385馬力とワイドボディ化で「超越した速さ」
を手に入れたミウラの最終到達点P400SVを紐解く
スーパーカーというジャンルを確立したランボルギーニ「ミウラ」は1966年のデビュー以来、絶大な人気を誇りました。この稀代の名車は1971年に進化の頂点を極めます。「超越した速さ」を意味する称号を与えられた最終進化形「P400SV」の誕生です。伝説のテストドライバーが製作した「イオタ(J)」のノウハウが注ぎ込まれた傑作のメカニズム。そして歴史に隠された真実に迫ります。
スーパーカーの始祖「ミウラ」が求めたさらなる進化はP400からP400S、さらに速さに磨きをかけ…
前回は1968年のトリノショーで発表された「P400S」を解説した。しかし、ランボルギーニによるミウラの進化はこれで終わりではない。
生産台数を見ると、1969年までに275台の「P400」が出荷された。続く1971年までに338台の「P400S」がデリバリーされている(※生産台数には諸説あり)。この数字が証明するとおり、スーパーカーの始祖たるミウラの人気は圧倒的であった。同時にそれは、ランボルギーニというメーカーを象徴する存在になっていた。ミウラの魅力をさらに高めようと考えたのは、きわめて自然な成り行きといえる。
伝説のテスター、ウォレスが製作した「イオタ(J)」から移植された技術を満載したSVの誕生!
1971年のジュネーブショーで、ミウラのさらなるマイナーチェンジ版が初披露された。結果的に最終進化形となる「P400SV」である。「SV」とはイタリア語で「Spinto Veloce」の略。すなわち「超越した速さ」を意味する称号だ。
開発には、テストドライバーのボブ・ウォレスが製作した「J(イオタ)」の技術的なノウハウが数多く導入された。イオタは会社から認められたものではない。彼が就業時間外に個人的なプロジェクトとして製作した幻のレーシングカーだ。このストーリーに関しては、また別項で触れることにしよう。
外見上のまつ毛廃止以上にインパクトのあるグラマラスなリアフェンダーは、大幅な足まわりの刷新を収めるため
P400SVの外観は、それまでのミウラと容易に識別できる。ヘッドランプまわりのフィン(通称まつ毛)が廃止されたからだ。これはよく法規上の問題と語られる。しかし、じつは製造コストと組み立て時間削減のためだったのが真相である。ただし、フェルッチオ・ランボルギーニ自身のパーソナルカーであるSVにだけは、特注でまつ毛が残されていた。同時にテールランプも視認性に優れたものに改められている。
そして何より大きな変化が、よりワイドでグラマラスなリアフェンダーだ。これはフットワークに大幅な変更が加えられたことの証であった。
リアサスペンションはロワアームのデザインをA字型から平行四辺形型へと変更した。アーム長も38mm延長されている。リアホイールは7インチ幅から9インチ幅へとワイド化された。オフセットも25mm増加し、リアトレッドは1412mmから1541mmへと拡大している。このシャシーの改良で、ミウラはコーナリングマシンとしての魅力をさらに高めたのだ。
1973年で生産を終了するSV用385ps V12エンジンと生産終了後に姿を表す「真の最終モデル!?」の逸話
ミッドシップに搭載される4LのV型12気筒エンジンにも手が加えられた。カムプロフィールの変更や吸気バルブの拡大を実施。さらに圧縮比を10.7にまで高め、385psの最高出力と400Nmの最大トルクを得た。
P400SVの生産は1972年まで継続され、150台がデリバリーされたと公式に発表されている。このうち後半の96台には「スプリットサンプ」が採用された。オイルの潤滑をエンジンと5速MTで分割する仕組みだ。これによりLSDの装備が可能になった点も見逃せない。
P400SVが発表された1971年のジュネーブショーでは、もうひとつ世界を驚嘆させるトピックがあった。ミウラの後継となるプロトタイプ、「カウンタック LP500」の初披露である。
カウンタックの誕生は、すなわちミウラの終焉を意味していた。正規ラインアップにおける最後のP400SVは1973年の初頭に出荷されている。オーナーはかのイノチェンティの創始者、フェルディナンド・イノチェンティの息子であった。
しかし、ミウラの歴史はここでは終わらない。1975年、カナダの石油王であるウォルター・ウルフの熱烈な要求により、ファクトリーの予備パーツをかき集めて「真の最終モデル」が特別に製造された逸話も残っている。
スーパーカーという新しいジャンルを築き上げたランボルギーニ ミウラ。その魅力はこれからも変わることがないどころか、更にビンテージワインが如く醸成されていくことだろうだろう。
