レースでの勝利を目指したメルセデスの本気が宿る至宝
2020年代に入り、1980〜90年代生まれの「ヤングタイマー」と呼ばれる世代のクルマたちが、クラシックカー界の主役の一角を占めるようになりました。なかでも一部のアイコン的モデルは、一流のオークション会場では主役級の扱いを受けています。2026年4月にモナコで開催されたRMサザビーズ社のオークションに登場した、メルセデス・ベンツ「190 E 2.5-16 エヴォリューションII」の驚きの落札結果とその登場の歴史などを振り返ります。
ラリーからツーリングカーレースへ! コスワースが鍛えた名機
1980年代後半、ドイツ・シュトゥットガルトに本拠を置くメルセデス・ベンツと、英国の老舗レーシングエンジンビルダーであるコスワースの提携により、もっとも印象的なホモロゲーションスペシャル(レース出場資格を得るために生産された市販車)のひとつが生み出された。じつは当初、メルセデス・ベンツ「190 E(W201)」系をベースとしたFIAグループB(国際自動車連盟が定めるラリー競技用車両規定)向けの競技車両を開発する、という目標からスタートしたといわれている。
ところがこの時期、アウディを端緒とする4輪駆動車がラリー界でみるみる支配を強めてゆく状況にあった。そこからメルセデス・ベンツは焦点をグループA規約による「ドイツツーリングカー選手権(DTM)」へと移す。市販型であるW201系のサスペンションを強化し、レースポテンシャルのあるエンジンを載せることとしたのだ。
具体的なチューニング内容は、スタビライザーの強化や硬めのブッシュ、減衰力を高めたダンパー、リミテッドスリップディファレンシャルの標準装備化にくわえ、ステアリングレシオのクイック化など多岐にわたる。そして、ドイツの変速機メーカーであるゲトラク社製の5速ドッグレッグ(1速が左下に配置されるレース向きのHパターン)ギヤボックスも採用した。
エンジン開発において、コスワースはメルセデス・ベンツ「190 E 2.3」に搭載されていたM102型2.3リッター直列4気筒SOHCエンジンのブロックをベースにした。そこに新設計のDOHCヘッドと、1気筒あたり4バルブを備えた軽合金製シリンダーを組み込んだ。これが「2.3-16」という名称の由来となったのである。
ライバルとなったBMW「M3」に打ち勝つための継続的な開発により、1988年には排気量を2.5リッターに拡大する。翌年にはFIAグループAのエヴォリューション規約(ベース車両の改良版をレースに出場させるための規定で最小生産台数は500台)を活用したモデルとして、さらなる改良が施されることになる。
ボアの拡大とストローク短縮により高回転型となった、通称「エヴォリューションI」の2.5リッターエンジンは、通常の「2.5-16」よりも高い225psを発揮したうえに、より効率的な出力特性を実現した。シャシーの改良点としては、ファイナルギヤ比が3.27:1のリアアクスル、前後トレッドの拡大、剛性を高めた調整式サスペンション、大型ブレーキ、高性能タイヤ、そして改良されたボディワークなどが挙げられる。
伝説のDTMタイトルをもたらした究極の「エヴォリューションII」
しかし、メルセデス・ベンツの190エヴォリューションシリーズのなかで何より象徴的なのは、1990年にデビューしたメルセデス・ベンツ 190 E 2.5-16 エヴォリューションIIだろう。235psという驚異的な出力を発揮し、リミッター回転数もさらに高められていた。ギヤ比の見直し、大径ホイール、そしてイタリアの高性能ブレーキメーカーであるブレンボ製の4ピストンキャリパーの採用により、ドライビングダイナミクスはさらに向上した。
そして真のハイライトは、そびえ立つリアウイング、堂々としたフレア付きフェンダー、そしてアグレッシブなフロントスプリッターを備えたエアロキットであった。
メルセデス・ベンツ 190 E 2.5-16 エヴォリューションIIはドイツ国内のライバルを圧倒し、1991年シーズンと1992年シーズンにメルセデス・ベンツへDTMコンストラクターズタイトル(製造者部門の年間優勝)二連覇をもたらすことになる。いっぽう、全車が「ブルーブラックメタリック」に塗装されたホモロゲーションスペシャルとして、世界限定で502台しか製造されなかったロードバージョンのエヴォリューションIIは、レースのためのたしかな血統と魅惑的なルックスで、今もなお愛好家やファンを魅了し続けている。
完璧なレストアを経て約5740万円で落札されたシリアルナンバー「283」
このほどカナダ・オンタリオ州に本社を置く世界有数のオークションハウス、RMサザビーズの「MONACO 2026」オークションに出品されたエヴォリューションIIは、シャシーナンバーに相当するVINコードが「WDB2010361F737782」で、限定車としてのシリアルナンバーは「283」が割り振られている。
新車としてスイスへ納車された個体だ。ダイムラー・ベンツ社(当時)のジンテルフィンゲン工場で生産された時から、デフォルトである「アンスラサイト(ダークグレー)」色のレザー内装、電動調整およびヒーターつきフロントシート、電動スライド式のスライディングルーフ、エアコンディショナーが装備されていた。
出品にあたり車両に添付された整備記録簿の記載情報によると、スイスの首都ベルン近郊に在住していた初代オーナーは、1990年8月20日に地元のスペシャリストを仲介としてこの車両を引き取っている。さらに2006年までベルン近郊のメルセデス・ベンツ正規ディーラーによる定期メンテナンスの記録があり、その時点での走行距離は7万9450kmと記されていた。
また、2021年から2023年にかけた時期に、ドイツ・ミュンヘンにあるレストア専門業者「CarTech Knowledge」社により外観および機械的なレストアが実施された。これには、エンジンおよびシャシー部品の取り外し、ボディのブルーブラックメタリックへの全面再塗装、インジェクターとラジエーターの交換、オイルクーラーとデファレンシャルのオーバーホールが含まれていた。作業の請求書には、この時点での走行距離が8万301kmと記載されている。
入念な修復作業を経て、その後は控えめに走行されてきたため現在は美しく修復された状態を保っており、公式カタログ掲載時点で8万598kmを記録していた。
このクルマについてRMサザビーズ欧州本社は、「メルセデス・ベンツの称賛を浴びたW201世代セダンの究極の進化形である2.5-16エヴォリューションIIは、サーキットでの成功、圧倒的なルックス、そしてダイレクトなドライビングダイナミクスにより、ブランド愛好家から今なお熱烈に求められている人気モデル」と規定し、26万ユーロ〜30万ユーロというエスティメート(推定落札価格)を設定した。
そして迎えたオークション当日、モナコで行われた競売では想定されたエスティメート最高値を大きく超える30万8750ユーロで落札された。現在の為替レートで日本円に換算すれば、約5743万円というかなりの高価格でハンマーが鳴らされることになったのだ。
2020年代中盤以降の国際マーケット、あるいは日本国内でごくまれに売り物が出てくる際にも、エヴォリューションIIの相場価格はおおむねこのハンマープライスあたりで推移しているようだ。その市況から判断すると、今回のディールはきわめて順当なものだったといえよう。DTM黄金期を駆け抜けたメルセデス・ベンツの本気を今に伝える至宝の価値は、今後も色褪せることはないはずだ。
※為替レートは1ユーロ=186円で2026年5月30日時点のレート換算
