1970年に100台だけ市販された、サブロク軽ベースの純国産デューンバギー
360cc時代の軽自動車をベースに、なぜ日本メーカーがバギーを世に送り出したのか。ダイハツが1970年に手がけた「フェローバギィ」は、たった100台で生産を終えた幻の1台だ。ドアも窓もない大胆なオープンボディの正体を、展示していたショップのスタッフに聞いた。
コンパクトなドアなしオープンボディの正体はダイハツ「フェローバギィ」
旧車の祭典「ノスタルジック2DAYS」会場のなかでもひときわ視線を集めていたのが、幌をかけたオフロードスタイルのオープンボディである。側面には窓どころかドアすら備わっていない。フロントのグリル周辺を除けば、空冷VWをベースとしたデューンバギー(1960年代のアメリカ西海岸で砂丘を走るために生まれたレジャーカー)そのものの雰囲気だ。
ところが、グリルにはダイハツのマークが備わっている。フェローバギィが生まれた背景には、アメリカ西海岸で流行していたデューンバギーの存在がある。本家はVWビートルのシャシーにFRP(繊維強化プラスチック)製のボディを載せたものが主流だった。サーフボードを積んでビーチサイドを駆け抜けるバギーは、当時の若者にとって憧れのアメリカンカルチャーであった。ダイハツ「フェローバギィ」はアメリカのデューンバギーをサブロク軽で再現しというワケだ。
東京モーターショーでの反響を受けて100台を市販化する
1960年代後半、日本でもレジャービークルという概念が浸透しつつあった。そうした空気のなか、ダイハツは軽トラックであるフェロー・ピックアップのフレームにFRPボディを架装し、1968年の東京モーターショーにスピード、ビーチ、カントリーという3仕様を参考出品した。
ショーでの反響が大きかったことから、ビーチ仕様に近いモデルが1970年4月から100台限定で市販されることになった。オープンボディでありながら、2人乗りで150kgの積載量が定められ、車体形状としては軽トラックという扱いになっている。
なお、販売地域は北日本(東北・北海道)を除く日本国内に限られていた。FRPボディは当時の量産ラインに乗せにくくハンドメイドに近い工程を要したこと、そしてドアもヒーターも持たない完全なオープン仕様であったため、寒冷地や積雪地帯での使用が物理的に不可能だったことがその理由である。
展示していたバクヤスオートのスタッフは、取材に対して次のように語った。
「じつはこのクルマの正式名称は、フェローバギーではなく『フェローバギィ』です。その名のとおりフェローのエンジンやトランスミッションが流用されていて、実際にオフロード走行もできます。100台しか販売されていないので、今となっては非常に珍しいクルマだと思います」
2気筒エンジンとFRPボディの組み合わせで軽快に走る
アメリカンなスタイリングとは裏腹に、実車は360cc時代の軽自動車(通称サブロク)がベースとなっているため、近くで見ると驚くほどコンパクトである。全長も当時の軽規格に収まる約3mしかない。
フロントに搭載されたエンジンは、フェローと同じ2ストロークの水冷直列2気筒356ccである。カントリー仕様に搭載された標準ユニットは23psを発生した。非力に感じるかもしれないが、FRPボディの採用により車重はフェロー・ピックアップに比べ約55kgも軽減されており、小気味よく走れたという。トランスミッションはフロアシフト式の4速MTを搭載していた。
1970年代当時、軽自動車とはいえレジャーだけのために1台を所有することはまだ難しかった。結局、ダイハツは100台を売り切ったところでバギーの生産を中止した。新車当時ですら100台のみだった個体であり、現存台数はさらに少ないと思われる。
ドアも窓もない大胆なボディに、サブロク軽の実直なメカニズムを組み合わせた稀有な1台である。アメリカへの憧れを日本流に解釈したこのバギーが、生産終了から半世紀を経てもなお極上の姿で残っている事実は、日本の自動車史における貴重な記録といえる。
