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元F1ドライバー ミケーレ・アルボレートが所有していたフェラーリ「F355」が約2740万円で落札!

16万6750ユーロ(邦貨換算約2740万円)で落札されたフェラーリ「F355」(C)Courtesy of RM Sotheby's

故ミケーレ・アルボレートの愛用したF355

昨今の1980-90年代「ヤングタイマークラシック」の人気と、それに伴うマーケット相場価格の高騰は留まることを知らないように見えます。なかでも1990年代を代表するスーパースポーツ、あるいは古き良きスーパーカー時代の最後を飾るモデルとして、フェラーリ「F355」シリーズの評価は目覚ましいものがあります。2025年5月22日に開催された世界有数の格式を誇るコンクール・デレガンス「コンコルソ・ヴィラ・デステ」に付随するかたちで、名門RMサザビーズ欧州本社がミラノ市内で開いた「MILAN 2025」オークション。その出品リストには、F1ドライバーだった故ミケーレ・アルボレートが愛用していたというフェラーリF355ベルリネッタの姿がありました。

最後のオーセンティックなV8フェラーリと称される人気モデル

1994年5月に「F355ベルリネッタ/355GTS」としてデビューした355シリーズは前任モデルにあたる「348シリーズ」をベースとしつつも、あらゆる面で大幅に進化。当時のフェラーリでは「フルモデルチェンジ」であると高らかに宣言していた。

技術面における最大の進化ポイントは「F1直系テクノロジー」を高らかに標榜したパワートレーンにある。エンジンは、排気量を3.4Lから3.5Lまで拡大すると同時に、各気筒あたり5バルブのシリンダーヘッドや8連独立スロットルの電子制御インジェクション。鍛造アルミ製ピストンにチタニウム製コンロッドなど、この時代におけるF1GPの現場で培われた先進技術を贅沢に投入。その結果、348シリーズの最終進化形「348GTB」用V8ユニットから60psのアップとなる、380psのパワーが与えられることになった。

そして、348シリーズ以来の横置き方式とされたトランスミッションは、すでに「456GT」に採用されていた6速MTが、V8フェラーリとしては初採用された。

市販車として世界初採用パドルシフト式シーケンシャルMTを採用

348をベースとしつつも剛性を大幅に上げられたという鋼板モノコックフレーム/ボディには、新たに電子制御式の可変ショックアブソーバーシステムで採用した4輪ダブルウィッシュボーンのサスペンションが組み合わされた。ハンドリングの面でも大幅なリファインが加えられた。

また、当時のフェラーリの定石にしたがってピニンファリーナに委ねられたボディスタイリングは、こちらも348シリーズをベースとしつつも、丸みを帯びた張りのある曲面が生かされる。同時に、楕円形のフロントグリルに4連の丸型テールランプなど、伝統的なフェラーリのモチーフが再びデザインに引用されることになる。

デビュー当初のラインナップは、クーペの「F355ベルリネッタ」に、デタッチャブル(取り外し式)トップを持つ「355GTS」の2本立て。ソフトトップを持つフルオープンのスパイダーは348シリーズのまま継続生産されていたが、約半年遅れとなる1995年4月には、新たに電動オープンとされた「355スパイダー」も追加。3つのボディタイプが勢揃いとなる。

さらに1997年には、市販車としては世界初採用となったパドルシフト式シーケンシャルMT「F1マティック」も採用された、このモデルの先進性をさらにアピールすることになった。デビューから30年以上の時を経た現在では、スタイリングからエキゾーストサウンドに至るまで、旧き良きフェラーリの味わいを残した最後のV8フェラーリ。国際クラシックカー・マーケットにおいても確固たる人気モデルとなっているのだ。

元アルボレート車という経歴は果たしてプラス要素となるのか?

一定以上の年齢のイタリア人フェラーリファンにとっては、ある意味アイドルともいうべき人気者のミケーレ・アルボレート。1994年シーズン終了をもってF1から離れ、トップカテゴリーにおける14年間のキャリアにピリオドを打った。その輝かしいキャリアには「スクーデリア・フェラーリ」で戦った5シーズンも含まれていた。

なかでも1985年シーズンのアルボレートは、1979年のジョディ・シェクター以来長らくフェラーリから遠ざかっていたドライバーズタイトルを、あと一歩のところまでもっていった。しかし最終的に「マクラーレンTAGポルシェ」のアラン・プロストに敗れ、ポイントランキング2位という結果に終わった。

F1GP引退後、彼は「シュベール・エンジニアリング」のもとドイツの「DTM選手権」および「ITCC選手権(インターナショナル・ツーリングカー・チャンピオンシップ)」に参戦する。そのかたわら、北米「インディカー選手権」や「FIAワールド・スポーツカー・チャンピオンシップ(WSC選手権)」にも出場。1997年の「ル・マン24時間レース」では、「TWRポルシェWSC-95」で総合優勝に輝いた。ただし、その間にも北米「IMSA選手権」でフェラーリ「333SP」を駆るなど、マラネッロとのつながりは維持していた。

パリの名門フェラーリ・ディーラー「シャルル・ポッツィ」が販売

RMサザビーズ「MILAN 2025」オークションに出品したフェラーリ F355ベルリネッタは、この時代におけるアルボレートとフェラーリの関係をうかがわせる1台といえるだろう。

1995年8月8日、モナコに在住していたアルボレートは、パリの名門フェラーリ・ディーラー「シャルル・ポッツィ(Charles Pozzi SA)」から、このフェラーリ F355ベルリネッタを受け取る。

VINコード(シャシーNo.)は「ZFFPR41B000103037」。現在も維持されている「ネロ・カルボニオ(Nero Carbonio:カーボンブラック)」のボディカラーと「ベイジェ(Beige:ベージュ)」のレザーインテリアの組み合わせで製造された。マッチングナンバーの「ティーポF129」型V8・40バルブエンジンも残されている。

また、まだF1マティックの設定のない1995年式の初期型ということで、自動的に3ペダルの6速マニュアル仕様となる。それは現在のマーケットにおいては、むしろ歓迎される要素となるだろう。

フェラーリ・クラシケも取得

フェラーリ本社発行のドキュメントと純正マニュアルがファイリングされ、主要ディーラーでのメンテナンス記録が一部ながら残っているこのF355。2024年8月にローマのクラシックフェラーリ・スペシャリスト「スクデーリア・バルディーニ(Scuderia Baldini)」社にてメンテナンスを受けるとともに、その1ヵ月後には同ワークショップにおいて、新車時代から純正指定されていたのと同じ「ブリヂストン・ポテンザ」タイヤ4本を新品に交換している。

オークションの公式カタログ作成時点で、オドメーターに示される走行距離は4万7696km。2024年12月に取得したばかりという「フェラーリ・クラシケ」の「レッドブック」とともに出品される。さらに現在では「Tubiスタイル」社のエキゾーストシステムが装着されているが、オリジナルのエキゾーストも付属しているとのことであった。

今回の出品に際して、RMサザビーズ欧州本社では

「著名なフェラーリF1ドライバーを最初のオーナーとする来歴を持つ、このクラシケ認定のF355ベルリネッタは、スクーデリア・フェラーリのファンにとって見逃せない1台」

という煽情的なPRフレーズとともに、高値安定で推移しているF355ベルリネッタとしてもやや高めとなる、15万ユーロ~19万(邦貨換算約2445万円〜3095万円)のエスティメート(推定落札価格)を設定していた。

新車価格の約1.8倍の価格でハンマープライス

そして迎えたオークション当日、ミラノ市内の旧い金属加工場を改装。現在では「ミラノ・コレクション」のファッションショーなども開かれているコンベンション施設にて挙行された競売では、エスティメートの範囲内に収まる16万6750ユーロに到達。

つまり日本円に換算すると約2740万円という、新車デビュー当時の定価(日本市場でのベルリネッタは1490万円/GTSは1555万円)の約1.8倍のハンマープライスとなったのだが、この価格のうちの少なくとも数万ユーロは「故ミケーレ・アルボレートの元愛車」という甘美なストーリーがもたらしたもの……? とも思われる。

ジル・ヴィルヌーヴを喪ったあとのエンツォ・フェラーリ翁が、最期まで寵愛したドライバーだったことでも知られるアルボレートは、あの時代を知るイタリアのフェラリスタにとっては、今なお特別な存在なのであろう。

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