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約60年前のマグネシウムパーツが維持されたアルファ ロメオ「ジュリア スプリントGTA」が約3240万円で落札

22万ドル(邦貨換算約3240万円)で落札されたアルファ ロメオ「ジュリア スプリントGTA」(C)Courtesy of RM Sotheby's

アルファ ロメオGTAの純正レース仕様がアメリカのオークションに登場

1965年にデビューしたアルファ ロメオ「ジュリア スプリントGTA」は、世界中のアルフィスタにとって今も伝説的な存在です。その元祖ともいえる1台が、アメリカ・モントレーで開催されたRMサザビーズのMonterey 2025」に出品されました。イタリアの名門プライベートチーム「コンレロ」や「ジョリークラブ」で活躍したレースヒストリーを持ち、希少なマグネシウム製パーツを保持するオリジナル性の高さも魅力です。その特別なクルマの紹介と、注目のオークション結果についてお伝えします。

レース参戦のために開発された掟破りの元祖ジュリアGTAとは?

世界中のアルフィスタ(熱狂的なアルファロメオファン)の間で、現在もなお伝説的な存在となっている元祖「ジュリアGTA」シリーズは、いずれもFIAホモロゲート(公認)用ベースモデルである。

当時の欧州西側各国で大人気を博していた「European Touring Car Challenge(ETC)」の制覇を最大の目的として、1965年2月のアムステルダム国際自動車ショー(RAI)で、まずは1.6Lクラスの「ジュリア・スプリントGTA」としてデビューした。ETCのカテゴリーであるグループ2に要求されていた500台(実際には501台説が濃厚)を生産し、FIAのホモロゲートを受けた。

「軽量化を施した」ことを意味するイタリア語「Alleggerita(アレジェリータ)」のイニシャル「A」に相応しく、フェンダーやドア、ボンネット、トランクリッドなどをアルミに置き換えたことで、ベースとなったジュリア スプリントGTでは公称950kgだった車重は、最初期に製作され、ワークスチームおよび有力プライベーターに引き渡されたレース用のホモロゲート仕様では、じつに745kgまでシェイプアップされていた。

また、総排気量1570ccの「アルファツインカム」直列4気筒DOHCエンジンには、ツインイグニッション化された新設計のヘッドが与えられ、もちろんツインで装着されるウェーバーキャブレターも40mm径から45mm径に大径化された。

ストラダーレ(ロードカー)のパワーは、ジュリア スプリントGTVの109psからわずか6psアップの115psに過ぎないが、この時期アルファロメオのモータースポーツ活動を一手に引き受けていた「アウトデルタ」がモータースポーツ用に仕立てた「GTAコルサ」(レース仕様)では170ps以上を発生したとされている。

そして、アウトデルタによってエントリーされたGTAコルサは、アルファロメオの目論見どおり1966年シーズンからETCに参戦。「コンレロ」など、チューナーも兼ねた有力サテライトチームの助けも相まって、1969年までETCで4連覇を果たした上に、北米のツーリングカーレース「SCCA」選手権でも大活躍を見せたのだ。

名門コンレロ&ジョリークラブでレース歴を重ねたGTA

ほとんどのジュリア・スプリントGTAはストラダーレ仕様として一般販売されたか、あるいは納車後にコルサ仕様にアップグレードされてモータースポーツに供された。だが、今回「Monterey 2025」に出品されたシャシーNo.「AR752675」は、当初から競技用として製作された、いわゆるGTAコルサの1台である。

車両とともに保管されてきた「Certificato di Origine(チェルティフィカート・ディ・オリジネ:正統証明書)」によると、1965年9月8日にアレーゼ工場で製造され、1966年8月31日に「Autotecnica Conrero(アウトテクニカ・コンレロ)」チームに引き渡されたとのことだ。

イタリアでもっとも著名なプライベートチームのひとつであるアウトテクニカ・コンレロは、1951年にヴィルジリオ・コンレロによって設立され、アルファロメオのチューニングと世界中のレースにおける勝利で、創業当初から評判を確立していた。

おそらくピット作業時の利便性を考慮してだろうか、GTAのデフォルトとは異なる右ハンドル仕様で納車されたこの個体は、ほぼすぐにコンレロのカラーリング(白に黄色のノーズバンド)に再塗装されたといわれている。

こうして、のちにランチアやフェラーリの準ワークスとして活動することになる「Jolly Club(ジョリークラブ)」とコンレロのジョイント体制「コンレロ/ジョリークラブ」のチーム名で、イタリア国内戦や欧州のツーリングカーレースで活躍した。

マグネシウム部品を未だに多々維持している希少な個体

そして、西ドイツ(当時)のオペルを新たなパートナーとしたコンレロでの活動期間を終えたシャシーNo.「AR752675」は、1969年にプライベートレーサーのジークフリート・コプケに売却され、ドイツ国内のツーリングカーレースに出場。さらに翌1970年、コプケにとっては同業のライバルであるディーター・マハティウスに売却されたものの、どうやらこの時点で、ツインプラグのDOHCエンジンはブローしてしまっていたようだ。

その後、このGTAは長らくドイツ国内にとどまることになるが、1970年代から1980年代にかけては休眠期間を過ごしていた。しかし、時々ロードカーとして使用されることもあったようだ。1995年に、ジュリアGTAシリーズのスペシャリストとして知られる別の個人オーナーによって購入され、完全な「新品同様」の状態に修復された。

ところで、ジュリアGTAシリーズの特徴のひとつとしては、アルミ合金製のボディシェルとマグネシウム製パーツの広範な使用が挙げられるが、とくに最初期のホモロゲート取得用に製作されたこの個体は、オイルパンやバルブカバーを含む数多くの希少なマグネシウム部品を保持していることも注目に値しよう。

また、適切なGTA専用トランスミッションとアウトデルタ製リアアクスル、そして非常に希少な第1世代カンパニョーロ製マグネシウムホイールも搭載している上、競技歴を証明するオリジナルの「コンレロ」プレートがダッシュボードに、オリジナルのホモロゲーション番号がトランクに刻印されている。

今回のオークション出品に際して、RMサザビーズ北米本社は公式オークションカタログで

「時代を反映したレース歴、魅力的なヒストリー、そして次なるオーナーに広がる無限の可能性とともに手に入れられる稀有な1台」

と熱烈に自賛しつつ、近年の北米マーケットにおけるジュリアGTAの売買実績からすれば、いささか控えめにも思える22万ドルから28万ドル(邦貨換算約3240万円〜4088万円)のエスティメート(推定落札価格)を設定した。

ところが迎えた8月15日のオークション当日。モントレー市内の大型コンベンションセンター、および今年からは隣接するホテルにも会場を広げて挙行された対面型競売では、思いのほかビッド(入札)が伸びず、エスティメート下限にようやく届く22万ドル。現在の為替レートで日本円に換算すれば約3240万円という落札価格で、競売人のハンマーが鳴らされることになったのだ。

「元コンレロ」というレーシングヒストリーを持つGTAコルサが、台数こそ少ないとはいえ一般に販売されたGTAストラダーレの相場価格に近いハンマープライスというのは、少なくとも落札者にとっては良い買い物だったに違いない。

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