フェラーリのテクノロジー革命を起こした名作
2024年11月1日にロンドンにおいては同年2度目となるRMサザビーズのオークションが開催されました。この年の6月にオープンしたばかりの「ペニンシュラホテル・ロンドン」を会場としたこのオークションには、珠玉のクラシック・フェラーリが数多く出品されましたが、今回はそのなかから「275GTB」を俎上に載せ、その概要と注目のオークション結果についてお伝えします。
現代のフェラーリにも通じるメカニズムを初めて搭載した記念碑的モデル
フェラーリの誇る「250GT」シリーズは、「GTO」や「SWB」といった傑作のおかげもあって、登場から70年以上が経過した今なお、全世界の賞賛と憧憬に値する歴史的アイコンとなっている。
しかし11年間におよぶ生産期間を経て、モデルラインは開発の限界に近づいていた。そこでイタリアンアルプスの曲がりくねったワインディングロードでも、あるいはモンツァ・サーキットでのタイムアタックでも同等のドライビングプレジャーを感じられるような、さらにラグジュアリーな体験も生み出すことのできるフェラーリを目指して、マラネッロのエンジニアたちは新型グラントゥリズモの開発に着手した。
その成果として、1964年のパリ・サロンにてデビューしたフェラーリ「275GTB」は、歴史的傑作250GTシリーズ、ことに250GT「ベルリネッタ・ルッソ」の後継車種としてリリース。ピニンファリーナのデザイン/スカリエッティの架装による、流麗にしてダイナミックなベルリネッタボディは、当時のレース界におけるフェラーリの隆盛を支えていたスーパースター「250GTO」のラインを、ストラダーレGTとして解釈したものといわれており、リアエンドは空力効率に優れた「コーダ・トロンカ(カムテール)」でまとめられていた。
総生産台数453台のうち約250台がショートノーズ
いっぽう、メカニズムは当時のフロントエンジン・フェラーリからさらなる進化を遂げており、トランスミッションはクラッチともども後方に置かれるトランスアクスル式。そして4輪ダブルウィッシュボーンの独立サスペンションと、現代の「ドーディチチリンドリ」にも継承されるレイアウトを早くも採用していた。
そして、かつてはフェラーリの象徴だった60度V型12気筒SOHC「コロンボ・ユニット」は、250GTの2953ccから3286ccにスケールアップ。280ps/7600rpmを発生した。また、ついに前進5速となったトランスアクスル・ギアボックスが搭載され、最高速度は160mph(約256km/h)に近づいた。
こうして誕生したフェラーリ275GTBながら、当時のマラネッロの生産体制もあって、ラインオフしたのは453台(ほかに諸説あり)に終わったとされる。
全生産台数のうち約250台が、前期の「ショートノーズ」シリーズIだったと考えられており、そのうちの1台が、このほどRMサザビーズ「LONDON」オークションに出品された275GTB、シャシーナンバー「06705」である。
一流イベントにも参加権のある275GTBは、予測どおりの3億円オーバー!
フェラーリは、このシャシーナンバー「06705」を1964年10月27日にモデナ市内のスカリエッティへと引き渡して、スチール製ボディに「ネロ(黒)」レザーの内装を施したのち、再びマラネッロのファクトリーによって「ロッソ・チーナ」のボディカラーで仕上げられた。
完成した左ハンドルの275GTBは、パワーウインドウと3基のウェーバー社製40口径キャブレターを装備してニューヨークに移送。1965年3月にフェラーリの有力プライベートチーム「ノース・アメリカン・レーシング・チーム(N.A.R.T.)」を創設したことで知られる「ルイジ・キネッティ・モーターズ」社を介して、ファーストオーナーのカール・アイバーソンに売却された。
アイバーソン氏は1974年まで、約10年にわたってこのクルマを所有したのち、カリフォルニア州サンフランシスコのカール・E・ドレイク・ジュニアに譲渡した。
1982年、この「ショートノーズ」は、フォートワースを拠点とするディーラー、ロバート・ドリスによって、新たにテキサス州へと移されたものの、彼はほどなくこの275GTBを「Ferrari Market Letter」へと掲載した。その際の広告には、シャシーナンバー「06705」が赤ボディ/黒インテリアで仕上げられた「前オーナーが2人しかいない素晴らしいオリジナルカー」であると記されていた。
その後、このフェラーリは1986年に同じテキサス州のルイスヴィルに住むジョン・R・アンダーソンによって購入された。彼はその後7年間275GTBを楽しんだが、その後この個体はオランダへと輸出され、クラシックカーのスペシャリストであるウォルター・グラタマ氏の管理下に置かれた。
フェラーリ・クラシケは取得済み
グラタマ氏の管理のもとにある間、シャシーナンバー「06705」は2005年7月に独ニュルブルクリンクで開催された第11回「モデナ・モータースポーツ・トラックデイズ・コンクール」をはじめとする、数多くのフェラーリ・ワンメイクのコンクールに出展されたとのこと。ニュルブルクリンクでは、著名なフェラーリの歴史家マルセル・マッシーニ氏を審査員に迎え、「1960年代のロードカー」クラスで優勝の栄冠に輝いている。
そののちもヨーロッパ大陸に残された275GTBは、2015年3月に「フェラーリ・クラシケ」の審査を受けた。ここで、シャシーとエンジンのマッチングナンバーが認められたほか、交換されたギアボックスが正しいタイプであることが確認されている。
その後7月、カンブリア州カーライルを拠点とする新たなオーナーに引き取られた275GTBは、それ以来イギリスに居を構えている。英国上陸ののちまもなく、この個体はグロスターシャー州ノースリーチにあるクラシック・フェラーリのスペシャリスト、ボブ・ホートンのもとに送られ、2016年1月から7月にかけて、総額7万8882ポンドを投じた作業により、V12エンジンの脱着とリビルトが行われている。
さらに2021年5月にもホートンの手で新品エキゾーストの取り付け、シートの改修など、1万4923ポンドの費用をかけてメンテナンスが行われたとのことである。
強気のエスティメートに思えたが……
2022年4月に現在のオーナーによって購入されたこの英国登録車は、近年はほとんど走行していないとのこと。また、今回のオークション出品に際してはフェラーリ・クラシケの「レッドブック」、オーナーガイド、純正ツールロール、ヒストリーファイル、赤のリアウインカーレンズ、そしてマッシーニ氏によるレポートも添付されていた。
RMサザビーズの公式カタログでは「フェラーリのクラシックカラーをまとい、当時のオプションである「ボラーニ」社製ワイヤー・ホイールを装着したこの275GTBは、“フェラーリ・カヴァルケード・クラシック”、“ラリー・デ・レジェンド”、パームビーチとアブダビの“カヴァリーノ・クラシック”、“モデナ・チェントオーレ”など、数々の一流クラシックカー・イベントにも招待されるであろう」というPR文とともに、170万ポンド~190万ポンド(邦貨換算約3億4000万円〜3億8000万円)というなかなか強気のエスティメート(推定落札価格)を設定していた。
そして迎えた競売ではエスティメートの範囲内に収まる174万8750ポンド、現在のレートで日本円に換算すれば3億4975万円というビッグディールとなったのである。
