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幻のスーパーカー「ヴェクターM12」に乗った! ランボルギーニ製V12を搭載したアメリカンハイパーカーの正体とは

ランボルギーニのV12を積むアメリカ産スーパーカー「ヴェクター M12」

1970年代のコンセプトカー「W2」からはじまった、アメリカ産ハイパーカーの先駆けとなるヴェクター。「W8」と「M12」という2車種で、わずか30台ほどが生産されたのみという幻のスーパーカーです。今回、オーナーの好意でM12に試乗、ランボルギーニ製V12エンジンを積む「異様なスタイル」のスーパーカーの走りをお伝えします。

生産台数は30台程度、幻のスーパーカーブランド「ヴェクター」

ヴェクターというクルマの存在は、スーパーカーマニア以外にはさほど知られていないことだろう。なにせ顧客に渡されたモデルはたったの2種類のみで、生産台数は併せてもわずかに30台あまりというから、まさに幻のスーパーカーであった。

社名はさまざまに変遷したが、大きく3つの時代に分けることができる。創始者ジェラルド・アルデン「ジェリー」ウィガート時代、インドネシアのメガテック時代、そして再びのウィガート時代だ。実際に顧客向けの生産が行われたのは前2期のみ。オーナーの苗字、もしくは会社名をイニシャルにしたW8とM12 が市販ヴェクターの全てである。いずれにしても米国産ハイパーカーのハシリであり、1970年代にカリフォルニアで興き、つい最近になって創始者の死によりその幕を閉じている。

70年代後半になってウィガートはコンセプトカーW2を発表した。その衝撃的なジェットファイタースタイルで世界のスーパーカーファンを驚かせたが、生産に至るまでにかなりの時間を要してしまう。80年代末になって市販モデルを正式に発表し、車名もW8と変えてようやく生産に漕ぎ着けた。

時間がかかったとはいえ、それでもなお基本となったスタイリングはユニークかつ新鮮さを維持しており、ターボチャージャーを2丁掛けして600ps以上を絞り出す6LのアメリカンV8レーシングエンジンに3速オートマチックを組み合わせた、いかにもアメリカンなパワートレイン(しかも横置き! )が斯界を賑わせたものだった。

W8のスタイリングは、アルファ ロメオ「カラボ」に影響を受けたとは言われるものの、欧州の市販スーパーカーとは全く異質のデザインで、「世界最高のスーパーカーを世界一の工業国であるアメリカから送り出したい」という創始者の熱い思いをひしひしと感じることができる。

90年代に入るとウィガートは次世代のコンセプトモデル、「WX-3」を発表する。X(エクスペリメンタル)はプロトタイプカーであることを意味した。ところがヨーロッパでの発表を終えてアメリカに戻ってみれば、株主であったインドネシアのメガテック社によって会社が乗っ取られていた。結果的に創始者であるウィガートは自分の興した会社から追い出されてしまう。ウィガートはのちに復帰するものの、スーパーカー界におけるアメリカンドリームをあと一歩で掴み損ねたのだった。

故スハルト大統領の息子が所有するメガテック社にヴェクターを「ザ・アメリカンスーパーカー」として世界にアピールするなどという思想はなかった。それよりも同時に所有していたランボルギーニ社との協業によって高性能なスーパーカーを出せればよかったに違いない。新たにピーター・スティーブンスを招き入れ、WX-3を下敷きによりモダンなエクステリアにリスタイルするよう命じたのだった。生産工場もカリフォルニアからフロリダへと移された。

ディアブロ用5.7リッターV12をリアミドに縦置きしたM12

こうして今回の主役であるM12が誕生した。車名のイニシャルはW(ウィガート)からM(メガテック)へ変わったが、もっと大きな変化が数字の違いに込められている。8気筒から12気筒へ。そう、1996年に発表されたヴェクター M12にはランボルギーニ製V12エンジンが積まれることになったのだった(つまり、もはやリアルアメリカンスーパーカーとしてのヴェクターではほぼなくなった)。

90年代のサンタアガタ製12気筒エンジンといえば「ディアブロ」用の5.7L V12である。よく知られているようにランボルギーニのV12パワートレインは通常とは180度逆に縦置きされていた。つまりキャビンからみてトランスミッション→エンジンの順に配置されていたのだ。これはパオロ・スタンツァーニの生み出した奇策であり、カウンタックからアヴェンタドールまでの4世代に受け継がれたサンタアガタ製フラッグシップモデルの伝統様式でもあった。

ところがヴェクター M12では巨大なディアブロユニットをリアミドに縦置きし、GM製マニュアルギアボックスをその後ろにやや被せて組み合わせるという常識的なレイアウトが採られていた。じつはこの配置によってM12の駆動系には若干のストレスがかかり、低速や後進のギアが入りづらいという欠点を有することになる。

それはともかく直線基調(に見える)W8から一転して丸みを帯びたデザインとなったM12は、それでもなお強烈なアピアランスを保っており、シザードアを有するもランボルギーニに見えることもなく、独特の存在感を醸し出していた。なにしろ巨大なパワートレイン(サンタアガタ製のセットよりは短いとはいえ)をリアミドへ常識的に積んだのだから、ドア以降のセクションは今やピックアップトラックのように伸びており、それがまたM12にある種の異様さを付加している。

コクピットのレイアウトも異様な雰囲気

日本国内に棲息するおそらくたった1台の貴重なM12。シャシー番号は11だ。現オーナーのMr. AONOは以前にW8も所有したことがあり、そのときも黒い個体をテストに供してくれたが、今回もまた前述した欠点を調整し準備万端となったオレンジカラーも鮮やかなM12を気前よく貸し出してくれることになった。

間近で見るM12のスタイリングは、やはり異様というほかない。キャビンまわりが大きく膨らんだフォルムは前方から見下ろすと、まるで海底に潜む平目のよう。極端にキャビンフォワードに見えるのは、前述したように巨大なパワートレインを常識的に縦置きしたため。シザードアはランボルギーニのそれに比べて生物的で、かなり湾曲している。そのためか、視界をより確保すべく、くの字に曲げられたドアの中央下にも横長のウインドウがある。

ドアを開けて覗き込んだキャビンは見るからに狭い。身長170cmでしかない筆者でも乗り込むのをためらうような見た目の広さ感で、大きなアメリカ人が果たして乗ってみたいと思うか疑問だ。それでもひとたび潜り込んでしまえばなかなか広い、というのが狭く見えるスーパーカーの常だが、M12は乗り込んでもなお窮屈である。とくに足元は狭い。アクセルとブレーキペダルはなんとか踏めるが、クラッチの踏み込みが重いのに難しい。巨大なパワートレインを無理やり縦置きにした結果、ギリギリまでキャビンを前進させざるを得なかったのだろう。

このあたり、ウィガートやスタンツァーニがなぜに変わったレイアウトに挑戦したのか、その理由の一端が窺えると思う。ロードカーに要求されるキャビン空間をある程度快適に確保しようと思えば、常識的=レーシングカー的なレイアウトなど採用できない、というわけだ。きっとスハルトの息子は背が低かったに違いない!

インテリア全体の雰囲気は硬派でシンプルだけれども一定のラグジュアリー感も有している。アナログ速度計は360km/hまで刻まれていた。ストロークの短いシフトレバーの頂点には大きな球形のノブがつく。左手前下が1速のレーシングパターンだ。

意外なほど扱いやすいマトモなスーパーカー

よく調整されていたからだろう。キーをひねればV12エンジンが難なく目覚めた。サウンドはまさにディアブロだ。左足付近はスペースがほとんどない。重くはないが踏むことが難しい。尻を浮かせるようにして苦労しならが左足を深く踏み込み、ギアを入れてゆっくりと繋げていく。アイドリングスタートだ。踏むのに苦労するけれど、実用トルクは十分だから、その後はあっけなく走り出す。

一般道を走っていて驚いたのは、思っていた以上にボディ骨格がしっかりしているという点だった。正直、少量生産のプロトタイプみたいなクルマである。普通ならばどこかに危うさが漂っていてもおかしくない。このクルマにはそういう危うさがまるでない。

おそらく車体の基本設計のレベルがそもそも相当高かった。アメリカにはスーパーカーの技術などさほどないように思われがちだが、飛行機や宇宙関連といった、それこそF1が新技術を求めるような領域へのアクセスは比較的たやすいはず。それこそウィガートが世界一のスーパーカーを生み出そうと決心した背景には、「月まで人を運べる技術大国が路上で最も速いクルマを作れないなんてことはあり得ない」という信念があったからだ。

強烈な加速フィールが印象的だったW8に比べると、自然吸気V12エンジンの加速はまだしも優しい。予想の範囲内だ。けれどもエンジンフィールは素晴らしい。ディアブロのエンジンってここまで気持ちよかったのか! と再認識する。もっとも熟練メカによるメンテナンスのおかげということもできるけれど。

4000回転あたりのフィールとサウンド、そして力感が素晴らしい。決して速くはない。けれどもこのエンジンをマニュアルで操るという行為がすでに楽しいのだ。道が続く限り加速するような感覚もまた、大排気量12気筒NAエンジンの魅力というものだろう。

面白いことに、これほど異様なスタイル、ディメンションだというのにとても扱いやすい。ドアあたりが一番膨らんでいるので車幅感覚も掴みやすく、安心してアクセルを踏んでいける。ブレーキパフォーマンスは今となってはそこそこレベルだが、それもまたこの時代の楽しさというものだろう。

ヴェクター M12は、マトモに動きさえすれば想像する以上にマトモなスーパーカーである。アメリカンな印象はもはや皆無であったけれど……。

1996年に誕生したヴェクター M12はその後、99年まで生産された。その年、ランボルギーニはアウディグループの傘下に入っている。

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