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ランチア「ストラトス ゼロ」に再会!斬新さやインパクトはとても55年前にデザインされたクルマとは思えません

ランチア ストラトス ゼロ:リアのエンジンフードは横開きとなる

斬新さやインパクトを持つデザイン

モータージャーナリストの中村孝仁氏は1985年にカロッツェリア・ベルトーネを訪れたことがある。その際にサプライズで登場したのが今回紹介するランチア「ストラトス ゼロ」です。約40年ぶりの再開となった中村さんはどんなことを感じたのでしょうか。

CCCJブースには2台のクラシックカーを展示

オートモビルカウンシルにクラシックカークラブの老舗、クラシック・カー・クラブ・ジャパン(CCCJ)がブースを出展。私も所属するCCCJは、2026年に創立70周年を迎える。恐らくは日本最古のクラシックカークラブであり、ヒストリックカークラブのラリーなどを国際的に統括するFIVAという組織の日本支部でもある。また、CCCJの創立が11月3日であることから、その日を「クラシックカーの日」として、一般社団法人・日本記念日協会から認定されるなど、多方面で日本のクラシックカー啓蒙に勤めているクラブである。

そのようなCCCJのブースに展示されていたのは、2台の新旧クラシックカー。1台は1924年式のドラージュ。そしてもう1台がここで取り上げる1970年式のランチア ストラトス ゼロである。このクルマ、奈良の薬師寺で開催された「コンコルソ デザイン ガンツァ2025」の目玉として持ち込まれた。驚くことにほぼ1カ月、日本に留め置かれて、このイベントにも登場した。

今回のオートモビルカウンシル最大の目玉は、なんといっても巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロ氏の来日と、このイベントでのトークショーだったように思う。そしてそのために、マエストロの作品だけを並べた特別ブースも仕立てられていた。ジウジアーロ氏は、カロッツェリア・ベルトーネでの活躍を皮切りに、カロッツェリア・ギアに移り、その後独立して彼自身の工房であるイタル・デザインを立ち上げた。2025年で86歳になられたそうだが、今もとても若々しく精力的である。

ランチア「フルヴィア」をベースに開発

そして、ストラトス ゼロはカロッツェリア・ベルトーネの作品であるが、ジウジアーロ氏の作品ではなく、何かと比較される、マルチェロ・ガンディーニ氏の作品である。このふたり、どちらも甲乙つけがたい秀作を残していることからか、時には論争の的にもなる。

同じイベントに方やマエストロご本人と一連の秀作、此方ガンディーニの出世作ともいえるストラトス ゼロが並べられたのは、じつに興味深かった。会場を闊歩していたマエストロは、果たしてストラトス ゼロに足を止めたのであろうか?

そんなストラトス ゼロの初登場は前述した通り1970年のトリノショーであった。ベースとなっているのは、ランチア「フルヴィア」。ベルトーネはこのストラトスをランチアに売り込むべく、わざわざ中古のフルヴィアを購入し、そこからV4エンジンをはじめとしたメカニカルコンポーネンツを移植して、ストラトス ゼロを完成させた。

今回CCCJブースに展示された時点で、そのカラーリングはブラウンメタリックで、元々この色でトリノに出展された。その後、シルバーに塗り替えられ、そして再度現在の色に塗り替えられた。筆者はカラーリングがシルバーの時代に、このクルマのコックピットに座ったことがある。フロントウインドウを開くと、ステアリングコラムが立ち上がり、シートに座るのだが、コラムを戻すと同時にウインドウも降りてくる。それがかなり急激に降りるため、下手をすると頭をぶつけるというのが、会場で乗った人たちの意見だった。筆者が座ったとき、ステアリングコラムとウインドウを連携するシステムがカットされていたようで、コラムを戻してもウインドウは降りてこなかった。

また、フロントの黒い部分に足を載せて乗り降りするとあるようだが、筆者はフロントホイールアーチの前端をまたいで乗った。いずれにしても極めて独特で、フロントにメータークラスターを構築する余地がないので、メーター類はサイドウインドウ前方に置かれている。そのサイドウインドウもスライド式に開く。

この個体はベルトーネが保存していたが2014年に倒産。現在の海外のオーナーは比較的頻繁に各地のイベントにこのクルマを出しているようだが、さすがに後方視界が悪いからか、後付けのリアビューミラーをウインドウ上部に付けているのが印象的だった。

筆者にとってはほぼ40年ぶりの再会(このクルマとの)であったが、今から55年も前にデザインされたクルマとはとても思えない、斬新さやインパクトを持つデザインであることは間違いない。

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