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城の厩舎を私設自動車博物館に! ドイツの貴族二人が残したクルマ文化の大きな爪痕【クルマ昔噺】

厩舎を改装した館内は、2階の回廊から1階の展示車両を俯瞰して楽しめる造りだ。レーシングカーが整然と並ぶ姿は圧巻であり、お城の建物をそのまま活かした空間構成が歴史の深みを感じさせる

名門貴族と名レーシングドライバーが意気投合城の厩舎に創設したドイツ初私設自動車博物館

モータージャーナリストの中村孝仁氏の世界中に広がる豊富な経験談を今に伝える連載です。今回は、「ランゲンブルク アウトミュージアム」です。ドイツ南部に位置する古城、ランゲンブルク城をご存知でしょうか。実はここには、1970年にドイツ初の私設自動車博物館として産声を上げた「ランゲンブルク アウトミュージアム」が存在します。イギリス王室とも縁が深い第9代領主と、ポルシェで活躍した名レーシングドライバーが意気投合し、城の厩舎を改装して誕生したのがこの博物館です。筆者が1970年代後半に訪れた当時の記憶とともに、そこに展示されていた貴重な名車たちと、創設者たちの数奇な歴史を紐解きます。

地元領主の住居として貴族が住む豪華な城の厩舎
宮殿のランゲンブルク城ドイツ自動車博物館建立

今はGerman Car Museum Schloss Langenburg e.V.(ドイッチェス アウトミュージアム シュロッス ランゲンブルク)と名乗り、わかりやすく言い換えるなら「ランゲンブルク城のドイツ自動車博物館」と名前を変えている、かつてのランゲンブルク アウトミュージアム。名前のとおり、ランゲンブルクというお城にある自動車博物館である。

ドイツのお城には「シュロッス(Schloss)」と名付けられたものと「ブルク(Burg)」と名づけられたもののふたつがある。前者シュロッスは王侯貴族が権力や富を誇示するために建てた豪華な建物で、平地や景観のいい湖畔などに建てられているいわゆる宮殿的なお城。一方の後者ブルクは要塞を意味し、敵の攻撃から身を守ることが最優先となっているため、敵を見下ろし、攻めにくくするために山の上や崖の上に建てられることが多いお城という色彩が強い。

ランゲンブルクという町は、元々は町全体が要塞のような場所だったのかもしれないが、そこにあるシュロッス ランゲンブルクは、この地の領主の住居としてのお城である。ウィキペディアによれば、ランゲンブルクは家系の名称で、この家系が滅亡した後、ホーエンローエ家がこの地を治めたとされる。

英国王室と縁深い貴族と貴族ドライバーの出会い
二人はクルマを文化として伝えるため博物館建設

自動車博物館を作ったのはここの9代目の領主だった、ホーエンローエ=ランゲンブルク侯クラフトであった。家柄は素晴らしく、ドイツの侯爵であり、地主で、同時にホーエンローエ=ランゲンブルク家の名目上の当主であった。エディンバラ公フィリップの甥であり、エリザベス2世女王の義理の甥、つまりイギリス国王チャールズ3世の従兄弟にあたる。だからというわけではないかもしれないが、エリザベス女王は1965年にこのランゲンブルク城を訪れているのである。

そんな由緒ある当主は、元々自動車が好きだったらしく、ドイツのレーシングドライバーでポルシェに縁のあったリヒャルト・フォン・フランケンベルクとの出会いで、博物館設立に動く。フランケンベルクもまた貴族の出身で、フランクフルトの南、ダルムシュタット出身。戦争がはじまると、暴力から逃れることを選択してイギリスへ亡命する。

もともと文才があった彼は、執筆活動も熱心にこなし、1951年には「Porsche, der Weg eines Zeitalters(ポルシェ、ある時代の道のり/軌跡)」というポルシェに関する書籍を書き上げている。さらに1952年には、ポルシェの機関誌として今も刊行される「クリストフォラス(Christophorus)」の初代編集長となり、世界で最も歴史ある顧客向け広報誌(カンパニーマガジン)」を発行した人物となる。レーシングドライバーとしては550スパイダーを操り、ミッレミリアやル・マンなどにも参戦。1953年のル・マンでは、見事総合15位、クラス優勝を遂げている。彼のモットーが「

「人とクルマと歴史」をモットーに25台を展示!
城の厩舎を改装したドイツ初の私設自動車博物館

そんなフランケンベルクとホーエンローエ=ランゲンブルク侯クラフトが出合い、お城の馬小屋を改修した自動車博物館をつくったのは、1970年3月20日のことであった。ドイツにとっては、じつはこれが初めての私設自動車博物館だったそうである。

博物館は「人、クルマ、そして歴史」をモットーに運営されていたそうで、設立時は25台のクルマが展示されていたが、その後はトラクターや速度記録挑戦車、バイクなど、様々な乗り物が展示された。

筆者がここを訪れたのは、1970年代後半か、1980年代初頭のこと。博物館の入り口には「この博物館の共同創設者であるリヒャルト・フォン・フランケンベルクを偲んで」と書かれたプレートがある。フランケンベルクは、この博物館を完成させた3年後の1973年11月13日、アウトバーンでの自動車事故で帰らぬ人となっているのだ。53歳の若さだった。

一方のホーエンローエ=ランゲンブルク侯クラフトは、その後も精力的にこの地方の発展に寄与し、2004年に68歳で亡くなった。現在はその息子であるフィリップ ホーエンローエ=ランゲンブルク王子が博物館を守っている。

メルセデスの速度記録車や貴重なF1マシンの展示

馬小屋といったのは少々語弊があり、いわゆる厩舎を改装したもので、館内は2層であるが、2階は回廊のような形になっていて、その回廊からは1階の展示物が俯瞰できるようになっている。

ホーエンローエ=ランゲンブルク侯クラフトはイギリスの王室と親戚関係にあるし、リヒャルト・フォン・フランケンベルクは貴族で、イギリスに亡命した経験の持ち主。そんな間柄もあって、展示には筆者が訪れた当時はイギリス車が多かったように感じられた。もちろんドイツ車も多いが、イタリア車、それにフランス車はとくにマイノリティーであった。

いくつかのモデルを紹介しよう。実に珍しかったのはメルセデス ベンツの速度記録挑戦車。1936年10月26日に、ルドルフ・カラッチオラのドライブにより、史上初めて372.102km/hという記録を打ち立てたクルマである。人類が地上で200マイルの壁を超えたのはこの時が初めてだったという。エンジンは5.6LのV12でありながら、車重は僅か750kgだった。

2台展示のあったアルヴィスのうち、写真のクルマはアルヴィス TC21のグラバー製コンバーチブルであるが、同様のモデルは僅か6台しか作られていないようである。

レーシングカーは比較的数が少ないが、F1が2台ある。1台はヘスケス(Hesketh Racing)。インダクションポッドが高くそびえていない308Cと呼ばれたモデルのようだ。イギリス貴族であったヘスケス卿が起こしたチームで、スポンサーをつけなかった。それどころか、ドライバーのジェームス・ハントのレーシングスーツには「Sex, Breakfast of Champions(セックスは王者の朝食)」と貼られていた破天荒チームのマシンだ。もう1台はマーチ 761(March Engineering)で、スカンジナビアンドライバーとして人気のあったロニー・ピーターソンの乗ったマシンと思われる。こちらはダウンフォースがないF1マシンだったため、ほとんどのコーナーを横向きに走る姿から「「サイドウェイ・ロニー(Sideways Ronnie)」と彼のドライビングスタイルを最も的確に表した、ファンに馴染み深い愛称を思い出す。ほかに珍しいローラ Mk1の展示もあったのを思い出す。

今はだいぶ展示も変わって、最新のモデルなども展示され、ここでクルマのイベントなども行われているようである。それを思うと、こうして二人の熱心な自動車好きが、後世に自動車文化を伝えるために設立した博物館が、さらに展示内容を充実させ運営されていることだけを見ても、厩舎に建てた私設博物館の意味は決して小さくない現代に残した爪痕と捉えて間違い無い。

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