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丸目四灯の6代目トヨタ「セリカGT-FOUR」を語ろう! 車両規定違反でブラックなイメージですがパイクスピークでは3度も総合優勝した名車でした

サスペンションはトヨタがこだわっていたスーパーストラットを採用

セリカGT-FOURは国内限定2100台のモデルだった

1993年に登場した6代目トヨタ「セリカ」は、今なおファンが多い1台。先代(ST185)のリトラクタブルヘッドライトから丸目4灯にフェイスリフトしたほか、軽量化にも徹したことで戦闘能力を向上させたST205型「セリカGT-FOUR」を振り返る。

ボディが拡大し3ナンバーへ

1990年代前半のWRCはトヨタ セリカの黄金期だった。

その幕開けは、1990年。4代目セリカST165の4WDターボ、GT-FOURを駆るカルロス・サインツ(現F1フェラーリチームのカルロス・サインツJr.の実父)が、日本車ではじめてWRCのドライバーズタイトルを獲得した。

その後継車、ST185は1992年のドライバーズタイトル(カルロス・サインツ)、1993年には念願の日本車初となるWRCマニュファクチャラーズ+ドライバーズタイトル(ユハ・カンクネン)の二冠を達成している。

この勢いに乗って1994年に登場したのが、3代目セリカ GT-FOUR=ST205だった。セリカとしては6代目にあたるT200型からシャシーが一新され、3ナンバーサイズに拡大。旧モデルから80kgの軽量化を果たし(1380kg)、エンジン関係も容量アップした水冷インタークーラーと改良されたタービンで、30psアップの255psを達成した(メーターパネルには珍しくブースト計も装備!)。

ブレーキは16インチローターに加え、フロントにアルミ4ポットキャリパー(リアは対向2ポット)を採用してグレードアップしていた(タイヤは215/50-16)。なお、スポーツABSもオプションで選択できた。

WRCでのトヨタワークスチーム(TTE=トヨタ・チーム・ヨーロッパ)のリクエストに応える形で作られたGT-FOURは、全世界2500台限定、国内限定2100台で販売された。WRC仕様には、大型リアスポイラーやウォータースプレー、ミスファイアリングシステムが装着され、ボンネットには複数のエアアウトレットとインレットダクトが設けられていたのがルックス上の大きな特徴だ。ちなみにエンジンフードはアルミ製で、ノーマルよりも8kgほど軽く仕上がっていた。

サスペンションはこの頃のトヨタがこだわっていたスーパーストラットを採用していたが、スイートスポットがわりと狭く、肝心のWRCでセッティングが決まらず、苦戦する原因のひとつに……。

WRCに参戦するも戦績は振るわず

トヨタは前年に引き続き、1994年もマニュファクチャラーズとドライバーズのダブルタイトルを達成するが、1994年の前半はST185で参戦し、ST205では未勝利に終わる。

翌1995年のツール・ド・コルスでST205も初勝利を挙げるが、ラリー・カタルーニャで、リストリクターに関する車両規定違反が発覚。トヨタはこの年の全ポイントを剥奪され、1年間の出場停止となった(トヨタは自主的に2年間の出場停止)ため、ST205のWRCでのリザルトは1勝にとどまり、この1995年を最後に、セリカでのWRCワークス参戦を終了してしまった。

では市販車としてはどうだったのか。

正直フロントヘビー(前後重量バランスは61:39)でアンダーステア傾向が強く、スポーティだったという印象は乏しい。国産の2リッターターボのスポーティモデル、とくにラリーシーンでのライバルになる三菱の「ランサーエボリューションII」やスバルの「インプレッサ」(GC8)に比べるとパフォーマンス面で影が薄かった感は否めない。

WRCでの一件があり、なんとなく歴代セリカ GT-FOURの中でもブラック(?)なイメージがあるST205だが、カストロールカラーのワークスカーがグラベルを疾走するシーンはカッコよかったし、パイクスピーク・ヒルクライムでは3度の総合優勝(1994年、1996年、1997年)を果たすなど、セリカ黄金期を語るうえで欠かすことのできない大事な1台であることは間違いないだろう。

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