新技術の投入より長年のユーザーのためのクルマ作りと価格設定
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のお題は刷新したばかりのダイハツ「ムーヴ」。あえてシニア世代をメインターゲットに据え、操作性や価格設定にまで細やかな配慮を施しました。若者向けの最新技術が脚光を浴びるなかで、人生のパートナーとして“寄り添うクルマ”を目指した戦略が注目されています。
シニア世代の移動の自由を守ることがムーヴの真髄
2025年は、まさに“軽自動車黄金期”と呼ぶにふさわしい年になりそうです。
まずホンダは、軽自動車販売台数ナンバーワンを誇る「N-BOX」にEVを投入しました。さらに、日産は軽EV「サクラ」が市場を席巻しています。これまで軽自動車という日本独自の規格は国内メーカーの独壇場でしたが、その均衡を破るべく中国のBYDが軽カー開発に着手し、日本市場に参入するといいます。まさに、軽カー戦国時代の幕開けです。
そんな激戦の渦中に投入されたのが、ダイハツの主力モデル「ムーヴ」です。スーパーハイトワゴンが増殖するなかで、ムーヴは「基本形」ともいえるハイトワゴンの王道を追求しました。さらに、電動スライドドアを採用するなど、ユーザーのニーズを徹底的に分析した痕跡が随所に見られます。
一般的に新型車は「ユーザーの若返り」を狙うのが常套手段です。購買力の持続性を考えると、若年層を取り込むことがメーカーにとっての生存戦略といえるからです。しかし、新型ムーヴはあえて60代を中心としたシニア層にラブコールを送りました。その背景には、初代ムーヴから続く長い歴史があります。
初代ムーヴは1995年に誕生し、2025年で30周年を迎えます。初代から愛用し続け、人生をムーヴと共に歩んできたユーザーも少なくありません。新型は、そうした人々の「人生のパートナー」として寄り添う姿勢を明確にしています。
この戦略は販売面にとどまらず、車両の細部にまで息づいています。例えば、自然吸気エンジンを搭載する「X」グレードの価格を150万円以下に設定しました。これは年金世代の購買力を意識したものです。
さらにパーキングブレーキは、最新の電動式ではなく、あえて足踏み式を採用しました。上級のターボモデルには電動式が採用されていますが、ベーシックモデルには旧来の方式を残しています。その理由は明快で、シニア層が長年慣れ親しんだ操作に安心感を抱くからです。
こうした設計思想は、単なるノスタルジーではありません。運転習慣や身体的な感覚に寄り添うことで、シニア世代の移動の自由を守る──それが新型ムーヴの真髄です。これは販売戦略であると同時に、ユーザーへの誠実なメッセージでもあります。
ホンダ、日産、そしてBYDが若年層や最新技術で市場を攻めるなか、ダイハツは「あえてシニアに寄り添う」という逆張りの戦略を取りました。その姿勢は、軽自動車市場の多様性を象徴しているといえるでしょう。
2025年の軽カー市場は、単なる販売競争ではなく「誰の人生に、どう寄り添うか」という価値観の戦場になりつつあるのです。
