1960〜1970年代に隆盛を極めたFLのマシンに半世紀ぶりに再会!?
梅雨の先駆けとなる驟雨の合間を縫うような曇天ながら、幸いにも路面はドライコンディションが保たれていた2025年5月16日。鈴鹿サーキットではFL festivalが開催されました。このイベントは、かつてFLマシンのコンストラクター(車両製造者)として一世を風靡したハヤシレーシングが主催しています。早速レポートをお届けします。
クルマとドライバーの古さを配慮して走行枠を30分に設定
FL festivalは、これまで鈴鹿サーキットや岡山国際サーキットで開催されている。今回で5回目となり20台を超える参加者が集まった。イベントとしては午前9時からと午前11時半から、それぞれ30分間の走行セッションが予定されている。
鈴鹿サーキットの走行枠は通常1時間枠となっているそうだが主催者がサーキットを貸切る際の要望として
「(古い)クルマだけじゃなく(高齢になった)ドライバーにとっても、60分枠を走り切るのはしんどい(笑)」
との意向があって30分枠での走行となった経緯があるようだ。実際のところ、60分の走行枠をヒストリックレースカーで一気に走り通すのは無理があるのは明らかで、30分×2セッションは妥当な設定だろう。それにしても、この話からは鈴鹿のFLへのシンパシーが感じられ、いい気持ちだった。
軽自動車のエンジンをベースにしたミニフォーミュラ
あらためてFLについて紹介する。1960年代末から1970年代に隆盛を迎えたレースカテゴリーのひとつで、当時の軽自動車用エンジン(主流はホンダ「N360」用の4ストローク・空冷2気筒だったが、のちにスズキ「フロンテ」用の2サイクル・水冷3気筒が圧倒的多数派に)をミッドシップに搭載したミニフォーミュラがFLのマシンだ。
FJとかFJ360、あるいはF500とかFL500、などと細かな車両規定によってさまざまな呼称はあるが、その総称としてはFLが一般的だ。個人的には中学生時代に実家近くにオープンしたホンダのサブディーラーの開店記念の展示会があって、自転車で駆けつけて初めて見たレーシングカーがFLのハヤシ「702」だった。ちなみにカーマン・アパッチのマスコットネームで知られるハヤシ「701」やホンダのワークス活動を担っていたRSCのホンダ「1300クーペ」やホンダ「S800」などのレース仕様が展示されていた記憶もある。
つまり鈴鹿で出会ったハヤシ 702とは半世紀ぶりの再会だったが、正確に言うなら半世紀前に見かけた702は初期型の702A。今回のFL festivalに登場したのは後期モデルの702Bだったから、例えて言うなら初恋の人と半世紀ぶりに再会したと思ったら実は双子の妹だった、ということにでもなるのだろうか。
コンストラクター名はハヤシカーショップだった!
そんな与太話はともかく、シャシーに貼られたシリアルプレートには「形式:702B2、製造年月:72-1-31、車体番号:702-017、製作者:林」と刻印されていた。コンストラクター名もハヤシレーシングではなくハヤシカーショップとなっているのも新たな“発見”だった。
それはともかく、AであるかBであるかを問わず、702がこうしたイベントに顔を見せるのは非常に珍しいとのことで、自分自身も702が“走る”姿を見たのはこの日が初めてだった。そして主催者でもあるハヤシカーショップの林将一会長も
「(レストアが)完成し、イベントに出てくるんは初めてちゃうかな」
と顔を綻ばせていた。
この日は新たな出会いもあった。それは1971年式の東京技研F-Jと1972年式のアウグスタMkIIIの2台だ。もちろんその存在は知っていたが、現物にお目にかかるのはこの日が初めて。ともにこれまでにモータースポーツ専門誌で見かけたルックスとは異なり、特にアウグスタはEssoカラーではなく、どこかのイベントで展示されていたカラーリングを再現したものだとか。
あらためて、両車を設計した解良喜久雄さん(元トミーカイラ)や小野昌朗さんに当時のお話を聞きたいと思った次第。2回の走行セッションを終えた参加者は、鈴鹿サーキットのピット前に愛機を並べて記念写真に納まり、再会を期して解散していった。最後に、自らが手掛けた作品と一緒に記念写真に納まった林会長は、次回のFL festivalを秋に開催する予定に加えて、新たな仕掛けを考えていると漏らしていたが、FL大好き親爺ライターは、是非とも関わっていきたいと思った次第だ。
