ナローポルシェに名機356用フラット4を搭載し、4輪ディスク装備で軽量がもたらす極上の日常性
「終のクルマ」として、あなたはどのようなモデルを思い浮かべるでしょうか。スーパーカーも魅力的ですが、日常的に楽しむなら扱いやすさも重要です。今回は、Broad Arrowのオークションに登場した1968年式の「ポルシェ 912」をピックアップします。ポルシェ 911と同じ美しいナローボディにポルシェ356のシャープなフラット4エンジンを搭載した、名車の魅力と歴史に迫ります。
最後の相棒は911より912!? 軽快さと信頼性がもたらす、老境のナローポルシェ・ライフのススメ
よくSNSなどを見ていると、「終のクルマ」というテーマで、いろいろな人が書き込んでいる。終というなら人生最後だ。そこへスーパーカーを持ってきたら、そもそも乗り込むのが大変だろうし、ましてや最近のスーパーカーのパフォーマンスは、一昔前のレーシングカーのそれを上回っている。おいそれと乗りこなせる代物ではないぞ……などと、独り言のように突っ込みを入れている。
筆者にとっての終のクルマは、じつは今回紹介するポルシェ 912である。理由はたくさんあるのだが、かつて2.7Lエンジンを搭載した911を所有していた。そして、そのクルマに惚れ込んで、過去に乗ったクルマのなかで、どれがもう一度欲しいかと聞かれたら、おそらく秒殺のスピードで空冷のポルシェ 911と答えるだろう。日常的に乗れて、それでいてレーシングカーとしての素養を持ち合わせ、ドライブが楽しいからだ。
ただ、やはりそのレーシングカーとしての素養云々のところに引っ掛かりがある。歳を取ったらフルにパフォーマンスを引き出すことなどまず不可能だろうし、カミソリのようなクルマだったから、歳をとれば日常的に乗るのは難しいと思う。晩年の白洲次郎も、この時代の911をこよなく愛していたようで、やはりクルマ好きが辿り着く最後のクルマとしては、おそらく最高なのである。
ではなぜ「終のクルマ」が911ではなくて912なのか。それはひとえに乗り易いからである。まず、911がリアに搭載するのは空冷フラット6だ。対する912はフラット4であって、前後の重量配分的には912の方が勝る。ボディとシャシーは共通だから、外から見たらエンブレムと音を聞かない限り、判別は難しい。それにアンダーパワーな分、ボディが勝つから、しっかり感もこちらが上だ。クルマ全体も軽いから、燃費も優れる。
それに356時代から熟成を重ねてきたフラット4エンジンは信頼性に富んでおり、同じ時代にソレックス製キャブレターを装備していた911よりも、やはり信頼性の点では上をいっていたのである。
356後継として誕生、911を凌ぐ人気誇った廉価版912が愛好家を魅了する歴史的背景と希少価値
とまあ、歳をとっても911と同じ形で乗れる912は、個人的な「終のクルマ」に最適なのである。シャシーナンバー12803738、エンジンナンバー832242の912は、1968年3月20日に完成したモデルである。
なぜ912が誕生したかといえば、それは言うまでもなく廉価版の必要性があったからである。911が誕生した1964年、当時の価格は2万2900マルクであり、それまで販売されていた356Cは1万6450マルクだったそうだから、価格のギャップは相当なものであった。ニューモデルが出たからといって、それまでの356オーナーが、おいそれと乗り換えられるほどの価格差ではなかったのである。
だから912が誕生し、しかもそれは1万6250マルク(4速)で販売されたのだから、これは356からの乗り換えにうってつけだった。1960年代を通じて、912が911の2倍も売れた背景は、まさにここにあった。もし5速MTが欲しければ340マルクを上乗せすれば、それも手に入れることができた。
このシャシーナンバーのモデルは1968年式だ。この年はシャシーナンバー12800001から始まった。この1280から始まるボディはポルシェ製で、じつはほかにカルマンがボディを作ったK-クーペというのも存在し、そちらはシャシー番号が1282から始まる。そして、ポルシェ製ボディのモデルは、1968年に5598台が製造されているのにたいして、カルマン製は427台と極端に少ない。
当時、912の大ヒットによる生産能力の不足を補うためにカルマンへボディ製造が委託されたのだが、両者には塗料の材質や防錆処理の工程などにわずかな違いがあったといわれている。こうした製造元の違いによるマニアックなディテールの差も、オールドポルシェ愛好家たちの探究心をくすぐる奥深いポイントなのだ。
気品を纏うアイリッシュグリーン&ブラウン内装の「ポルシェ製ボディ912ナロー」という「終のクルマ」選択
カルデックスの保証書によれば、ポルシェ オブ アメリカ コーポレーション(POAC)が販売した、米国市場向けモデルであることが記録されている。ボディカラーはアイリッシュグリーン、内装はブラウンの布張りだ。
オプションとして、米国仕様のブラウプンクト フランクフルト製ラジオ(ダッシュボードスピーカーとアンテナ付き)、前後バンパーホーン(ゴム製ストリップ付き)、クロームメッキスチールホイールが装備されていた。最初のオーナーはニューヨーク州バッファローのメルビン O ライダーだった。
残念ながらエンジンは載せ替えられているようで、ナンバーマッチはしていない。エンジン番号から、1966年式のものが搭載されている。ちなみにエンジン型式が、オークションの解説では「616/16」とされているが、本来は「616/36」のはずである。
走行距離は極めて少ない1万9824マイル。この個体は7万5000から10万ドル(邦貨換算約1185万円から1580万円)の予想価格で出品されているが、「Estimate Available Upon Request(要問い合わせ)」となって終了した。
今回のオークションでは明確な落札価格が公表されず、静かに幕を閉じることとなった。しかし、このアイリッシュグリーンの美しい912が、どこかの愛好家のもとで新たな「終のクルマ」として迎えられていることは想像に難くない。たとえば四半世紀にわたって1台の愛車を慈しむような、深い愛情を持ったオーナーにこそふさわしい。
圧倒的なパワーや絶対的な速さだけがクルマの価値ではない。日常に寄り添い、適度な緊張感と心地よい対話を楽しめる912のような存在こそ、成熟したエンスージアストが最後に辿り着く、究極のパートナーといえるのではないだろうか。
※為替レートは1ドル=約158円(2026年4月26日時点)で換算
