唯一無二のアバルトエンジン搭載ビーチカー「ギア ジョニー」はセレブ愛用のレジャーカー
2026年3月7日、アメリカで開催されたオークションに、イタリア製ビーチカーの開祖である「ギア ジョリー」が出品されました。新車時からアバルト製エンジンを搭載した唯一無二の個体です! セレブが愛した稀有なレジャーカーの歴史とともに、珍しいビーチカーなどのクラシック市場の動向を探ってみましょう。
ドルチェ・ヴィータの象徴! 南ヨーロッパに花咲いたスピアッジャ
ギア ジョリー(Ghia Jolly:ジョリーは「陽気な」などの意味)は、かつてイタリアの自動車界では「スピアッジャ(Spiaggia:デッキチェア)」というジャンルで呼ばれたビーチ用レジャーカーの代表格である。1950年代後半から60年代にかけ、イタリアの名門カロッツェリア(車体製造工房)であるギア(Ghia)が、フィアットの小型車「500(チンクエチェント)」やをベースに改造し、主にビーチやリゾート地で乗るためのクルマです。
生まれ故郷であるイタリア語のジャンル名が示すとおり、濡れた水着のままでも乗車できるように、ドアが無く、ラタン(籐)で編まれたデッキチェア状のシートを前後に配している。ルーフはいさぎよくカットオフされ、ドアも取り去られた。代わりに、まるでレストランやカフェのようなタッセル(飾り房)付きの布製サンシェードを掛けたというのか、パラソルをさしたまま走るというのか、なんとも洒落たクルマである。
ベース車両とされたのは、1950年代から60年代のヨーロッパ製ベーシックカーたちだ。フィアット「600(セイチェント)」ベースに始まり、フィアット「500(ヌォーヴァ チンクエチェント)」「600(セイチェント)」やルノー「4CV」などをベース車として、トリノの名門カロッツェリアであったギア社で熟練の職人が1台ずつハンドメイドで改装を施した。
ギア ジョリーの歴史は、ギリシャの海運王でありプレイボーイとしても知られたアリストテレス オナシスが、フィアット 600をベースとするビーチカーの製作を、友人であったギア社主兼スタイリストのルイジ セグレに依頼したことから始まったとされている(オナシスはのちにジャクリーン ケネディと再婚した人物だ)。
オナシスのビーチカーは大きな注目を浴び、ギア社には同様のオーダーが殺到した。その結果、1958年から1966年まで約600から700台が生産されることになったのだ。モナコのレーニエ3世とグレース王妃夫妻、あるいはジャンニ アニエッリなど、1950年代から60年代を代表するセレブリティたちがこぞって愛用。ヨーロッパの高級リゾート地において「ドルチェ・ヴィータ(甘い生活)」の象徴として、大衆の憧れとなっていた。
そして、夏のヴァカンスを人生でもっとも大切なものとみなしてきた南ヨーロッパのみならず、西海岸を中心とするアメリカでも高い人気を得ることになったのである。使い方はいたってシンプルで、大富豪やセレブリティが、自分の豪華客船(ヨット)に乗せて運び、寄港した先のリゾート地で移動手段として使うため、というから富豪のスケール感が違う世界にも思える。
アバルト製チューニングキットを組み込んだ唯一無二のジョリー
今回出品されたオリジナル ギア製ジョリーは、1958年6月にトリノ市内で初登録されたという記録が、ACI(イタリア自動車クラブ)発行の登録履歴書と陸運事務所のドキュメントによって残されている。
オークション出品に添付された書類には、シャシーナンバー「420901」、エンジンナンバー「460249」と記載され、このジョリーがオープンボディを施したフィアット 600であることを公式に示している。ここで特筆すべきは、新車として顧客に納車されたジョリーのなかでも唯一、アバルト製747ccエンジンを搭載した個体であることだろう。
これは、1955年末に「アバルト&C.」社からリリースされたフィアット 600エンジン用の「750デリヴァツィオーネ」キットを組み込んだものだ。吸排気系やヘッドのみならずクランクシャフトもアバルトの専用品で、もっとも大人しいチューンでも41.5ps、レース用チューンでは47psを発生する。フィアット アバルト「750GTザガート」などの競技車両にも、同じユニットが搭載されていた。
蛇足ながら、このキットを組んだ600エンジンは、以前筆者が750GTザガートを運転した経験からすると思いのほかトルクフルだ。坂道のあるリゾート地で使うならば、存外重宝したかもしれない。
それはさておき、トリノの実業家一族、ペリネット ファミリー内の贈り物として新車オーダーされたこのジョリーは、最初にピエラ ペリネット名義で登録された。1960年代を通じて継続的に公道を走行し、車検を受けてきたことを証明する当時のスタンプが現在でも確認できる。
書類によれば、税務上の理由で1976年にペリネットの秘書名義へと移転登録され、その後も継続的なイタリア国内登録を証明するスタンプが押印されている。最終的には1985年にペリネットの孫ジャンニ ムッソの名義で再登録され、この際に現在のクリーム色へ再塗装されたとみられている。
オークションの公式カタログ作成時点でのオドメーターは2万2428kmを表示。くわえて、今なお古いトリノのナンバープレートとオリジナル書類を完備している。この希少なジョリーは、新車時からの履歴記録を異例なほど完全なかたちで保有しているのだ。
売り主は「ドルチェ ビータ(甘い生活)」とはならず「サソリの毒」もらったような意外な結末…
今回の出品に際して、ブロードアロー オークションズは公式カタログ内で
「スポーティなアバルト製パワートレインと長期にわたる家族の管理下で育まれたこの1台は、ラ ドルチェ ヴィータの気ままなひとこまを喚起する魅力に満ちています」
とPR。
12万5000ドルから17万5000ドル(邦貨換算約2000万から2800万円)という自信たっぷりの推定落札価格を設定した。そのうえで「最低落札価格なし(リザーブなし)」での出品とされた。
この「リザーブなし」という競売形態は、価格の多寡を問わず落札できることから、とくに対面型のオークションでは会場が盛り上がり、入札が跳ね上がる傾向もある。その反面、価格が売り手側の希望に到達しなくても強制的に落札されてしまうリスクも内包している。
そして迎えたオークション当日、特設会場で行われた競売ではリザーブなしのリスクが発動した。入札の伸びは出品者側の期待を裏切り、結局エスティメート下限を大きく下回る8万4000ドルで決着。現在のレートで日本円に換算すれば約1344万円である。
売り手にとっては不本意であり、落札者にとってはお買い得ともいえそうな価格でハンマーが鳴らされた。莫大な価値を秘めた希少車であっても、時の運次第で明暗が分かれる。これもまた、オークション特有の残酷で魅力的なドラマなのである。
※為替レートは1ドル=160円(2026年4月3日時点)で換算
