モナコに舞い降りた1978年式の至宝! ロイテマンと共に戦った黄金期の記憶
F1モナコGPの舞台であるモナコ公国は、クラシックカー愛好家にとっても夢の国です。二年に一度、クラシック版モナコGPである「グランプリ・ドゥ・モナコ・ヒストリーク」が開催されるのみならず、それに付随するかたちでRMサザビーズ社の「MONACO」オークションも大々的に開かれます。2026年4月に開催された同オークションにでは、愛好家たちの熱い視線を集めたフェラーリのF1マシンがありました。その一台とは、カルロス・ロイテマンやジル・ビルヌーブが巧みに操った1978年に投入された「312T3」の落札結果と歴史を振り返ります。
伝説の「312T」シリーズを継承する1978年シーズンのニューマシン
1975年シーズンから1980年シーズンにかけてF1GPを戦ったイタリア・マラネッロを本拠とするフェラーリ「312T」シリーズは、史上最高のトップフォーミュラマシンのひとつに数えられている。5世代の改良型が投入された一連のシリーズは、総計89回の出場で27回のグランプリ優勝を飾った。さらに3度のドライバーズ世界選手権と、4度のコンストラクターズタイトル(製造者部門の年間優勝)を獲得している。これは、モータースポーツ史上もっとも重要なチームにとってさえも、初めて長期にわたる支配を確立した偉大な一時代となったのだ。
名匠マウロ・フォルギエーリ技師によって設計された開祖の312Tは、旧世代であるフェラーリ「312B3」の後継モデルである。重量配分を改善するために、リアアクスル前方に横置きギヤボックスを配置した点が特筆され、ネーミングにもある「T」はイタリア語の「Trasversale(トラスヴェルサーレ=横置き)」を意味し、そのギヤボックス配置をさしている。心臓部は3リッターの水平対向(180度V型)12気筒エンジンであった。
1978年シーズンは、スクデリア・フェラーリにとって大きな変化の幕開けとなる。タイヤをアメリカのグッドイヤーからフランスのミシュランに変更したほか、前シーズンの世界チャンピオンであるニキ・ラウダは、イギリスの名門チームであるブラバムへ移籍してしまっていた。その結果、当時はまだほとんど無名だったジル・ヴィルヌーヴというルーキーが初めてフルタイム契約を結ぶことになる。のちに世界的スーパースターとなるカナダ人ドライバーは、すでに確たる実績を挙げていたアルゼンチン人ドライバーのカルロス・ロイテマンとコンビを組むことになった。
ロイテマンに託された新シャシーと伝説のファンカーとの対決
1975年にブラバムでポイントランキング3位となったロイテマンは、翌年、ニュルブルクリンクでの激しいクラッシュから回復中のラウダに代わって代役を務めたことでも知られていた。そして1978年シーズンの彼は、マリオ・アンドレッティとロニー・ピーターソンのコンビでこの年のF1を席巻した伝説のウイングカー(車体底面の空気の流れを利用して路面に吸い付く力「ダウンフォース」を発生させるレーシングカー)、イギリスのロータス「79」を向こうに回し、フェラーリのエースパイロットとして新型であるフェラーリ 312T3を走らせることになった。
フェラーリ 312T3は5台が製作されたとの由だが、このほどカナダ・オンタリオ州に本社を置く世界有数のオークションハウス、RMサザビーズのオークションに出品されたシャシーナンバー「036」は、全16戦中のシーズン第8戦となる、6月のスウェーデンGPに間に合うよう準備されたものである。
今なお「ファンカー(車体後部に巨大な扇風機を取り付け、強制的に空気を吸い出してダウンフォースを得る特殊なマシン)」として知られるブラバム「BT46B」の登場と圧倒的な支配、そして1戦のみでの実質的出場停止によってF1の伝説となったスウェーデンのアンデルストープでのレースにおいて、ロイテマンはこの312T3(シャシーナンバー036)とともに予選8番手グリッドを獲得した。70周の決勝レースの20周目にはいったん3位まで浮上したものの、その後10位まで順位を落とすという結果に終わる。
タイヤメーカーの勢力図とロイテマンが見せた執念の走り
ロイテマンとシャシーナンバー036の次なる舞台となったのは、翌戦のフランスGPだった。そのエントリーリストのうち、ミシュランタイヤを履いたのはフェラーリの2台のみだった。ポール・リカール・サーキットではグッドイヤー勢に優位が傾く情勢のもと、ロイテマンは再び予選8番手からスタートする。ところが度重なるトラブルにより4回のピットストップを要してしまい、最終的には18位フィニッシュに終わる。
それでも、順位を挽回しようとする努力の一環として、彼はラップレコードを2秒も更新する奮闘ぶりを見せた。
そして8月下旬のオランダGPの開催サーキットであるザントフォールト・サーキットでの出走が、この個体とロイテマンのコンビにとっては最後の完走となる。このときの彼は予選4番グリッドからスタートし、このシーズンの絶対王者であるロータス 79の2人や、ラウダのブラバムから1秒未満のビハインドで周回を重ねた。そして、このシーズンの世界チャンピオンとなったアンドレッティがF1での最後の勝利を飾るかたわら、このフェラーリは7位でチェッカーを受けた。
スペアカーへの降格とヴィルヌーヴによる最後のドライブ
シャシーナンバー036は、イタリアGP、アメリカ東GP、カナダGPでの最終3戦においてスペアカーとして1978年シーズンを終えた。北米ワトキンス・グレンでは別のフェラーリ 312T3とともにロイテマンが4勝目を挙げ、ドライバーランキング3位となった。また、ヴィルヌーヴも母国カナダで行われた最終戦で、自身のF1キャリアにおける初勝利を獲得する。
そしてコンストラクターとしてのフェラーリは、このシーズンを文字どおり圧倒した歴史的傑作であるロータス 79を擁するロータスに次いで、ランキング2位でシーズンを終えた。
フェラーリ 312T3は、翌1979年シーズン開幕戦にも再び投入されることになる。フェラーリがコンストラクターズタイトルを獲得し、ロイテマンに代わって新加入のジョディ・シェクターがドライバーズタイトルを手にしたこのシーズン。開幕戦のアルゼンチンGPにおいて、シャシーナンバー036はヴィルヌーヴに託された。
創始者のエンツォ・フェラーリ、そして世界中のティフォージ(フェラーリの熱狂的なファン)から熱愛されたこの華麗なカナダ人ドライバーは、ブエノスアイレスでのグリッドポジションを活かし、7位でフィニッシュする。そしてこのクルマはその後ブラジルGPにも持ち込まれ、そこで再びスペアカーとして出番を待つこととなったが、後継車であるフェラーリ「312T4」のデビューにより、最終的な退役を迎えるに至った。
フェラーリ公式の認証を得た個体が8億円超えの価格で落札
そののちシャシーナンバー036は、歴史の表舞台から長らく遠ざかることになる。しかし2025年1月にはフェラーリ公式のクラシックカー認定部門である「フェラーリ・クラシケ」の検査に提出され、正式に認証が授与された。
この車両と一緒に保管されているおなじみの「レッドブック」には、レース履歴にくわえてオリジナルのシャシーとボディワークが保持されていることが記録されている。また、現役当時の正規仕様の180度V型12気筒エンジン(No.97)と5速マニュアルトランスミッション(No.11)が搭載されていることも確認された。
現時点では、1980年アルゼンチンGPにてヴィルヌーヴが駆ったときのレースナンバー「12」のカラーリングとなっているが、これはヴィルヌーヴとロイテマンの人気の差を思えば至極当然にも思われる。また、3セット分のフルサイズ・スリックタイヤ(ミシュラン2セット、イタリアのピレリ1セット)にくわえて、操作性と輸送性を高めるための4セットのナローゲージホイールとタイヤを付属して販売される。さらにフロントおよびリア用ジャッキ、燃料給油用ファンネルも同梱されるとの由であった。
RMサザビーズ欧州本社は、自社の公式オークションカタログ内で「このフェラーリを再びサーキットに送り出す前に、車体の徹底的な点検と安全装置の更新を行うことをお勧めします」と勧告したうえで、450万ユーロ〜550万ユーロ(邦貨換算約8億3700万円〜10億2300万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定する。
ところが、世界中の熱心なティフォージ、ないしはヴィルヌーヴのファンの注視のもとに迎えた競売では、433万6250ユーロで落札されることになった。最新の為替レートで日本円に換算すると、約8億654万円である。
たしかにこのハンマープライスは、エスティメートを若干ながら割り込んでいた。しかし、8億円オーバーという金額はインパクトが大きなものであることは、間違いあるまい。
※為替レートは1ユーロ=186円で2026年5月31日時点のレート換算
