天国のサンドロ・ムナーリに捧ぐランチア・ストラトスの咆哮に胸を打たれる
「5月30日、17時30分。ビエッラで行われるRally della Lana Revivalにストラトスが集まり、一斉にエンジンを吹かします。その音を天国のサンドロ・ムナーリに届けるんです。一見の価値がありますのでぜひこのイベントを見に来てください」。
Rally della Lanaのオーガナイザーから、そんな連絡をもらったのがイタリア在住で、イタリアの古くからの大物自動車関連の人たちを取材している野口祐子氏だ。ストラトスが集まり、そのV6エンジンサウンドを天国のムナーリに届けるという、なんとも素敵な発想のそのイベントとはいったいどんなものなのだろうか。気になった野口さんは、そのお誘いを請けてビエッラという地を訪ねてみた。
羊毛産業で栄えた街「ビエッラ」とランチアが紡いできた深い絆と歴史
ファッションに興味がある人なら、「ビエッラ」という地名を耳にしたことがあるかもしれない。ビエッラは中世から羊毛産業で栄えた街である。豊富で良質な山の水に恵まれ、19世紀には紡績や染色、織布産業が発展した。その繁栄ぶりから「イタリアのマンチェスター」と呼ばれた歴史を持ち、現在でも世界的ブランドを擁するラグジュアリー分野の重要な拠点となっている。
この街とランチアには深い関係がある。1930年〜1950年当時、ランチアは富裕層にとって憧れの存在であり、毛織物産業で栄えたビエッラの実業家たちはこぞってランチアを所有したという。その理由のひとつにランチアの創業者であるヴィンチェンツォ・ランチアの生家が、ビエッラから約70kmの場所に位置していたからでもあるだろう。
またランチアの内装の生地に採用されているのは、高級な羊毛(ウール)ファブリックブランドである「エルメネジルド・ゼニア(Ermenegildo Zegna / 現在のブランド名は ZEGNA)」であり、その羊毛(ウール生地)はビエッラ(Biella)製である。
さらに、この地域はラリーにも最適な環境であった。丘陵地帯とアルプス山麓に囲まれ、狭い峠道が続く高低差の大きい地形は、ドライバーの腕を試す絶好の舞台である。1921年にはヒルクライムレースが開催され、1935年には名手タツィオ・ヌヴォラーリもこの地で勝利を挙げている。モータースポーツ史に欠かせないマリオーリ兄弟(12歳年上の兄のウンベルトは初期のランチアワークスドライバーであり、弟のクラウディオはランチアストラトスの開発ドライバーであり名チューナー)もこの地の出身であり、彼らはストラトスの開発にも深く関わった人物として知られている。
伝説のチャンピオンを讃えるために12台のストラトスが広場に集結する
こうした背景から、ビエッラにはモータースポーツ文化が深く根付いている。1973年4月14日、羊毛を意味するイタリア語「Lana(ラーナ)」を冠したラリーが初開催された。ランチアの競技車両も、この地の山岳路で実戦を通じて磨き上げられていったのである。
その由緒あるラリーを現代に蘇らせたイベントが「Rally della Lana Revival」だ。2026年は新旧合わせて約200台のクルマが集まった。当時のラリーにならい、スタートは19時に設定されている。ビエッラを出発して夜の山岳路を走り、翌朝の3時頃に再び街へ戻るというレギュラリティ競技(速さより指定速度で走行するなどの正確さを求める)である。
とくに2026年が特別な年となったのは、ラリーを愛するすべての人にとっての永遠のヒーローであるサンドロ・ムナーリが亡くなったからだ。彼を讃える企画として、ビエッラ中心部の広場には12台のランチア ストラトスが集結した。内訳はコンペティションカーが5台、ノーマル仕様が7台である。
なかでも目を引いたのは、1977年のラリー・モンテカルロでサンドロ・ムナーリとシルヴィオ・マイガのコンビが優勝を果たした、アリタリアカラーのストラトスだ。そのほかにも往年のラリーで活躍した車両や、ランチア・コルセの当時のメカニックたちが集い、広場はラリー黄金時代の熱気に包まれていた。
ストラトスが天国へ向けて咆哮するイタリアらしい情熱的で美しい追悼セレモニー
17時30分。ストラトスがムナーリへ向けてエンジンを吹かす時間が近づいてきた。しかしそこはイタリアであり、予定通りには始まらない。実際に準備が整ったのは18時を少し回った頃であった。
ついにエンジンがかかる。1台、また1台と荒々しい音が重なっていく。観衆はその迫力ある音に引き寄せられるように集まってきた。追悼のために集結した12台のストラトスは、まるで長い眠りから目覚め、天に向かって一斉に吠えているようであった。
そして19時、ラリーがスタートする。スマートフォンを掲げる観衆や手を振る人々に囲まれながら、エンジン音を響かせたクルマたちは夕暮れのビエッラを後にした。
偉大な人物を悼むとき、静かな沈黙や黙祷を捧げるのが一般的である。しかし、彼らは彼らはムナーリのために沈黙ではなく「内燃機関の咆哮」を選んだ。モータースポーツが単なる競技ではなく、街の歴史や人々の生活に溶け込んだ「文化」であるイタリアだからこそ成立する、情熱的で美しい弔いの儀式である。生涯をラリーに捧げ、数々の栄光を打ち立てた英雄にとって、これ以上ふさわしい見送りのセレモニーはない。ビエッラの空へ響き渡ったV6エンジンの咆哮を聴きながら、天国のサンドロ・ムナーリはきっと満足げに微笑んでいたはずだ。
