に準拠していなかった。そのため、翌1994年には主にリアを中心に改良を施した第二次スタイリングモデルも発表されている。そのかたわら、本社工場での操業が1995年をもって停止する。その直前までに、もう1台の試作シャシーが組み立てられはじめていた。
のちにF1チームを運営するモナコの実業家、ジルド・パランカ・パストールが、破産後にその資産を買収した。もし彼が動いていなければ、事態はそのまま幕を閉じていたかもしれない。
パストールは、レースカーに仕立て直した EB110SSを競技に投入していた。そのため、スペアパーツの在庫を求めていたのだ。そして取り引きの一環として、未完成のシャシーとパーツもすべて引き受けることとした。
このとき、日本の故・式場壮吉もプロトタイプの入手を希望していた。当時の筆者の勤め先であるブガッティ・ジャパン社から、イタリアの本社へ打診も行っている。しかし、管財人でもあったパストールがすでにすべての車両とパーツを引き上げていた。そのため、式場の希望は果たされることなく終わったのだ。
ともあれ、パストールは最終的に2台のクルマを完成させることになる。彼は、完成させた2台のうちの2台目を手元に置いていた。これは製造された3台のなかの最後の1台にあたる。その後、2015年に現在の所有者に引き渡された。
2000年代半ばには、世界最高のコレクションとして名高いシュルンプ・コレクションに展示された。また、モナコのナンバープレートを取得し、公国内の公道を時おり走行していたという。
熱心な愛好家にとっては、この神話的なサルーンが走行する姿を見かけることは、まさに胸躍る体験だったに違いない。そのいっぽうで、たまたまモナコを訪れた旅行者は戸惑いを覚えたはずだ。馬蹄形のグリルとエンブレムをまとった、見慣れない個性的なクルマとの遭遇に驚いたことだろう。
総計わずか3台の稀少車に下された3億円超のハンマープライス
このほどRMサザビーズのオークションに出品された個体は、パストールによって完成された当時の姿をほぼそのまま残している。3台目であることを示すシャシーナンバーは「ZA9CC030ERCD39003」だ。イタリアで中途まで製作されたのは1994年から1995年だ。しかし、1999年に初登録されたことから、今回の出品に際しては1999年式とされたと思われる。
現在でもモナコ公国での登録は継続されている。新車時からわずか二代のオーナーのみが所有してきた個体だ。公式カタログ作成時点での走行距離は、わずか388kmにすぎない。
出品者である二代目オーナーは、モナコのクラシックカー専門ショップに整備を依頼してきた。2021年と2022年には入念な作業が行われた。ブレーキやサスペンションの修理をはじめ、触媒コンバーター(排気ガスを浄化する装置)の交換を含む排気系のオーバーホール、外観の整備、新品のミシュランタイヤの装着などが挙げられる。
さらに2022年5月には、エンジン関連の整備も完了した。記録されている請求書の合計額によると、現オーナーによる投資額は3万7000ユーロを超えている。
現状の車両には、純正ツールロールが付属する。さらにエットレ・ブガッティブランドの専用ラゲッジセットや、例の象のマスコットがついた専用の傘も揃っている。
現在のフォルクスワーゲングループ傘下において、新生ブランドはジウジアーロがデザインしたブガッティ「EB218コンセプト」や、ブガッティ「16Cギャリビエ」を製作した。しかし、4ドアモデルの市販化にはいたっていない。したがって、このEB112を入手することは、現代のブガッティ製セダンを所有して運転できる唯一の機会となる。
テクノロジーの面でも魅力的だ。ひと目でブガッティとわかる外観と、信じられないほどの希少性を備えている。このクルマは、ブランドが持つべきすべての要素を兼ね備えていると言えるだろう。
最初の1台であるボルドーレッドの試作車は、イタルデザイン社に所蔵されている。また、2台目は個人所有だ。そのため、このような1台を手に入れる機会はきわめて稀なことである。
RMサザビーズは現オーナーとの協議のうえで、150万ユーロ〜200万ユーロのエスティメート(推定落札価格)を設定した。そして迎えたオークション当日、競売が行われた。結果はエスティメートの範囲内に収まる169万2500ユーロ。日本円に換算すれば約3億1480万円という高価格でハンマーが鳴らされた。
蛇足ながら、もし正式な生産が始まって日本に導入されることになれば、国内価格は3000万円前後に収まると想定していた。これは当時、われわれブガッティ・ジャパンで考えていた計画だ。当時の想定価格からすると、今回の落札額は10倍以上におよぶ計算になる。わずかとはいえ、かつて縁のあった筆者にとっては、なんともいえない感慨を抱いてしまったのである。
※為替レートは1ユーロ=186円で2026年5月30日時点のレート換算
