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新車の「ディーノ」はポルシェ「カレラRS」に勝っていた! 美貌とサウンドに痺れた1台でした 【クルマ昔噺】

これが『カーグラフィック』の1973年9月号を飾ったディーノ。一度売れて半年後に出戻ったクルマだった。その後、丸井、伊勢丹などのコマーシャル撮影に借り出され、現場に同行した。もちろん乗っていったのは僕

必要もないのにアクセルを戻してサウンドを楽しんだ

モータージャーナリストの中村孝仁氏が綴る昔話を今に伝える連載。第2回目はスーパーカー世代に懐かしい「ディーノ246GT」。新車に乗ったことがある数少ない1人である、孝仁氏との出会いを振り返ってもらいました。

新車で日本に導入されたディーノはたったの3台

時代を遡ると、スーパーカーと呼ばれる類の高性能車が日本の市場に姿を現し始めたのは、1972年のことだと断言できる。もちろんそれ以前にもあった。だが、大抵の場合は個人輸入かそれに近い形で1台か2台入ったもので、ある程度の量がまとまって導入が始まったのはこの年だ。理由は並行輸入の制度が解禁になったから。今の東京環状8号線周辺には、そうした高性能車を展示するショールームが増えていった。もちろん元祖は横浜にあったSモータースであるが。

ディーノ246GTを初めて見たのもこの頃である。僕がバイトをしていた会社でも4台のディーノが入荷した。このうち3台はドイツから。残りの1台はどこか他の会社が入れた個体が回ってきたものだった。並行輸入が解禁となった1972年に立ち上げられた会社は、創業当初は閑古鳥が鳴いていたそうだ。

ところがなぜか僕が入った頃から突如として売れ始めるようになった。そして最初に売れたのがディーノ246GTだったのである。当時「365GT2+2」の価格が550万円であったのに対し、450万円ほど(どちらもちょい乗り中古)で、ややお手軽だったことにあったと思う。それに何と言っても格好良かった。

当時新車のディーノなど滅多にお目にかかれるものではなく、記憶が正しければ、新車としてこの当時日本に導入されたディーノはおそらく3台である。1台は名古屋の中部八州自動車、もう1台は八王子にあったカネショウ自動車、そして僕の会社が輸入した3台で、いずれもGTSだった。

小林彰太郎氏が試乗インプレを書いた白いディーノ

とにかく低くスタイリッシュであった。フェラーリは当時トップモデルがデイトナであったが、フロントエンジンのためディーノのような低く流麗なデザインというわけではなかったし、そもそも日本ではとにかくミッドシップが珍しかった時代である。もちろん、ロータス「ヨーロッパ」やポルシェ「914」といったモデルはすでに存在していたが、どちらもディーノから見ればそのスタイルは魅力的とは映らなかったはずである。

この当時、自動車雑誌と言えば『モーターマガジン』、『モーターファン』を筆頭にまだ数えるほどしか存在していなかった時代。とりわけ輸入車を記事として多く取り上げていたのは『カーグラフィック』誌だったが、案の定僕の会社にあったディーノの試乗依頼が来た。

検討の結果、宣伝になるということと、当時カーグラフィックには広告を出していた関係もあって、お貸しすることにした。クルマを取りに来たのは誰あろう、御大の小林彰太郎氏であった。冒頭に4台のディーノが入庫した話は書いたが、カーグラに貸したのは白いモデル。のちにこのクルマは丸井や伊勢丹の宣伝に貸し出すいわゆる広告塔になった。

こうして1973年9月号のカーグラフィックでディーノが誌面を飾る。ほぼ同時期に岡崎宏司氏の執筆で『CARトップ』にも貸したと記憶しているから、どちらが先だったかは不明だが、いずれにしてもこの種のクルマが日本の路上で撮影されるようになった最初の頃だと思う。

東名高速の厚木ランプのループで感じた高い安定性

この白いディーノ、じつは出戻りのクルマで正直言って状態は良くなかった。カーグラのテストでもファンベルトが切れるハプニングに見舞われた。でも、評価は非常に高かったと記憶するが、4台あったディーノの中でも美しいブルーメタリックのボディを持った新車のGTSはやはり別格だった。

幸いなことに4台のうち3台は乗った。白、赤のクーペ、そしてブルーメタリックのGTSである。新車のディーノに乗ったジャーナリストは日本ではおそらく限りなく少ないと思う。そもそも海外に行かない限り乗るチャンスはなかったのだから……。

あまり調子のよくない、というか中古になると当時のディーノは決まって全開からアクセルを戻すと、ひどいアフターバーンに見舞われたものである。ところが、新車ときたら、アクセルを戻すと高周波のキーンという得も言われぬサウンドを発する。じつはそれが聞きたくて、必要もないのにアクセルを戻して、サウンドを楽しんだ。

ハンドリングの良さは申し分なし。東名高速の厚木ランプのループを高い速度でも平然と回っていった。国産車ではあり得ない芸当で、絶対的な瞬発力こそ同時期に誕生したポルシェ「カレラRS」にはかなわなかったが、その美貌とサウンド、それにコーナリング性能では勝っていたように思う。

当時いわゆるコンパクトサイズの高性能スポーツとしてはこのディーノ246GT、アルファ ロメオ「モントリオール」、それにポルシェ911カレラRSがあった。じつにラッキーなことにすべて乗ることができ、ディーノとポルシェは新車。そしてモントリオールは走行4000km程度のほぼ新車である。

それぞれ違う個性を持っていて、とにかく俊敏で速いのはポルシェ。ダントツだった。ディーノは最高速というか高速に達するのに時間がかかるが、やはり速い。これに対してモントリオールは唯一V8エンジンを搭載しながら、どちらかと言えばスポーツカーというよりもラグジュアリーカー的な印象が強かった。ただし、クラッチは半クラッチがほぼ使えない、いわゆるレーシングクラッチ的なものが入っていたように思う。だからよくエンストした。一番坂道発進をしたくないクルマだった。「Tipo33」のレーシングエンジンが母体だったからかもしれない。スピカ製の燃料噴射を持ち、始動時に独特な音を立てた。

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