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なぜ英国王室はロールス・ロイス「ファントム」を御料車に迎えた? 第二次大戦を挟み復活した最高級リムジンの歴史を振り返ります

1972年式のロールス・ロイス ファントムVI

ファントムの100年の歴史をたどる

ロールス・ロイス・モーターカーズは、2025年に最上位モデル「ファントム」誕生から100周年を迎えます。ファントムは現在8代目まで続き、一切妥協することのない比類なきドライビング体験は最新モデルまで継承されています。そこで、AMWでは記念すべきファントムの歴史を3回に分けて紹介します。第2回目は、創設者のひとりであるヘンリー・ロイスの死後からファントムが復活する物語です。

V12エンジンを搭載し、先代より45馬力アップ

1933年にヘンリー・ロイスが亡くなったとき、ロールス・ロイスは顧客がよりパワフルなモデルを求めていることを十分に認識していた。キャデラック、リンカーン、パッカードなどの米国の競合他車ブランドは、直列8気筒、V型12気筒、さらにはV型16気筒エンジンなどを搭載し、同社が長年使用してきた直列6気筒エンジンは急速に影を潜めていった。

こうした商業的な圧力と、航空機用エンジンの設計、製造で培った経験を考慮すると、次期「ファントム」にV型12気筒エンジンを搭載することは必然であった。1936年に発表されたファントムIIIは『タイムズ』紙によって告知され、「このクルマは、有名な先代モデルであるファントムIIから多くの優れた特徴を受け継いでいる」と紹介された。

V型12気筒エンジンを搭載するファントムIIIの最も重要な特徴は、「よりなめらかで柔軟性があり、静かで加速力に優れている」という点であった。V型12気筒エンジンは旧型の直列6気筒エンジンよりもコンパクトで、ボンネットを短くして乗客の居住空間を広くすることが可能となった。パワーはファントムIIの最大出力120psに対して、ファントムIIIは最大出力165ps、そして後期モデルは最大出力180psにまで向上した。

また新シャシーフレームにより、より広く快適な後部座席を実現。独立型フロントサスペンションにより、オーナードライバーやショーファーにとっても生活をよりリラックスしたものにした。

ファントムIIIはあらゆる種類のコーチワークに適しており、オーナードライバーとショーファーどちらの用途にも適していた。価格面ではアメリカのライバルブランドに勝てなかったが、最高のクルマに乗りたい人たちにとっては、ファントムが唯一の選択肢となった。

第二次世界大戦後にシルバーレイスが誕生

1939年に第二次世界大戦が勃発するまでの約14年間、ファントムは世界最高級のクルマと謳われていた。しかし、ロールス・ロイスは戦争期間中に自動車の生産をすべて中止。1945年に平和が戻ると、会社はまったく異なる世界に身を置くことになった。しかしながらそれは同社が予期し、準備していたことでもあった。

英国王室がロールス・ロイス車を御料車に

ファントムの物語はここで終わっていたかもしれないが、その後に2つの幸運な出来事が起こった。合理化されたレンジの開発プロセスの一環として、エンジニアたちは直列8気筒エンジンを搭載した4台の実験用車両を製造していた。そのうちの1台にパークウォード社のリムジンボディを搭載したクルマは、公式には「シルバーファントム」(非公式にはビッグ・ベルタ)と名付けられた。その後、より小型で軽量なサルーンバージョンとして、「スコーデッド・キャット(やけどした猫)」と呼ばれるクルマが製作された。

同時期に英国王室では愛用してきたダイムラーの老朽化したクルマを入れ替えようとしていたが、当時販売されていた車種には満足していなかった。そこで1950年、英国王室は王室の御料車にフォーマルなリムジンを供給するようにロースル・ロイスに依頼した。同社は喜んでHJマリナー社によるコーチワークを施した直列8気筒エンジンを搭載するロングシャシーのリムジンをワンオフで製作した。製造中は「マハラジャ」というコードネームが付けられ、現在もその名で王室御用達車として使用されている。

ほかの王族や国家元首からも同様の注文が相次ぐと、ロールス・ロイスは喜んでそれに応えた。そこでファントムの名を復活させるのがふさわしいと同社は判断し、その1950年から1958年の間にファントムIVと名付けたモデルがわずか18台生産された。

コーチビルドの伝統が終幕を迎える

1959年にファントムVが発表されたことで、ロールス・ロイスの最高峰の体験を再びより広く顧客が味わえるようになった。ファントムVは「キャンベラI/II」型と呼ばれた2台が王室専用に製造され、リアコンパートメントの上には透明なペルレックス製のキューポラが取り付けられ、室内照明が装備されていた。

ファントムVは13年の歳月と832台の生産を経て、ファントムVIとして生まれ変わった。この新型モデルは歴代のモデルと同様に快適性を最優先し、前部と後部のコンパートメントにそれぞれ独立した空調システムを搭載した。生産された374台のほとんどは、社内にあるコーチワークを施したリムジンであった。

ファントムVIは、ロースル・ロイスが製造したボディ・オン・シャシー・モデルの最終型であり、その生産中止によりコーチビルディングの伝統は、2017年にグッドウッドで「スウェプテイル」が復活するまで途絶えたままだった。

AMWノミカタ

ロールス・ロイスにとって戦争を挟んだ数十年は、苦難の時代だったのではないだろうか。アメリカ市場は大型エンジンを搭載したクルマであふれ、それに対応したのがファントムIIIである。V12型のオールアルミ製のエンジンを搭載し、フロントにはダブルウィッシュボーンの独立懸架サスが採用された。とくにフロントサスには油圧ダンパーを採用しており、スピードに応じてダンピングレートを自動的に変えられる最新の仕組みが装備されていたという。

しかし時代は戦後そのような高級車を求めずファントムの名は消えてゆく。大きな転機は王室からの車両製造の依頼だろう。これにより名実ともにロールス・ロイスが世界で最も高級なクルマであることが証明される。日本の皇室が「コーニッシュIII」を購入したのもそれが世界最高峰のクルマだったからだろう。

王室御用達の看板は、ロールス・ロイスを復活させるのに大きな役割を果たした。そしてそれを支えたコーチビルダーたちが十分な技術力を持っていたこともロールス・ロイスにとっては幸運なことだったであろう。

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