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“アルファ ロメオ博物館”を日本人として初取材!1979年に出会った貴重な展示車両【クルマ昔噺】

アルファ ロメオ TZ1

1979年に実現した夢のイタリア博物館巡礼取材の裏側

モータージャーナリストの中村孝仁氏の経験談を今に伝える連載。今回は1970年代、ドイツ留学中に自動車博物館の専門家になる夢を抱いた筆者は、その夢に一歩踏み出しました。1979年にはイタリア各地の有名博物館を巡る企画が実現。その最初の訪問先が「ムゼオ・アルファ ロメオ」でした。今回は、当時の取材の様子とアルファ ロメオのコレクションの魅力を紹介します。

記者人生の原点となったムゼオ・アルファ ロメオ

1970年代にドイツへ留学し、そこで将来モータージャーナリストになることを決意した筆者は、自動車博物館のオーソリティーになるという夢を抱いた。日本に帰国後、その夢の実現は、三栄書房『カー・スタイリング』の藤本彰編集長(故人)がその企画に乗ってくれたことから始まった。

藤本編集長の元で、執筆のイロハを教わり、原稿を書き、編集の協力をするなかで、博物館取材の企画が立案された。そして、イタリア語が堪能な妻の協力があったことで、まずはイタリアから攻めようという話になり、4つの博物館を巡る旅の計画ができたのは1979年頃と記憶する。

最初に訪れたのが、アルファ ロメオの博物館「ムゼオ・アルファ ロメオ」である。1976年に完成したばかりで、まだ日本からの取材が入っていなかったことが、ここを最初に選んだ動機でもあった。この企画のための先方とのやり取りは、すべて当時の妻が担当した。

このとき巡った博物館は、アルファ ロメオのほかに、トリノ・ミュージアム(正式にはカルロ・ビスカレッティ・ディ・ルフィア博物館)、フィアット博物館、それにランチア博物館の4カ所だ。このうち、出版物として成立したのはアルファ ロメオとトリノ・ミュージアムだけであり、残念ながらフィアットとランチアはお蔵入りとなった。

できたばかりのアルファロメオ博物館は、建物の外観こそ大きなビルディングという感じで面白みはなかったが、内部のデザインはとても秀逸だった。ミュージアムの建物自体は地上2階、地下1階で、各階に中2階を備えるため、合計6フロア構成である。そこにアルファの原点たるダラックから、当時最新鋭だったモデルまでが整然と並べられ、とても見ごたえのある博物館であった。

筆者は、この博物館を都合3回訪れているが、その都度展示物は入れ替わっている。玄関を入ったすぐの場所には、時代を反映して最新モデルが展示されていた。最初に訪れた1979年は、戦後のアルファとしては初のV6エンジンを搭載したアルファ6(セイ)が展示されていた。

第二次大戦以前から買い集め始めていたコレクション

アルファ ロメオが自社のクルマを集め始めたのは、とくに驚くことに第二次世界大戦以前からだったという。元々持っていたであろうグランプリカーはともかくとして、戦前に販売した車両などは、世界各地から買い集められた。これはポルシェなどでも同じ手法を取っており、自社以外のクルマを収蔵し展示するトヨタ博物館などでも同様である。

1925年製のRLスーパースポルトは、元々の注文主がスピードの象徴として、馬の首のマスコットをフロントウインドウシールドのすぐ先に取り付けていた。しかし、このクルマはパキスタンで発見された際、農作業に使われていたというから興味深い。

アルファ ロメオの不安定な経営状態もあって、博物館は何度か閉館の憂き目にあった。現在アルファ ロメオはステランティス傘下にあり、車両はステランティスのヘリテージコレクションに収蔵され、私が訪れた場所には存在しない可能性もある。

黄金時代のグランプリカーと幻のFWDモデルに遭遇

当時の館内にあったクルマをいくつか紹介しよう。館内に入って最初の展示ブースに置かれていたのが、ダラック8/10hpである。フランスのダラックがイタリアに進出した時にこのクルマを作った。数年でダラックが撤退し、それを受け継いで生産したのが当時のA.L.F.A.(アノニマ・ロンバルダ・ファブリカ・アウトモビリ)、つまりアルファロメオの前身であることから、アルファはこのクルマを自らの起源としている。

美しいヘアラインの入るシルバーの展示台に並べられたのは、アルファ黄金時代のグランプリカー159だ。戦前の158と並んでアルファに栄冠をもたらした名車である。ちなみに158の方は、出場したすべてのレースで勝利するという華々しい活躍をしたマシンであった。

そして、完成したアルファ ロメオ博物館の本(カースタイリング出版刊)は、筆者にとって初の出版物となった。表紙のTZ2の写真は、筆者が正面から撮影したものである。この写真は三栄書房に行ったきり帰ってきていないが、同じアングルのTZ1の写真は手元にあった。

大好きだったティーポ33ストラダーレも展示されていた。取材はほぼ1週間近くここに逗留して写真撮影とインタビューなどを行ったが、役得でティーポ33の前でポーズをとらせてもらった。

ティーポ103は、1959年にアルファが開発を進めた初のFWDモデルだ。アルファらしく排気量はわずか0.9Lだったが、DOHCヘッドを持っていた。結局量産化されることはなく、3基作られたというエンジンと共に、アルファの博物館に展示されている。生産されたのは恐らくこれだけである。このデザインとアイデアはそっくりルノーに受け継がれ、ルノー8はFWDをRWDにして世に送り出された。デザインもティーポ103にそっくりだ。

コンセプトカーも多く展示され、1960年代後半に多く作られたモデルがここにあった。カラーボもその1台だ。隣にあるのは1968年のモントリオール万博に展示されたモデルである。これは後にモントリオールとして量産されるが、コンセプト段階ではV8ではなく直4が搭載されたモデルだった。

当時館内には80台のクルマの他に、飛行機や模型なども展示されていた。そして膨大な資料も隣の資料センターに保管されていて、ここから多くのモノクロ写真やポジなどを借りた。

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