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三菱「ランサー」生誕50周年! 「ラリーの三菱」を確立した初代から「ランエボ」にいたるまでを振り返ります

三菱自動車の中興の祖となった「ランサー」

今から半世紀前の日本は高度経済成長のまっただ中で、自動車業界も記録的な成長を継続中でした。そして50年前の1973年には数多くの名車が誕生しています。今回はそんな1973年に誕生した三菱「ランサー」を振り返ります。

「コルトギャラン」の弟分のコンパクトセダンとして誕生

今でも国内最大の機械メーカーとして知られる三菱重工業は、船舶や航空機、鉄道車両に加えて戦前から自動車生産も手がけていました。戦後、財閥解体によって3社に分割されることもありましたが、やがて3社が再び統合され、新たな三菱重工業として再スタートを切っています。そして1970年には自動車部門を分離独立させることになり、これが現在につながる三菱自動車工業の起点となっています。

まだ三菱重工業に再統合される前に自動車の生産を手がけていたのは新三菱重工業(旧中日本重工業)で、名古屋製作所では小型乗用車の「三菱500」を開発しています。しかし、同時に倉敷市の水島製作所では軽3輪トラックの「レオ」を開発。名古屋製作所が三菱500から「コルト1000」→「1500」と発展させていくのと並行して、水島製作所では「コルト800」などを開発するといったように、不効率な体制となっていました。そこで全社的に効率的な開発が行えるように体制を整理強化し、その結果として三菱自動車工業が誕生した、との見方もありました。

いずれにしても、新会社誕生の前年、1969年には新生・三菱自動車工業の期待を背負い、それまでの商品とは一新した三菱「コルトギャラン」が誕生しています。従前のコルト1200/1500の後継とされ、1300と1500の2本立てとなっていましたがボディはひと回り大きくなり、全長も4mを超えるミディアムクラスの4ドアセダンとなっていました。そして、それを受ける格好で、1971年で生産を終えていたコルト1000F/1100Fシリーズの後継モデル、コルトギャランよりもひと回り小さなコンパクトセダンとして1973年に誕生したのが本編の主人公、三菱ランサーです。

サザンクロス・ラリーやWRCサファリ・ラリーを制覇

ランサーのボディサイズは、全長3965mm×全幅1525mm×全高1360mmとホイールベース2340mm。全長/ホイールベースで比べてみるとコルトギャランの4080mm/2420mmはもちろんですが、コルト1500の3975mm/2350mmよりもわずかに小さく、コルト800シリーズの最終モデル、コルト11Fの3740mm/2200mmよりはずいぶん大きくなっていて、こうしたサイズ面からもランサーの立ち位置は明確でした。

ちなみに、ランサーの車重は765kgからと、コルト1500の920kgは言うまでもなくコルトギャランの845kgよりも大幅に軽く、11Fの755kgに近いレベルまでの軽量化が果たされていました。これはもう、技術の進化も含めて、三菱のクルマ造りがレベルアップしたことの証と言っていいでしょう。それでいてパワーは、「ネプチューン70」の愛称を持った4G42型が1187ccで70psを発生し、コルト1500のKE45型(1498ccで70ps)と同馬力でしたから、パフォーマンスは明らかに上回っていました。

1965年に国内でラリー活動を開始した三菱は、1967年には海外ラリーに初挑戦を果たしています。その舞台はオーストラリアにて開催されたサザンクロス・インターナショナルラリーで、前年に発売されたコルト1000Fでの参戦でした。その後、海外ラリーにおける三菱の主戦マシンはコルト1100F、11F SS、コルト1500SS、そしてギャランA II GSと新型車両を続々と投入。ギャランは1972年のサザンクロスで初の総合優勝を飾っています。

このギャランの後継モデルとして翌1973年のサザンクロスで海外ラリーデビューを果たしたモデルが「ランサーGSR」でした。期待に応える格好で1-2-3-4位を独占する圧倒的な強さを発揮したランサーは、前年のギャランに続いて2年連続でサザンクロスを制覇。さらに翌1974年には前年から始まった世界ラリー選手権(WRC)の1戦に格上げされたサファリ・ラリーにも参戦し、デビューイベントにもかかわらずジョギンダ・シンが見事優勝を飾っています。

2代目「ランサーEX」はターボで武装しWRCで活躍

コンパクトな4ドアセダンとして高い評価を受けていた初代ランサーは1979年の3月に、初のフルモデルチェンジを受けて第2世代となる「ランサーEX」に移行。兄貴分たるギャランは1976年に2度目のフルモデルチェンジを受けてアッパーミディアムの「ギャランΣ」/「エテルナΣ」に移行しており、また3ドアハッチバックの1車形でスタートした弟分の「ミラージュ」も、5ドアハッチバックが追加されてシリーズも充実していたことから、ランサーEXはその両者の中間モデルとしてボディ/エンジンもサイズアップすることになりました。

具体的には、全長3965mm×全幅1525mm×全高×1360mmとホイールベース2340mmだった先代に比べると、ランサーEXは4225mm×1620mm×1395mmと2440mmでふた回りほど大型化されています。車両重量に関しても、765kgからだった先代に比べてランサーEXは895kgからと100kg以上も重くなっていました。

一方、エンジンに関しては排気量が1400(オリオンG12B)と1600(サターン80 G32B)が設定されていましたが、これでは先代と同様のラインナップでパフォーマンスには疑問が残るところでした。

それは三菱も計算に入っていたようで、発売から1年後の1980年2月にはシリウス80 G62B(排気量1795cc/最高出力100ps)を搭載した1800GSRや1800GTが登場します。さらに1981年11月にはターボで武装したG62BT型(1795cc/135ps)を搭載した1800GSRターボと1800GTターボを追加設定。1982年の全日本ラリー選手権では神岡政夫選手がチャンピオンに輝いたのです。

ちなみに輸出専用モデルとしては4G63 T(1997cc/168ps)を搭載したランサーEX 2000ターボが1981年の4月に登場。WRCマシンへと昇華され、翌1982年の8月には1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)でペンティ・アイリッカラが3位入賞を果たしました。

混迷の時代を経て92年に「ランエボ」を生み出した

初代モデルの後継として、アッパーミディアムのギャランΣ/エテルナΣと、コンパクトクラスのミラージュの中間モデルという立ち位置で1979年に登場したランサーEXでしたが、ミラージュがカープラザ店系列の専売モデルとされたために、ギャラン系を取り扱っていたディーラー用に用意されたコンパクトモデルが1982年に登場した「ランサーフィオーレ」です。

これはミラージュのバッジエンジニアリングモデルでしたが、これをランサーの3代目とするかは意見の分かれるところで、これを3代目ランサー、さらに1年後に登場した2代目ランサーフィオーレをランサーの4代目とする説もあります。

それはともかく1988年に登場した、フィオーレのサブネームを廃したランサーは、先代から引き続いてミラージュとの兄弟関係を継続しながらも、スタイリングはミラージュとは一線を画し、1年前に登場した6代目ギャランのテイストを持ったものとなっていました。

そして1991年に登場したランサーは先代のコンセプトであった「ギャラン・テイストのデザインを持ったミラージュの兄弟車」を継続していましたが、こちらは翌1992年にラリーカーのベースモデルたる「ランサーエボリューション」が登場したことで記憶に残るランサーとなりました。

混迷の時期を過ごしたEX後のランサーですが、1992年に登場し「ランエボ」の愛称を捧げられたランサーエボリューションは、「ランタボ」の愛称で親しまれたランサーEXターボ以来5年ぶりに、ラリーの三菱をアピールするラリーマシンに昇華したのです。

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